幼心の成長記 | ナノ




職員室からの教室に続く廊下を、放課後の人が少ない時間であるのをいいことに全力で走り抜けた。
そしてそのまま勢いを殺すことなく、開いたままだった教室の扉に飛び込む。



「紫原くん!」

「えっ」



教室の灯りが反射して、窓の外が真っ黒に塗り潰される時刻。クラスに残っているのは、職員室に呼び出しを受けていた私を待ってくれている紫原くんだけだった。
突然の大声に反応して座っていた席から立ち上がってしまった彼に、駆け寄って力いっぱいに抱き付く。驚きの声が上がったけれど、今は気にしていられない。
大きく狼狽えながら疑問符を飛ばしている彼の胸に、顔をぶつけるような勢いでしがみついた。



「受かった!」

「えっ? うかっ…?」



体当たりのような抱き付き方だったのに、蹌踉めいたりしない紫原くんはさすがだ。
とりあえずという風に背中に回される腕に、浮かれた気持ちが私の中で倍増する。



「受かったの、高校! 合格通知が届いたって呼び出しで…っ」

「あ……」



嬉しさと安堵で、今頃力が抜けてくる。これで漸く、口にできるのだ。
ほっと大きく息を吐く私とは対照的に、ぎくりと身体を固くする紫原くんの反応を肌で感じた。



「そっか…うん」

「やっと安心できたよー…落ちてなくてよかったぁ」

「…嬉しそーだねゆあちん」

「うん、とっても嬉しい」



傷付いた顔を隠すこともできずに眉を顰め、噛みしめられそうになる彼の唇。そうさせないために伸ばした指を顎に置いてやれば、驚いて丸くなる瞳に見下ろされた。

近くに寄ると見上げる角度が増すから、少しだけ首がきついけれど。しっかり合った視線を確かめて、にっこり笑いかける。
彼が好きだと言ってくれる、満面の笑みを、きっと浮かべられているはずだ。



「これで、紫原くんと一緒に行けるよ!」

「そー…………え?」



ぴたり。そんな音でもしそうなくらい見事に動きを止めた紫原くんが、壊れた玩具のようにぎこちない動きで首を傾げるまで、少なくとも三秒以上がかかった。
それまでの、重苦しい空気を誤魔化すための気の無さそうな返事が、音からして引っくり返る。
限界まで見開かれた紫原くんの目は、いつもの眠たげな雰囲気なんてどこかへ置いてきてしまったようで。
信じられない、という気持ちをありありと語っていた。



「な…今、何、言ったの…ゆあちん」

「紫原くんと一緒に行けます」



じゃんっ、と背中に回していた手にちゃっかり持っていた通知書を、身体を離したタイミングで顔の前に突き出す。
ちょっとばかりはしゃいでしまうのは許してほしい。それくらい、私だって嬉しくて堪らないんだから。



「な……なん…」



けれど、これ以上ないくらいに瞠目する紫原くんはすぐには現状について来れなかったらしい。
わなわなと震える彼は私の手に収まるクリアフォルダの中の書類を凝視して、叫んだ。



「なっ…にこれ! 合格…陽泉高校!? はっ!?」

「頑張ったでしょ」

「がんっ…いや…いや、ちょっと待ってなにそれ!?」



予想からそこまで外れない反応だから、対処には迷わない。
静かな教室によく響く彼の声をとりあえずは落ち着けるために、ぽんぽんと制服の胸を叩いてやった。しかしさすがの彼も、それで簡単に絆されてくれるほど甘くもなかったようだ。



「何で最初から言ってくんなかったの!?」



力強く両肩を捕まれて、うっ、と息を詰めてしまう。慣れはしたけれど、眉を吊り上げて迫られると圧迫感が込み上げる。
そのまま揺さぶってきそうな紫原くんに、どうどう、と向ける掌と一緒に笑顔を添えた。



「だって、期待持たせておいて落ちたりしたら、最悪だと思って……ほら、格好も悪いし…」

「バッ…カじゃねーの! ゆあちんが落ちるわけないじゃん!」

「いや…絶対はないと思うよ。受かったけど」



受かれば問題はないけれど、一緒に行くと語りながら受験に失敗したりしたら目も当てられない。
ガッカリさせるようなことはしたくないから、いい結果だけを報告するために一人で頑張ったのだ。



「勉強もそうだけど…親の説得とかもしなくちゃいけなかったから、やっぱりちょっと手子摺っちゃって」

「! そーだよ…それ、ゆあちんのお母さん許したのっ?」

「生まれて初めての親子喧嘩になったけど、許してもらえたよ」

「喧嘩っ!?」



ゆあちんが!?、と驚く紫原くんに、保っていた笑顔が乾いたものになりかける。
確かに、両親の説得の方が勉強云々よりも気力を削られたような気はする。けれど、意地の張りどころだったのだ。梃でも譲らないつもりで我儘を貫いた。
諦める気はなかったし、そこら辺のいざこざも、越えてしまった今では後悔していない。

