幼心の成長記 | ナノ





「進学先…決めた?」



彼が意図的に避け続けているだろう現実を、初めて口に出して訊ねた。
今は逃げていられても、いつかは辿り着いてしまう選択だ。現実主義なところのある紫原くんが根っから惚けたりするはずがない。彼にも重々解っていることだろう。
その証拠に歩調は乱れ、私に向けられていた視線も宙をさ迷った。

沈黙は長かった。それでも、無駄に責付いたりはしない。
辛抱強く答えを待っていれば、歩幅を元に戻しながら、紫原くんは重くなった口を開いてくれた。



「……まだ、だけど」

「そう…そっか」



まぁ、そうだよね。
返ってくる答えなんて、想像するに容易いものだった。だから私の胸には、特に大きな衝撃を与えたりはしない。
寧ろ、私の方が…やっぱり、棘を沢山蓄えているように思う。

少し、変わっちゃったかな。
彼の視線が向けられないのをいいことに、少しだけ苦笑を溢した。
私はどうも、紫原くんといると酷い子になってしまうみたいだ。



「でも、推薦でももう決めなきゃ困る頃じゃないかな。これからの自分のために、ちゃんと考えなくちゃ駄目だよね」

「…そ、れは…オレも一応ゆあちんと話そうって思って」

「それにしては、ちょっと遅いかなぁ」

「……ゆあちん?」



ぎしぎしと、隣を歩く人の筋肉が硬くなっていくような気配がする。
繋いだままの手にも力がこもって、少しだけ痛かった。

でも、これくらいは私も我慢しなくちゃ駄目だ。



「紫原くんは、天才だよね」



見下ろしてくる瞳が微かに怯えを孕んでいることに気付いていて、私は弛い笑顔を保って覗き込む。

ゆらゆら揺れる紫色が、いつからこんなに愛しいと、可愛いと思えるようになったんだろう。
今はそんなことに気をとられている場合でもないのだけれど、つい吸い込まれてしまいたくなるから、私も相当参っている。



「才能があって、運もいいことに、活かせるチャンスもある。チャンスはいつもタイミングよくやって来たりしないから…考えて、実を結ぶ選択だと分かっているなら、迷わず選んでほしいって思ってるんだ。私は」



ぎゅっと抱き締めてあげられる場面じゃないのが、残念だと思いながら指先で繋いだままの手の甲を叩いてやる。



「私は、自分のためになる道しか選ばないから」



子供を諭すように言葉を選んで、ゆっくりと語りかければ、物言いたげに開きかけた唇を噛んだ紫原くんは、徐々に俯いていった。
長い前髪が遮っても、上背がある彼の顔を覗くのは難しくない。それを許されていることも分かっているから、躊躇ったりもしない。

正面から向き合った私に、足を止めた紫原くんは顔全体を顰めるように目を瞑った。
そして大きく吸った息を吐き出して、再び目蓋を押し上げる。



「……わかった」



身体も声も、震えてはいなかった。
けれど、受けた返答はとても重々しい空気を纏う。



「正直、心の底から納得はできないけど…」

「うん」

「ゆあちんが言うことは、理解できるし」

「うん」



言いたいことを、本当に望んでいることを必死に堪えながら吐き出しているんだろう。言葉に覇気はないけれど、今正に痛んでいる心を私だけは見透かせる。



「ちゃんと、自分で考えてみる……けど、」

「けど?」



刺激しすぎないよう、穏やかに相槌を打っていた私に、小さな間を開けた紫原くんは私の手を握り直す。
迷子の子供が必死に縋ってくるような、そんな目をして。



「別れないからね。絶対…てゆーかそれ、別れるつもりとかじゃ…ないんだよね?」

「……」

「…ちょっ、な、何でそこで笑うのゆあちん!?」

「っ…ごめん、なさい。だって…」



切羽詰まった顔で、何を言い出すのかと思えば。
真剣に訊ねてきたらしい彼には申し訳ないけれど、堪らなくなって噴き出してしまった。

途端に顔を赤くして眉を吊り上げる紫原くんに、宥める声も震えそうになるから困る。
可愛いことばっかり、言わないでほしいなぁ。



(別れる、なんて)



そんなこと、今の私には到底考えられないのに。



「私は、別れたくないし、一緒にいたいって思ってるよ」

「ん…なら、いいけどさー…」



相変わらず、私に甘くなってくれる人は不満を引っ張ったりしない。
言いたいこと、願いたいこと、頼みたいことはその大きな身体の中に幾らも詰め込まれているだろうに。

拾ってあげるどころか見ないふりをしている私も、意地悪をしている自覚はある。



(けど…仕方ないよね)



今は、ふわふわと遊んでばかりもいられない。我慢の時だ。

納得した顔を作って歩き出してくれる紫原くんに、心の中でお礼を言った。
きっとその胸が不安で満たされ始めることも、知っていて。私は癒さない選択を取った。






いためる




「でもねーゆあちん。もっと、さ」



今更だけど、と前置きする彼の声は穏やかで。だからこそ、私の身にも染み渡るようだった。



「もっと早く…ゆあちんが好きって、気付きたかったなーって」



そう、思うよ。

20141110. 

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