それからの授業は、今現在分かっていることを書き込んだ手帳を眺めながら適当に過ごした。
教科書類は朝から職員室で受け取っていたし、ノートも購買で買えた。普通に学生生活を送るにあたっての問題は特に生じはしなかった。
昼休みには運命に感謝しながら親友になるべき隣の女子、浅香を口説いたし、形振り構わない私の態度により一日でかなり打ち解けた方だと思う。
因みに、折角だからさっちゃんも口説こうと思ったのだけれど、部活の話し合いがあるとかで申し訳なさげに断られた。そんな顔もとっても美少女で眼福だったのでわりと満足している。
となると、あとの問題はやはり、私の置かれた状況に限られてくるわけで。
(多世界…か……)
態度だけはしっかり授業を受けながら、専ら私の思考は朝から思い出したその言葉を巡らせる。
もし。もしもの話だ。けれど、あり得ないとは強ち言い切れなくなってきた、話。
今の私は軸の違う過去の私に、意識が入り込んでいるものだと仮定する。
そうなると、元々この身体を動かしていた意識体は、どこへ消えたことになるのだろうか。そして元の私の世界や身体は、どうなっているのだろうか。
もし単純に入れ換わりが生じているのだとしたら、これは相当問題がある。
何しろ私は四月からは新社会人。そんな中に中学時代の私が入り込んでいたとしたら、仕事もへったくれもない。生活して行けるかすら危ういだろう。
そしてどうしようもなくなった頃に元に戻れたにしても、待ち受けるのは悪夢だ。
(帰りたい…っ!)
ああ考えたら物凄く不安になってきた!!
勿論これは仮定であるからして、考え過ぎだと言えなくもない。けれど、確かめる術がなければ不安にもなるもので。
と、悩んでも結局は自分ではどうしようもないのだから、諦めるしかないのだが。
それでも、そう簡単に割り切れるものでもない。
(いっそ今までの世界が消えれば…ああいや駄目だそれは物騒過ぎる……)
今ここにいる私自身は、何とかやっていけなくはないかもしれない。
若返っちゃった! きゃっ!、みたいな反応は流石に無理だけれど、それならそれでうまく進む道くらいは弾き出すことはできる。何しろ二度目なのだから、大きな失敗を踏むこともない。
でもまぁ、結局は分からないことをいくら考えたところで、無駄というもので。
だったらもうすっぱり忘れることにして、楽しんでしまったが得なのでは、なんて。
無理に決まってるじゃんねー…。
(保留だな、これは)
いくら何でも、この精神年齢でそこまでプラス思考にはなりきれんよ。
でも、諦めもつかなければどうしようもないのも事実。
ぱたり、と手帳を閉じた音と、授業終わりのチャイムが鳴るのは殆ど同時だった。
*
さて、忘れてはいけないことが一つある。
漸く訪れた放課後、教科書類々を鞄に詰め込み、帰ろうとしたところで帰宅部の面々から軽い歓迎会のお誘いをいただいた。が、残念なことに今日ばかりは乗っかれそうにないので丁重に謝っておく。
母親に、買い物を頼まれてるんだよね…。
そういえばそんな日常もあったなぁ、と懐かしく思う半面、一日目くらいクラスメイトと仲を深めるための余地を与えてほしかったのも本音だ。既に一日でかなり仲良くなっていても、ね。
「じゃーまた今度遊びに誘うわ」
「教科書プラスお使い頑張れー」
「ホントにごめんねー。頑張って大荷物運ぶわ」
ばいばーい、とまだ教室に残っている新しい友人達に手を振って、靴箱へ向かう前にルートを確認する。
そう、お使いもバッグがないことには困るわけで。そしてそのバッグはと言えば、朝から紫色の髪をした背の高い男子に貸し与えていたりして。
聞いていたクラスと、昼休みに確かめていた校内の造りを思い出して足を進める。
目当ての教室はわりとすぐに見つかって、ひょい、と扉から覗き込めば、こちらは終わるのが早かったのか既に生徒の姿はなかった。
机に突っ伏す、大きな影を除いては。
(でっか…)
机から飛び出した手足を見て、改めてその長さに感心する。
中学生でここまであるなら、高校で伸びなくても充分だろうなぁ…。そしてやはり、見事な紫髪だ。
それはそうと、どうやって声を掛けようか。
見たところ紫色の彼は、ぐっすりと寝入っているようだ。声を掛けるにも私はその名前も、確かなものは知らない。
ムラサキバラ…って呼ばれてたのは聞いたけれど。
あれ本当に本名なの? ギャグじゃなくて…?
