幼心の成長記 | ナノ




バスケ部に入部した一年時から、少なくはない嫌がらせを受けてきた。その程度は日によって変わるもので、仕掛けてくる人間の顔触れも様々だった。
一人が最初に行動に移してしまえば、それに乗っかるのに勇気は必要ない。いじめの大まかな仕組みで、あれも集団心理と呼ばれるものだったのかもしれない。
当時あからさまな悪意をぶつけてきた女子達には、確かに私へのやっかみはあった。けれど今考えると、降って湧いた状況に乗じて日頃感じている個人のストレスまで、私で晴らそうとしていたようにも思える。

多感な時期に、悪いタイミングが重なったのだ。
適切に対処しなければ、被害は収まらない。放っておくだけでは実害は増えるばかりで、物を盗まれたり壊されたりすることもあった。
それらの出来事を黙って受け流し続けるにも難しくなり始めてしまった頃に、それは起こった。

ある日の部活終わりのことだ。当時習慣のように押し付けられていた仕事をこなしている最中に、倉庫に閉じ込められたのだ。
奇しくも同等の経験を再び繰り返すことになるのだけれど、その時の私には初めての状況で、さすがに焦りもした。
外側から掛けられる鍵の音と、何が楽しいのか高笑いする聞き覚えのあるような複数人の女子の声。調子に乗るな、身の程知らず、性悪女、暑い扉越しに投げられる罵詈雑言には、聞き取れないものも幾らかあった。それはどこか遠い場所から聞こえてくる音のようで、地面に座り込んだまま彼女らが立ち去る足音がしても、私は暫く呆然としていることしかできなかった。

埃の匂いが充満する倉庫内には、外からの灯りが殆ど入らない。当然私以外の人気はなく、暗く不気味に静まりかえっていた。
鍵を掛けられてしまったのなら、扉は開かない。用具を運び終えて出ようとしたところで突き飛ばされてしまったから、危害を加えてきた人の顔は把握できていたけれど、体育館からそう近くないこの場では助けを呼ぶ手段はないようなものだ。

心優しいマネージャー仲間がいないわけではなかった。が、彼女達も先輩の命令には強く逆らえない。
それでなくても、私がいなくて荷物だけ取り残されていることに気付いてくれるか。最悪、その荷物だって荒らされるか捨てられるかしているかもしれない。
考えるだけで頭が痛んで、胸も痛んだ。

私が、何をしたっていうの。
理不尽さに、喚く気力もない。暴力という手段に訴えられなかっただけマシなのかもしれないけれど、一人で暗闇に閉じ込められて、心細さは拭いきれなかった。

人当たりが悪いとは思わない。気が利かないと言われるほどだらけているつもりもない。誰かを悪く言ったりもしていない。嫌いになったりもしないのに。
そうなりたくないからそうしているのに、狡い演技のように言われては、どうしようもなくて悔しくて、悲しくて。
堪えきれなかった涙は、誰も見ていないのをいいことに、暫くの間流し続けた。

泣いているだけでは事態は好転しないと解っていたから、私はもう気が済むまで泣くことにして、それが収まってから立ち上がり、入口とは別の壁に設置された窓を開けた。
ギリギリ手の届く高さにある窓からは、きっと脱出するのは難しい。どうしても助けを呼んで、扉から外に出なければ。怪我をして大事になってしまっても困る。

どうか、誰か通り掛かって。
そう、こちらに近付く足音が聞こえることを願った。
部員の大多数が帰宅する時間帯に、用もない体育倉庫に誰かがやって来ることは稀だ。
希望は薄いと分かっていても、それしかできない。両親が心配してしまう前に、帰り着きたい。

少しくらい辛いことがあっても、今更砕けてしまうわけもない。
無駄な体力を消耗しないため、窓のすぐ下に腰を下ろしなおし、壁に凭れた。次第に外の空気からも音が減っていき、空の色も変わっていく。
息を潜めるようにして体育倉庫の暗闇に溶け込んだ、その時間は恐らく短くはなかった。









そこまで語るまでに、繋いだ手は徐々に強張っていくだけでなく震えだしていた。
最寄り駅の改札を抜けて家路につく中、私に合わされていたはずの歩調はどんどん速度を落として、ついにはすっかり止まってしまう。

それまで黙って話に耳を傾けてくれていた紫原くんを仰げば、そこかしこにある街灯のお陰で顔色までは分からずとも表情は窺えた。



(ああ)



何度か、見たことがある顔だ。
幾回りも大きな体躯をしているのに、怯えた子供のような目で私を見下ろしてくる。何かを言いたげにもごつく口元は、少しだけ待ってあげれば震えながらも開かれた。



「何も…それ以上、されなかった……?」



怪我は、その後は、そいつらは。
短い言葉の切れ端ばかりが紡がれるのは、それだけ彼の心の内が穏やかではないからだろう。
悲しいのか悔しいのか、ぐるぐると思考を巡らせているのか。握り締められる手が、少し痛い。
言いたいことは何となく伝わる掠れた声に、私はうんと一つ頷いた。



「言った通り、暴力は奮われてないから」

「…違う。そうじゃない、ごめん」

「うん?」

「痛くないからいいとかじゃなかった。それ、いつ…ゆあちんは…っ」



どうしようもないように、彼の空いた手がその髪をぐしゃりと掻き崩した。
速まる語調と見開かれた瞳が、その焦りを語る。

いつ、と訊ねられたことへの答えは、二つ。
私の気持ちの方は、既に落ち着ききっていた。



「一年以上前の話。で…結局私が見つけてもらえたの、朝方だったの」



帰宅時間を過ぎて、夜中になっても私が帰らないこと、連絡がつかないことに両親は焦った。
何の行動も起こさずに待ち続けることもできず、部内の連絡網を使って監督やコーチ、その他の代表者や仲の悪くないマネージャー仲間に連絡をとったらしい。
それも深夜近くで、電話を受けた人達にも相当迷惑を掛けただろう。そして最悪の場合も考えて、警察にも連絡を入れていた。

