幼心の成長記 | ナノ




ゴトン、と鈍い音を立てて落ちてきた缶を拾うと、冷えきっている指先に熱による痛みが走る。
身体は寒さを感じているのに、いざ熱源に触れたら火傷しそうになるんだから人間の身体はうまくできていないと思う。

セーターの袖を伸ばして二つの缶を掌に、来た道を引き返す途中で生徒玄関を横切ろうとした時だった。
靴箱に向かおうとしていたんだろう、向かい側から現れた見知った影が立ち止まる。眼鏡越しに、ぱちりと瞬く目を見た。



「ミドチンだ」

「紫原か。こんな時間までお前が残っているとは…意外なのだよ」

「まーねー。ただの付き添いみたいなもんだし」



見て分かるくらい頑張っているゆあちんに、差し入れに温かい飲み物でも買っておこうかと思って先に教室を出てきたところだった。
ミドチンは真面目だから、自主的に補習にも出ているんだろう。想像できることだから、特に驚きもない。

引退式後はたまに廊下ですれ違う程度で、顔を合わせることが更に減ったし。会うのはいつぶりだっけなー…とぼんやり宙を見上げると、そんなことだろうと思った、と鼻を鳴らされた。
ちょっと失礼だと思うけど、否定もできない。実際ゆあちんがいなければ、居残りなんて無駄なことで時間は潰してないし。
本音を言えば、もっとちゃんとしたデートでもして過ごせたらいいと思うけど。
今は居残りでもしなきゃ、傍にいられないんだから仕方ない。邪魔できないタイミングだってことくらい、相当の馬鹿でなければ分かるものだ。



「だが、付き添いと言うからにはお前も進路は決めたのだろうな。確か有力候補は東北の学校だと耳にしたが」

「んー…まぁ一応、申請も出したよ」

「そうか」

「ミドチンはー…えっと、秀徳?」



確かそんな話を聞いた気がする。
示し合わせるみたいに、かつてのレギュラーメンバーは誰一人として同じ高校への進学は選ばなかった。
それではつまらないと赤ちんも言っていたから、その点についてはどうでもいいことではあるんだけど。
頷いたミドチンを、羨む気持ちが芽生えないこともない。
タイプの合った高校が比較的近場に見付かるというのは、オレにとってみれば酷く恵まれたことだ。



「東京ならいいよねー…離れたくない人と、離れずに済む確率上がるし」



もう選んで決めてしまったから、今更どうにもならないことだけど。
首都圏内なら、一緒に来てほしいとねだっても許されたかもしれない。それが無理でも、そこまで開いたりしない距離に不安を覚えることもないはずだ。

溜息と一緒にオレが不満を吐き出せば、それを聞いたミドチンが、軽く目蓋を伏せたように見えた。



「そうとも限らないのだよ」

「…へ?」

「誰かと離れ難くとも、この先もずっと変わらずにいるのは無理だ。特に、物理的に近くにい続けられるということはあり得ない。高校が違う上に、お互い部活に所属してしまえば…恐らく時間も合わなくなるのだよ。それくらいは容易に想像が付く」



てっきり、馬鹿にされて切り捨てられるだけに終わると思っていた。僻みを含んだ言葉に、長々とした答えが返ってきたことに驚いた。
ぽかんと口を開けているオレに気付いていないのだろう、淡々とした口調で話し続けながら、ミドチンは廊下に落としている視線を上げない。



「…気持ちだけでも繋がっている方が、余程絆が強いこともあるのではないか」



まさか。そんな言葉がその口から出てくるなんて。
気持ちとか、絆とか。特に素直じゃない性格をしているミドチンが語るには、不似合いな単語のように感じる。
けど、そういえば、だ。前にも似たようなことがあったのを、不意に思い出した。

絶対にミドチンには馴染みのない内容だと思っていたのに、珍しく恋愛事の悩みにアドバイスらしきものをくれたことが、一度だけあったような。
あの子の優しさに釣り合えなくて、オレが一人で勝手に自己嫌悪に陥っていた時のことだ。
よく見てよく知っていくことが大切だ、なんて言ってくれたのは、今オレの目の前に立っている元チームメイトで間違いなかった。



