「そういや」
「ん?」
不思議な時間退行から早一週間。
未だに元の世界に戻る兆しはなく、悩みはありながらも周囲とはそれとなく折り合いをつけて過ごしている。一番懸念すべき両親ともその辺りはつつがなく、半ば投げやりだった気持ちも解らないものは解らないのだしどうしようもない、と少しは落ち着いてきた頃だ。
人はこれを自暴自棄と呼ぶかもしれないが、私は至って真剣に気を逸らし続けている。
悩み続けても出口は見つからないし、誰かに相談もできない。大人になるまでの記憶がありますなんて発言をうっかり漏らして、両親を心配させた上に病院送り、という最悪の結末も怖かった。
だってどうするの。もし今までの記憶が脳に損傷でもあった所為だなんて診断を下されたら。今までの記憶が嘘でした、なんて言われたら。
それはさすがに、私でも鬱になるよ…。
日常生活においては不便は出ていないのだし、正常であることを信じていたい。
(最悪の場合は…まぁ…通院も考えよう…)
だけどまだ諦めない。絶対諦めない。
縋れるものは己の記憶一つしかないのだ。弱さに食い潰されないよう、今は深くは考えないという結論にこの一週間で達した。
今はこちらの現実を受け入れることに集中すべく、気儘で責任もないらくーな中学生ライフを満喫なう、というわけだ。
賑やかな教室を背景に机をくっつけて昼食を取っていると、正面に座る親友…になる予定の彼女、栗栖浅香は菓子パンを千切りながら、なんとなしに呟きかけてきた。
「あの緑間と一緒に登校してるって、本当なの」
「あー、うん。道案内頼んでるね」
浅香の問いにこくりと頷きつつ弁当箱の蓋を閉じる。
そろそろちょっとした裏道も覚えてきたし、ラッキーパーソンもお役御免だろうか。
それより“あの緑間”という言葉が何を指すのかが分からない。素直に首を傾げて彼女を見やれば、少々面倒そうに溜息を吐き出された。が、それは癖のようなもので元から愛想がそこまでよくない親友を知っている私には特に気にする仕種でもなかった。
ミーハーで食い付き激しい性格な親友なんて、怖すぎて見たくない。
クールでドライで懐きにくい、一匹狼系かわいこちゃんな親友。それが私の中の栗栖浅香像なのだ。
「あいつ相当の電波でしょ。顔も悪くないし勉強もスポーツもできるのに喋ることは意味不明。変人代表過ぎる」
「お、おう…言うね浅香さん」
「それとよく毎日のように一緒に通えるもんだ、って。もしかしてデキてるんじゃないかなんて軽く噂になってる」
「転校一週間で!? それは事実なら私凄腕のハンターだな…」
「見る限り案内以上の付き合いはないらしいけどね」
はぁ、と呆れた目をしながら再びパンをかじり出す浅香に、飲食ペースの速い私は包み直した弁当箱を仕舞い、まぁねぇ、と頬杖をつく。
昼休みの室内はさすが皆若いだけあって、少しくらい大きな声を出しても聞き逃されそうな雰囲気があった。
「中学生に本気になるのはねー…」
「アンタも中学生でしょ」
「あはん…そうでした」
そう。身体の年齢では確かに私もそんなお年頃、恋に恋しても許される可愛らしい中学生ではある。
けれど本気でそんなことになってみろ。自分の痛さとキモさに引くわ。ドン引きする自信があるわ。
十歳近く下の子供に懸想するなんて犯罪ですからね! 元々私年上専だしね!