「どうするかな…」
叩いて揺すってもいいのだろうか。
室内に踏み込んで、その席の前まで来て、唸る。
寝起きが悪かったりしたら嫌だなぁ…と、低血圧な人間の寝起きを想像して躊躇うも、どうせそのままにもしておけない。仕方なく私はその広い肩に手を置いた。
頼むから不機嫌にだけはなってくれるなよ…。
「おーい、ちょっと、起きてくれないかなー?」
「…んー…むにゃ…あ…?」
「そうそう、起きて。ゆっくりでいいから」
最初は揺すって目覚めを促して、意識が浮上したら宥めるようにとんとん、と一定のリズムで軽く叩き続ける。
長い腕に伏せられていた頭が、ぐずぐずと動き出す。漸く顔を上げた彼は大きな欠伸を噛み殺した後私の存在に気付くと、あれ?、と不思議そうに首を傾げてきた。
「んー…と、えーっとー……誰だっけ?」
「あー…朝からまいう棒を拾った者です」
「あーそっかー…で、何か用あったっけ?」
現状が理解できないといった風なその態度に、がくりと力が抜ける。
ぼうっとしている子だったから、顔を覚えられていないことは元々覚悟の上だった。けれど、そうか。約束も覚えていなかったか…。
(居眠りしてくれて助かったわ…)
恨めないタイプではあるが、私が困るところだった。
バッグのことを話すと、漸くあーそんなこと言ってたっけ?、と軽くは思い出してくれたらしい。
机に掛かった鞄から朝から貸していたバッグを取り出し、素直に差し出してくれた。
因みに、あれだけあったお菓子の山は見る影もなかった。
「あ、そうだ。イカスミたらこ、あれ意外と美味しかったよ」
そういえば、もらったお菓子は昼休みにいただいたのだった。
どんなものかと食べてみれば、案外とたらこの風味も残っていて不思議な味わいだった。個人的には、わりといけた。
「でしょー? オレも好きな味だしねー」
「うん。君、面白いお菓子知ってるんだねぇ」
「お菓子ないと生きてけないしー」
素直に感想を伝えればお気に召したのか、へらへらとした笑顔が返ってくる。
こんな図体なのに、なんだか可愛く見えるのが不思議だ。
「さて…用は済んだし、帰ろうかな」
返してもらったバッグを一旦鞄に詰め込み、その途中で手に当たった箱を代わりに取り出す。
オレも部活行かなきゃー、と立ち上がっていた彼にもう一度目を向ければ、再び疑問符を浮かべながら首を傾げられた。
「君、甘いお菓子も好き?」
「んー? うん、何でも好きだよ?」
「じゃあこれあげる。美味しいお菓子を教えてもらったお礼と、部活に行くなら差し入れね」
「! 新味…っ!」
「あ、そうなの?」
昼休みの探検中、購買で見付けたピスタチオ味のチョコ菓子。まだ私も食べてはいないけれど、ハズレではなさそうなのであげてしまってもいいだろう。
そう思って取り出したそれに、別人かと思うほど瞳を輝かせた彼は…なんというか、やっぱり子供らしかった。
本当にお菓子が好きなのね…。
これは親御さんも際限なく与え続けて、甘やかしていそうだ。
「ありがとー!……あ、名前知らなかった」
嬉々としてチョコを受け取ったかと思うと、漸く自己紹介すらしていないことに気付いたらしい。
さっきまで眠たげだった目は今は興奮で覚めているようなので、私も知らないよ、と軽く笑い返した。
大きな子供とチョコレート不可思議過ぎる転校一日目。
美少女と知り合い、元来の親友と出逢い直し、そして紫の髪の大きな子供と、何だかんだで仲良くなったようだ。
(浅縹…奏…んー…じゃあ、かなちん?)
(あ、それやっぱあだ名なのね…。でも紫原って長いよねぇ…紫くんでいっか)
(んー、でも紫も長くないー?)
(まぁ…面倒になったら適当に呼ぶよ)
(それもそーだねー)
20130310.