「…ミドチンさー」



もしかして。
まさかとは思ったけど、その口ぶりだったから、つい気になってしまう。



「好きな子でもいんの?」

「…お前には、関係ないのだよ」

「うわー……確かにないけどさー」



それ、答えたようなもんだからね。
胡乱げに持ち上げられた目が歪んだのを見て、確信は深まった。

相手がどこの誰かは知らないし興味もないけど、ミドチンはミドチンで思うところがあるのかもしれない。
そう考えると、ちょっとだけ悪いことを言ったかもしれないな…とも思った。気持ちが繋がっていれば、なんて言うくらいだ。状況は察せる。
追求してほしくなさそうだから、わざわざ謝ったりはしないけど。



「なんかさー…贅沢なのかもね」



お互い、得ているものはきっとあるのに、足りないものはいくらでも欲しがって。
オレなんて、最初は話ができるだけで、笑顔を向けられるようになっただけで奇跡みたいなものだったのに。

会って触れる距離にいないと、断然不安だと思ってしまうようになった。
繋がりを手に入れた後の方が、欲深くなってしまってるんだから酷いものだ。

力を抜いて頬を緩めれば、ミドチンも息を吐く。そうだな、と頷く首が酷く重たげなものに見えた。






 *




無理矢理に納得させたはずの心が、ざわついて落ち着かなくなることが増えた。
多分、疑念を殺しきれていない所為だ。信じきれていない、自分が嫌になる。



「はいゆあちん、あげる」

「え?…あ、あったかい」



ミドチンが帰った後、教室まで引き返す前にこっちにやって来ていたゆあちんと出会したから、ちょうど手に持てる温かさになった缶を渡すとふんわりと表情が柔らかくなる。

可愛いなぁ、と思う。
ありがとう、とお礼を言うために見上げてくる笑顔は、オレが長い間ずっと欲しかったものだ。いつだってぎゅう、と胸が苦しくなるし、満たされる部分が確かにある。



(あるんだけどなー…)



なのに、何で、隙間風が通り抜けていくみたいな寒気を感じるんだろう。
季節の所為だっていうならいい。けど、これは多分別物だ。似たような感覚に覚えがあるから解ってしまう。



「あと…言い忘れてたんだけど、オレ受験申し込んだんだー。推薦だけど」

「えっ…あ、でもそうだよね。もう時期だもんね」



並んで帰り道に足を進めて、自然と繋がれる手。この距離がなくなってしまうことを、どうしたら心から納得できるんだろう。

どこに行くの?、と訊ねてくるゆあちんに、本当はどこにも行きたくない、と返したくなるのを我慢した。



「陽泉ってとこ」

「陽泉高校? って、確か秋田の?」

「うん」



誰かから聞いたり調べたりしたのかもしれない。ゆあちんは、オレの選んだ進学先を知っている様子だった。
勧誘が来たくらいだし、成績も問題ない。正直結果は決まったようなものだ。
遠い場所に行くことになったと聞いたらどんな反応をされるんだろうと、緊張感が込み上げる。

びっくりするかな。
嫌がってくれたり、するかな。
速くなっていく心臓の音が聞こえてきそうで、無意識に溜まった唾を飲み込んだ。



「そっか、分かった」



どくん。
内側で大きく跳ねた音を耳にして、立ち止まらなかったのが奇跡だ。
反射的に見下ろして確認したゆあちんは、笑っていた。軽く頷いただけで、それ以外の、負の感情なんて欠片も見当たらなかった。



(何で)



私も頑張らないと、なんて付け足された無邪気な言葉が、耳の中を通り抜けて消えていく。
覚えのある、冷たい塊が身体の中心に落ちてくる感覚に、背筋が震えた。

何でそんなに、平気そうなの。
何で普通に笑っていられるの。






うたがう




離れるのが怖いとか、寂しいとか、不安だとか。
そんな風に感じてるのはオレだけだと、突き付けられてしまったみたいだ。

20141119. 

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