幼心の成長記 | ナノ




最近の私は、自分でも挙動不審で地に足が着いていない気がする。

席替え前の一件から、またこれまでのように話しかけてこなかった紫原くんの様子がおかしいことに気づき、震える身体を押さえつけながら恐る恐る話しかけてみれば、何故か実習で作ったお菓子をねだられた。それが席替えから休日を挟んで五日目のこと。

その件もその件で終わり、また変わりない日常が流れていくのだと思っていれば、彼は何を思ったのか次の日の朝、自分の席に着くことなく私の席の正面に回ると机の上にバラバラとまいう棒の山を落としてきた。



「…え…っ、…ええ…?」



何が起こったのか解らなくて顔を上げた私は、椅子に座っていたせいで余計についた身長差にひっ、と喉奥を引き攣らせる。

鋭い言葉を投げ掛けられなくなった分、私に意識が向けられない場合はなんとか気にならないようにできてはいるけれど、近づかれれば身体は震えるし、頭の中が今までの雑言で埋め尽くされてぐちゃぐちゃになる。
しかも唐突なアクションなんて心臓に悪すぎて、気道がきゅっ、と引き絞られて息が詰まった。



「……これ、昨日お菓子くれたから、お礼」

「っ、え…?」

「それだけー」



彼がどんな目をして私を見下ろしていたのか、恐ろしさに真上を見上げられなかった私には分からなかった。
けれどおそらく、彼の方からは私の一挙一動はよく見えたと思う。握り締めすぎて真っ白になった拳も、小刻みに揺れる肩も、しっかりと。

そう気づいた瞬間に、嫌いじゃないと泣きながら喚いた彼を思い出してしまって、目の前に積まれたまいう棒に視線を落としてその意味を考えてしまった。



(嫌いじゃない…って、本当、なのかな…)



がたん、と隣で鳴る椅子の音を耳だけで感じながら、私は自然と眉を寄せていた。
お菓子が主食と言わんばかりに普段からよくスナック菓子を頬張っている彼が、他人にお菓子を分ける理由。
お礼と言うなら確かに、珍しいことでもないのかもしれない。彼の性格をよくは知らないから確実にそうとは言い切れないけれど、そんなに変わったことでも、ないのかも。

だけれど、さすがに嫌いな人間には、彼でもお菓子をねだったりはしないのではないだろうか。
何だかんだと周りに世話を焼かれて生活している人だから、私以外にならいくらでもその類いは与えられていると思う。

今は最高学年だし、彼に厳しく当たられたのは一年生の頃だ。彼の中で何かが変わったのかもしれないし、成長したのかもしれない。
嫌いじゃないというのは、本当なのかもしれない。

そう思うとなんだか今度は複雑な思いがして、目の前のまいう棒の山が心に重くのし掛かってくるような気がした。






その日から少しずつ、紫原くんは私と接触を図り始めた。
たまに少しだけ話しかけてくるようになったし、よくこちらを見つめてくるようになった。
ある時にはその大きな手で唐突に頭を撫で回されたりして、その間も冷たい言葉は一つも飛び出すことはなかった。

私はそんな彼の変化に戸惑い、当然ながらうまく反応できず、何かを考えるよりも先にマイナス方向へ転がってしまう身体を、ただただ持て余すことしかできないでいた。



(最悪だ……)



こうなることが解っていたから、気が重かったのだ。

たとえ今は嫌われていないとしても、前例がある。またいつ気紛れに掌を返されるか分からないと、疑いを持つくらいには私は彼を簡単には受け入れきれなかった。

私には、彼への苦手意識が深くまで根付いているのだ。
心の柔らかい部分を何度も踏みつけて荒らされて、そのうち痛みは忘れていっても傷痕は残り、外敵に敏感になってしまう。
近くにいるだけでも身体は震えるし、会話しようとしたって声が勝手にか細くなる。

彼が懸命に気を付けて私に接触してきているのには、さすがに気づき始めている。なのに彼を思いやって関係を改めるほどの勇気が、私にはどうしたって湧いてくれない。

どうしても、どうしても怖いのだ。
子供のような残酷性を、身をもって知ってしまっている私には、彼がどう変わっても、どうしても。

それでも、そんな私の反応を見てあからさまに気落ちした様子を見せる彼を見れば、罪悪感だって募る。

嫌いじゃないのは私だって同じなのに、苦手なものは治しようが無い。恐怖と罪悪感のジレンマをぐるぐると脳内で巡らせながら、そればかり気にして生きていた数週間。

ある日、クラスの違う男子に呼び出しを受けた。

その男子はバスケ部で二軍に所属している人で、顔を合わせることはそれなりにあったし、会話を交わしたこともある。別段仲がいいわけでも悪いわけでもない男子だったのだけれど、これもまた唐突に告白をされた。

