幼心の成長記 | ナノ




席が近くても、今までと何も変わらない。
話しかけちゃいけないし、あんまり見つめ過ぎてもいけない。触るなんて、以ての外。

そうしないと逃げられてしまうと、赤ちんが教えてくれたから。






窓際付近で受ける午後の授業は、昼寝しろと言ってるようなものだと思う。
お菓子も食べられないし、何をしようとも思えないつまらない時間。いつもなら机に突っ伏してしまうところだけど、今日のオレに眠気は襲ってこない。

隣から来る甘い匂いが風に乗って鼻を擽る。
それに反応してぐーぎゅるるとなる腹を、右手で押さえて俯いた。



(お菓子、食べたい…)



今日のオレは、朝からお菓子を一口も食べていなかった。

もちろん買い忘れてきたわけでも何でもなく、お菓子ならいつものごとく鞄の中にたくさん入れてある。
だけど絶対に今日はそれらを出して食べてはいけなくて、誰かが差し出しても受け取ってはいけないという命令を、赤ちんから下されていた。

その命令を下された時は、さすがに鬼だと泣きたくなった。
その命令の理由が、オレの為のものだとしても。






「花守から菓子が欲しい?」

「どーしたらいいと思う? 赤ちん」



もうすぐ調理実習があると聞いた日、当たり前のように浮かんだ欲を叶えるためにどうしたらいいのか、判らなかったオレはとりあえず赤ちんに相談してみることにした。
調理実習は女子のみで、できあがったものは各自持ち帰りが許されている。大体は友達同士で交換したり、好きな人間にあげたりすることが通例らしいというのは知っていた。

けど、オレはあの子と友達じゃないし、普通に考えて貰えないだろうことくらいは、いくらオレでも解っている。
それでも他の人間に取られるのだけはどうしても嫌で、何とかしたくて赤ちんに相談した。

赤ちんは頭がいい。オレの気持ちや行動を把握しているから、全部を全部説明する必要がない。しかも出される答えは全部正しいから安心できる。
だから今日もいつものように答えてくれると思い込みながらそう訊ねたら、基盤から顔を上げた赤ちんは軽く視線を宙に投げた。



「ああ、調理実習か。確かメニューは焼き菓子だったな」



さてどうするか、と、赤ちんは顎に手を当てた。
すぐに答えが返ってくるだろうと思っていたのに考え込まれて、胸の内側辺りがざわりと蠢く。



「無理、なの…?」

「そうだな…可能性は限りなく低いが」

「…う……」

「無いとは言ってないだろ。早々に落ち込むな」



大体において自業自得だろう。
そう言う赤ちんの目は呆れたもので、向けられたオレは身を縮こませることしかできない。

赤ちんの言うことは正しいんだろうけど、それでも仕方ないじゃん…。
こんな気持ちは知らなくて、どうすればいいか分かんなかったんだから。



「俺も鬼じゃないからな…一つだけ、貰える可能性がある方法ならある」

「! なに? どうしたらいいの?」



多分その時のオレは、地域限定のお菓子を与えられた時よりも期待に満ちた顔をしていた気がする。
次に来る赤ちんからの命令を、いいものだと疑いもしないで。



「彼女の菓子が欲しいなら、他からは一切受け取らずに我慢してみろ」

「へ?」

「ああ、その日一日持参した菓子も食べるのは禁止だ。そうすれば花守なら…まぁ、賭けだな。やってみないよりやってみた方がいい」



赤ちんの口から出てきたその作戦は、オレの首を絞めるものだった。






漂う甘い匂いに空腹を訴える腹を抱えて、机に沈む。
実習は午前の4限目だった。今は5限の終わり間近で、そろそろ何もかもにやる気がなくなってくる。

朝から何度も鞄に伸びそうになる手を机にくっつけて、心配したクラスメイトから差し出されるお菓子も泣きそうになりながら首を横に振り続けたのに、隣に座るあの子だけはいつも通り、最低限しかこっちに顔を向けない。
オレを、視界に入れないために。