さすがに中身まで若返ることはできないもので、残り僅かなパックジュースのストローをくわえて苦く歪む口元を誤魔化した。
(青春だねー…本当)
緑間くんとは、悪くない関係を築いてはいると思う。あくまでも友人としての話だが。
子供らしさは残しつつも彼は賢いし、いい話し相手にもなる。学校までの道も詳しく教えてくれるし、基本的にしっかりしているので私の方も等身大で向き合えて楽ではあった。
(けど、噂はちょっと面倒だなぁ…)
私はあまり気にしない質ではあるが、彼には迷惑以外の何物でもないだろう。
朝早いから人目は少ないと思っていたのだけれど、どうやら有名人らしい彼が目立たないということはあり得ないようだ。まぁあの頭なら仕方ない。そりゃ目立つわ。
やっぱり緑間くんへのお願いに関しては明日辺りで終わりにした方がいいかな…と考えつつ、それよりも私の中で重要な事項と言えば。
「さっちゃんって意外とガード堅いよね」
「いきなり話題変わったわね」
「いやー…だってさ、初対面で名前呼び取り付けたはいいけど、なんかまだ壁があるっていうかー…」
やはりというか、以前と同じくこちらの世界でも女子集団に溶け込めずにいた浅香を口説き落とすことにはほぼ成功したと言える。長年親友をやっているのだから彼女のツボは心得ているわけで、ちょっとズルい手かと思うも加減はせずに攻め行った。
結果、お隣ポジションをしっかりゲットできたので後悔はしていない。
けれどもう一人、仲良くなりたい美少女に関しては何せ元となるデータがないのだ。顔色を見つつ可もなく不可もなくな接し方を貫いてはいるけれど、私が欲しいのは仲良しな友人ポジションでありましてですね…。
熱弁したらギャルゲーか、とつっこまれたから口には出さないでおく。が、このまま適度な位置で終わらせてなるものか、と私の中の狩人が決意を固めていたりするものだから。
「燃えちゃうよね…」
はぁ、と嘆息する私をうんざりと見つめる親友の顔もまた、可愛らしかった。
極めて純粋、故の好奇心そうして何気なく過ごした日の放課後。
艶やかな桃色の髪が他クラスの扉を潜るのを、廊下に出たところで偶然遠目にした私は、下の階に降りるためにもそちらの方向へ進むしかなく。
友達でもいるのかな、と通り過ぎ際に横目でそのクラスを覗けば、何やらお目当ての美少女は一人の男子に食って掛かっている様子だった。
(え)
物凄い剣幕で怒るさっちゃんと、一男子生徒。しかもわりと強面系。
何が起きたのかとついつい気になって、他の生徒が逃げるように立ち去る中こっそりと室内にお邪魔した。そのこっそり具合が悪かった。
「信じらんない! またこんなもの持ってっ、」
「ぶっふ!」
「あ」
近付いて、ちょい、と肩でも叩こうとしただけだったのだが。
何か微妙に冷たく硬いものが私の顔面を強打したことで、その行動は失敗に終わった。
「え? きゃー! かなちゃん!? ごめんね大丈夫!?」
「うん、いや…私こそ。先に声かければよかったね」
殴られる前にさっちゃんの腕が動いたのが見えたから、犯人は疑うまでもない。けれど彼女に罪もないので、ひりひりと痛む鼻を押さえながら大丈夫だよと笑えば、慌てて振り向いてわたわたしていたさっちゃんは申し訳なさそうに眉を下げる。
そんな顔もまたキュート…なんてふざけてる場合でもない。美少女を悲しませるなんて罪深すぎるわ私ったら。
「いーかげんその凶暴どーにかしろよ、さつき」
「元はと言えば青峰くんの所為でしょ!?」
呆れ混じりに彼女の名を呼ぶ男子の髪は濃紺色に見えたのだけれど、青だったらしい。そうかそれは青なのか…惜しかった。
どんな関係かはよく判らないけれど、再び彼に憤るさっちゃんを邪魔することもできない。とりあえず二人を観察しがてら先程私の顔面を襲ってそのまま床に落ちていた雑誌を拾い上げて、表紙に目を落としてみた。
「…グラビア?」
ぱらりとページを捲ってみれば、どうやらテンプレな水着もの。わりと健全な方だと思うけれど、中学生が見る分にはこの程度で充分なのだろうか。
さすがに男子中高生の下半身事情はよく知らないからな…と考えながら、思う。いや、しかし、うん。
「いい形してるね。ナイスおっぱい」
豊かな胸は天然ものらしく、不自然なハリがないにも関わらずいい具合に弧を描いていて。これは揉みたい、と頷く。
魅惑のボディラインじゃないですか…と賛辞の溜息を吐いたそんな時、ぴたりと、それまで言い争っていた二人分の声が唐突に止んだ。
20130904.