とても渋られたし、これからも心配を掛けてしまう。悪い娘になってしまうけれど。



「そんな感じで…言えなかった理由は諸々あるけど、紫原くんだって私のために頑張ってくれたこと沢山あるでしょう? だから私も頑張ってみただけ」

「それでもっ…手伝えることあったかもじゃん!」

「女の意地だよ」

「いっ意地、って…!」



ぎゅうう、と握られる肩が若干痛い。なのに、私よりも紫原くんの方が顔全体を顰めているんだからおかしい。



「意地なんかより、オレへの気持ちをとってよ……っ」



ゆあちんのバカ、と落ちてくる声はもう殆ど泣き声に近くて、堪えきれずに噴き出してしまった。
それがまた彼の気に障ったのか、ゴツン、と頭のてっぺんに頭突きされる。やっぱり少しは痛かったけれど、紫原くんの方が涙目だった。



「大体、オレにはあんな厳しいこと言ってっ…ゆあちんは何なんだよ!」

「同じだよ。私のために、ちゃんと考えた結果。紫原くんとずっと一緒にいたいから、いるために、頑張ったの」



一人で考えて、親を説得して、勉強だって真面目に取り組んで。
だからできれば怒るより、褒めてほしいな…と思う。
譲らない気持ちでいたけれど、掴み取れるか不安だった瞬間も、あるにはあった。

全部飲み下して奔走できたのは、彼のためではなく、自分のためだ。



「私には目立った才能なんかないから、自分に都合のいい方に進むべき。で、陽泉は語学にも力を入れてるし、校風も悪くない」



怒っているようなのに、頭はくっつけられたまま離れようとしない。重力に逆らえなくなってとうとう落ちてきた雫を、伸ばした手で、指でそっと拭い取る。
視線が合いにくい距離に、こんなに近くなれたんだなぁ…なんて、感傷に浸りながら。

やっぱり、離れられない。
私が無理だと、実感する。



「何より、今はまだ近くにいて、たくさん知り合う期間がないと…紫原くんとずっと一緒にいられない気もしてるから」



拭いても拭いてもきりがなく落ちてくる涙を、指で受け止めるには足りなくなってセーターの袖を伸ばす。
そうして顔を拭いてあげようとしたところ、ぐすぐすと鼻を鳴らす紫原くんの手が、一度肩から離れて私の背中を引き寄せた。

少し驚くも、逃げるような場面じゃない。何より、広い胸に収まってぎゅう、と抱き締められるのは、少し息苦しさはあっても幸せに満たされる。
こんな風に、傍にいることが当たり前になるくらい、親しい関係になるのは簡単じゃないのだ。
時間がかかるから、どうしても、今は手放せないと思った。

涙を拭ってあげられなくなる代わりに、何回りもある背中をよしよし、と撫でる。
私が感じている温かさや幸福感が、同じように彼にも伝わればいい。



「紫原くんは…私がいなくても意外と大丈夫だと思ったの。だから、これは私の意思で我儘」



子供じみていて我儘でも、理性も働くし器用な人だ。
放っておかれて一人になっても、何とかやっていける。傷付いてもちゃんと立ってこられたことを、私はよく知っている。

私がいなくても、本当はきっと、紫原くんは大丈夫。
なんて…ここまで言ってしまえば、やっぱり彼は更に泣き出してしまう予想もつくのだけれど。



「赤司くんに訊かれたんだ。離れても平気か、って。でも私は、大丈夫とか大丈夫じゃないとか…大事なのはそこじゃないと思った」



離れても息ができれば、食物や睡眠をとれば、人間なんだから当たり前に生きていけるよね。
だけど、心が満たされるかどうかは別の話だ。

満たされなくても大丈夫かもしれない。
けれど、この息も吐けなくなるほど込み上げてくる気持ち、熱を、好んで手放すなんて。それこそ馬鹿なことだと私は思うし、絶対にしたくないから。
今も、未来も、手に入れて離さない選択をした。



「離れて大丈夫でも、私が、紫原くんと離れたくない」



傍にいたいから、傍にいて離れさせないの。

そう決めたらあとは突っ走るだけだ。絶対に譲らないと決めたものは、私は譲らない。
口に出して伝えるべきことを全部吐き出してしまうと、嗚咽を堪えるように大きく震えた紫原くんが私を抱いている腕に力を込めた。



「もぉ…ゆあちんはー…っ」

「ごめんね。紫原くんが駄目って言っても聞かない。…大分、我儘貫いてきちゃったけど」

「っんなの、言わねーし…!」



伝わった声と振動が、覆い被さるように抱き締められたままの身体の中をびりびりと走り抜ける。
胸はまだドキドキと落ち着かないのに、心地好くて。

覚悟してよね、と。わざわざ不機嫌を装った囁きに目を閉じながら、頬が緩むのを止められない。



「ゆあちんはオレと、ずっと一緒だから」



“ずっと”なんて、果てがない。いつか忘れてしまう日が来る、子供の口約束みたいだと思う。

それでも今、この時に永遠を願ったことは嘘じゃない。
消さずに続かせれば、叶い続ける願いだ。それこそ、“ずっと”、終わりまで。



「望むところだよ」






続行する




終わりまで、終わらせない気持ちを持ち続ければ。
きっとそれが、永遠というものになる。

20141123. 

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