私の説明に、大事じゃん…と溢した彼の声は、笑えないくらい弱々しいものだった。



「何で、オレ…知らないの、そんな」

「内輪で収めないと、部にも迷惑が掛かるだろうから…監督達と話し合って、犯人にはちゃんと処分も与えられたよ。紫原くんとはその頃親しくなかったから、耳に入らなくてもおかしくないけど」

「…それは……」

「まぁ、それでね。親にも部内で嫌がらせされてたって、それがもう流せないくらいにはなってるって、バレちゃって」



納得いかないと言いたげな表情は、敢えて無視して続ける。
それまでは隠しきれてたんだけどね、と私だけでも笑ってみせた。
彼の顔色は、依然冴えない。



「それ、誰が見つけに来たの」

「主将が。朝練前に早めに来て、校内を探してくれて」

「一年以上前…って」

「まだ虹村先輩だった頃だね」



結局、誰にも心配を掛けずにやり過ごすことはできなかった。
朝方になって、眠気に負けていた頃に自分を探す声が聞こえてきて、その時もまた安堵感に泣き出しそうになったくらいだ。

いつかは絶対に見つけてもらえる。けれど、それが何時間後かまでは分からない。
殆ど泣きべそをかくような状態で必死に呼び掛けに応えれば、扉は数分で開かれて、薄暗かった倉庫内に光が差し込んだ。



「主将、責任感の強い人だったでしょう? 気付いて対処できてなかったからって、付き添って両親に頭まで下げてくれて。それから結構、気にかけてもらってたから…嫌がらせも一旦は収束したの」



自分にも部員にも、厳しくあるべきところは厳しくできる人だった。
彼にも、感謝してもしきれない恩がある。

事件のあらましが一部の人間、しかも監督や主将にまで知られた女子達は、その内彼らから向けられる軽蔑を含んだ視線や扱いに耐え兼ねたのだろう。一人また一人と退部していった。
もしかしたら、私は更に彼女らに恨まれてしまったかも知れない。けれど一件がその父兄にまで伝えられてしまえば、さすがにそれ以降は彼女らも馬鹿な真似をすることはなかった。



「よく…挫けなかったね」



改めて過去に思いを馳せていると、話の途中から俯いてしまっている紫原くんが呟く。
そりゃあ、ね。私は笑顔を崩さずに返した。

確かに、嫌になって部活をやめてしまってもおかしくはなかった。
実際、やめるか、と訊かれもした。虹村先輩にも、真剣に問われた。そういえば赤司くんにも、似たような確認を迫られたことがあったような気もする。

こんなにちっぽけな存在でも、もしかしたら大事にされていたのかな。だったら身の程知らずでも、ありがたく思う。
変わらない答えを口に出させてくれた彼らのお陰で、気持ちに自信はついた気がするから。

今の私は、迷わずに口にできる。



「好きで始めたことだもん。力になれるならやめたくないよ」



代わりはいるだろう。私より優れたマネージャーなんて、いくらでも。具体的な存在だって思い浮かべられる。
だけれど、選手の邪魔にならないなら。誰かが少しでも必要としてくれるなら、私はまだ頑張りたい。役に立ちたい。力になりたいと思うから、両親にも我儘を言って部に残らせてもらった。

余計な心配を掛けると、分かっていた。
実際、心配を掛けすぎたからこそ…母は、一大要因であった紫原くんを、本気で嫌悪している。
申し訳ないけれど、その感情ばかりは私にもどうすることもできない。紫原くんだけが原因ではないとはいえ、紫原くんの行動が彼女らに火を点けたというのも事実に違いなかった。

黙りこくってしまった彼の顔を、少し迷いつつ覗きこむ。
今はもう力が抜けてしまっている手を、こちらから握り返した。



「紫原くんは…挫けちゃった?」



もう、やめるか。

私が訊ねられたものとは、違う意味を乗せて問い掛ける。

なんとなく、答えはもう分かっているのに、敢えて口にした私は意地悪だろうか。
一瞬息を詰めた彼は、すぐにそれまでの黙りを破ってぶんぶんと首を横に振った。私を見つめる目は歪められていたけれど、それだけで。予想していた通りだ。

彼だって、諦めない。



「…すげー、落ち込んでる。何も知らないで、ゆあちんがいるだけでいいと思って…何も、考えてなかったってよく分かって」



結局進んでも変わってもなかったんだ。
そんな風に言葉を紡ぐ彼に、何と声をかけていいか迷った。
私も、終わったことだと思ってたの。過ったそんな台詞は、逆に傷付けてしまいかねない。

私がそれを飲み込み頭を巡らせている最中、鋭く息を吸い込んだ紫原くんは、だけど、と続きを付け足した。



「オレ、それでも…自分のこと嫌になっても、離れたくないよ」



近付くこともできなくなるのが、何より一番怖い。

今にも泣きそうな顔をして、涙を流さなかった彼は、きっと彼が気付かないだけで進んで、変わっているはずだ。






語られる




そうね、私も。
心配ばかり掛ける親不孝者かもしれないけれど。
これだけ想ってくれる人を、今から逃してしまいたくなんか、ない。

20140617. 

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