男子の集団があまり得意でない私は彼がそういう部類の人だと知っていたので、その場で申し出は断らせてもらったのだけれど。
それからまた二日後の放課後日直の仕事で部活に遅れそうになっていた時、通り掛かった教室で響いていた会話を耳にしてしまった。



「なぁお前、部活のマネージャーに告白してフラれたんだって?」

「誰から聞いたんだよそれ」



通り過ぎようとしていた足が止まったのは、室内にいた数人の声が軽々しかったためだと思う。
悲壮さを感じさせないやり取りに、違和感を感じた。

それが何なのか気づく前に、彼らは残念だったなぁ、と笑ったのだ。



「紫原に一泡吹かせるチャンスだったのに」

「意外だよな。あの子確か紫原に色々やられてたじゃん? 絶対断らないと思ってたぜ?」

「つか、あり得ねぇし。紫原も大概調子乗ってっけど、あいつもムカつく。告白なんかされるほど可愛くもねーくせに断るとか。あり得なくね?」

「さーなぁ、オレは女子の方はよく知らないし。でもま、バスケ好きでもないくせにレギュラー入りしてる奴はやっぱ腹立つわ。嫌いなら辞めろって思う。才能あるからって馬鹿にしてさー…」



そこまで、だった。
私が静かに、彼らの話に聞き耳を立てられたのは。

どこにそんな勇気を持っていたのかと自分でも思うけれど、私は彼らだけが残った教室内に足を向けていた。



「それは、ただの僻みです」



口を突いて出た言葉の鋭さに、一瞬躊躇いを覚えた。
けれど、聞かなかったことにして放置はできなかった。

私が悔しいとか、悲しいとかじゃない。
告白が打算の上に成り立っていたことが、ショックだったかと訊かれれば、そういうわけでもなくて。

驚いたように振り返って青ざめる顔は見知った数人の男子達に、私はもやもやと胸に広がる不快感を吐き出した。



「確かに、確かに紫原くんはバスケの才能があるし、人を見下すこともあるけど…負けないために、帝光の理念のために、チームのために…才能を伸ばす努力は、しっかりやっているから」

「っ…盗み聞きかよ」

「すみません。通りかかったら聞こえたから、つい聞いてしまったのは謝ります。でも、ここで人を僻んで諦める人がレギュラーになれるはず、ないと思う」

「なんだと…!?」

「一軍の選手で居続けることは、そんなに甘くないでしょう?…それと、もう‥他人まで利用して誰かを陥れようとか、しないで。そんなの、誰かを傷つけて自分の質まで落とすだけです」



気まずげに目を逸らす男子の中で、告白をしてきた彼だけが激昂した。
苛立たしげに椅子から立ち上がると大股で近寄ってくる彼に、思わず後退りかけた時だった。

腰の辺りに硬い圧迫と、それからすぐにふわりとした浮遊感を感じたのは。



「っ、え?」

「なっ!? おまっ…紫原!?」

「え!?」



ぐん、と高くなった視界に思考を停止させていれば、先程の男子の驚愕の叫びが聞こえて身体が固まる。
視界に入ってきた紫色と、広い背中から長い足。自然と掴まっている部分が人の肩だと理解する頃、間延びするようなローテンポの口調が耳に入ってきた。



「あのさぁ」



それは、久しぶりに聞く、とても冷たく重々しい声だった。



「レギュラーなれなくて腐るなら、そっちが辞めたら? あと、この子のこと馬鹿にしたの、許さないから」



次があったらヒネリつぶすよ。

そう、彼が落とした言葉に震え上がらずにすんだのは、多分彼の頭より上に私の頭があるからだろう。
背が高いのと低いのでは感じる圧迫感が格段に違うんだなぁ…と、場違いな考えを浮かべることで、なんとか現状から意識を逃避させた。

反論する言葉を失った男子からくるりと踵を返した紫原くんはそのまま廊下を進み、階段までくると壊れ物を扱いでもしているかのように、そっと私を下ろしてくれる。
衝撃に固まった私に会話する余裕があるはずもなく、ぎしぎしと音を立てそうな首の骨をどうにか操れば、今にも泣き出しそうな顔をした紫原くんが目線のすぐ近くにいた。

段差を利用して、身長差を合わせてくれたのだと思う。
それが彼の精一杯の配慮だと、その時の私には何故だか解ってしまった。



「ごめん」



それは、私を抱え上げたことに対してか。それとも、彼への悪意で利用されそうになっていたことに対しての謝罪か。
どちらでもない気もするし、どちらも正解な気もする。

彼の長い腕が伸びてきて、心臓がぎりぎりと締め付けられる。極度の緊張に、動けなくなる。
大きな手が辿々しく私の右手を握った時、迷子の子供のような顔をした彼が、消え入るような声で呟いた。



「好き」






幼心に芽吹く花 side:A



逃げないで。泣かないで。
笑ってほしい、と彼は縋った。
20120806. 

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