(赤ちんの嘘つき。貰えないじゃん)



腹は減るしお菓子の匂いは付きまとうし、なのに差し入れは受け取ることは許されていなくて、一番欲しい子からも貰えない。
心臓の裏側を擦られているような痛みが襲ってきて、目頭が熱くなった。

やっぱり駄目かもと諦めそうになるのに、諦めきれなくて視線だけ横に向ければ、その子は真っ直ぐに黒板と長ったらしい英文を読む教師を見つめている。

黒板も教師も爆発すればいいのに。
そう思うけどそんなに急に物も人も爆発したりしないし、しても困るし。

オレの視線になんか気づきもしないその子に、どんな声で、どんな言葉で話しかければ怯えた目を見ずにすむのかと、真面目に考えてみても分からなかった。

何でもいいから、普通に、目を見てほしいのに。



(…髪も、真っ直ぐ)



この子らしいなと、真っ直ぐに下ろされた髪を見てぼんやりと思う。

何でもかんでも一生懸命で、何でもかんでも真っ直ぐに接して。
なのに、オレのことは真っ直ぐに見てくれない。



(こんな特別、いらない)



こんな痛い特別ならいらなかったのに。

何が悪かったのかなぁと、少し遠い過去に意識を向ける。
中学一年の頃は、まだ会話はできていたと思う。と言っても、一方的に投げ掛ける言葉にこの子は固まったり、縮こまってか細い声で謝るだけで、まともな会話にはならなかったけれど。

気に入らないんだと思っていた子が、実は一番気になっていた子だった、なんて、本当に馬鹿らしい話で。
この子の弱点、抜けている点、自信のない点を見つけては責め続けた結果がこれだ。
それだけよく見ていたということだけど、この子はそうは受け取らなかった。

オレだって気づいていなかったんだから、何で解らないのか、なんて責められるわけもないけど。



(でも普通に…話して、みたい…)



青ざめた頬も、潤みかける瞳も、震える肩も、見飽きるほど見てきた。
だけど他の人間には簡単に見せる、笑顔だけは一度も向けられたことがない。
しかも、この子なりに考えてオレの行動を探って避けまくったんだと思う。ついには一年間、ほとんど顔を見ることすらできなくなってしまった。
そのことに気づいた時はさすがに頭が真っ白になったけど、もう何もかも遅過ぎた。

この子は絶対に、オレを見ようとはしない。

悔しいし、苦しいし、面白くない。
だけど、もう泣かせたくないのは本当だから、絶対にオレからは話しかけたりしない。

これ以上は駄目だと、赤ちんに言われた。
これ以上今までのようなことをすれば、この子は部活を辞めるかもしれないし、決定的にオレを拒絶する。そう、赤ちんは言ったから。

それだけは、嫌だから。



(がまん……)



泣きたくても、泣いても、我慢しなくちゃいけない。

思い出しては力が抜ける、過去の出来事を反芻しながらもう一度腕に顔を埋めた時、5限終了のチャイムが鳴った。





幼心の苦肉の決断



そうしてすぐに、ぎこちなくかけられる声に、飛び起きることになったのだけれど。



(あ、あの…紫原、くん……)
(っ!? な、何…っ!?)
(さっきから…お腹の音、すごいし‥朝からお菓子、食べてないみたいだし……その、あのっ……)
(………うん)
(実習の差し入れも、断ってたし……何か、あったの…?)
(ん……あのね)
(う…うん…)
(お菓子、欲しいんだ)
(………え?…と、貰えば…いいんじゃ…)
(…ゆあちんのが、欲しい)
(……は?…え、っと…うん。私ので、よければ…)
(!! 本当!?)
(!? う、うん…? でも、その、名前は…)
(っ…ありがと、ゆあちん…!)
(あ、うん……確定、なの?)
20120805. 

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