押しすぎたかなぁ、と心の中だけで呟く。
あれからまた人通りに戻って、再び隣を歩いてくれているゆあちんは、それでも中々顔を上げてくれないし口数も少なくなってしまっていた。
これまで傍にいる内に少しずつ、仕草や表情、雰囲気を読み取れるようにはなってきていたみたいで、今も特に不安を感じたりすることはない。
これは多分、照れてるだけだと判る。
ちょっとしたことにびくびく反応して、正確な色までは目では確認できないけど、あからさまに恥ずかしそうにしている。胸に近い高さで揺れている頭を見下ろしていると、今食べているものの味も忘れるくらい気になって仕方がない。
長い髪をまとめ上げたバレッタなんて、そこにあるだけで心臓が引き絞られる感覚がするし。
どんどんおかしくなる。
底がないくらい、沈んでいく。這い上がれない。
オレだけがそうだった頃よりも、同じ場所まで沈んでくれたゆあちんがいる今の方が、引き返せないところまで来ている気がした。
(可愛い)
可愛い。好きだ。
確かめるみたいに、小さな手を握り込む力が増す。ぴくりとまた下方で肩が跳ねる。けど、決して嫌がられることはない。
苦しいくらいに、胸一杯に熱いものが込み上げた。
「ゆあちん」
「っ、うん?…なに?」
「出店、寄りたいとこないの?」
繋いだ手を揺らしながら訊ねれば、そわそわと落ち着きないながらも視線をさ迷わせたゆあちんの顔がある一点で止まる。
オレの方は見上げないまま、浴衣の袖から出た小さな手先がその方向を指差した。
「あ、あの…ヨーヨー釣りとか」
「好きなの?」
「うん…可愛いし。金魚すくいとかはすくえても飼えないから…」
「あー、お祭りの金魚ってすぐ死んじゃうっていうもんねー」
「ちゃんとした飼い方をしたら、別なのかもしれないけどね」
行ってみてもいい?、と、まだ緊張感を漂わせながらもちらりと窺い見上げてくるゆあちんは、普段の調子を取り戻そうと頑張っているように見える。
それがまた何だかいじらしくて、勿体なさに軽く揺らぐものがあったけれど、安心もした。
「ん、いーよ。行こっか」
大股だとついて来られないだろうから、浴衣ということもあっていつもよりも更に歩幅を考えて歩く。人込みを掻き分けるのには身体一つで充分で、人に流されそうになるゆあちんを庇って誘導するには身体が大きくて助かったなと思った。
目立つし困ることも多いけど、楽に庇える方が絶対にいい。
辿り着いた屋台は、オレンジがかった灯りに照らされていた。
オレのでかさに驚く屋台のおじさんに、笑いながらお金を払うゆあちんの隣に先にしゃがみこんだ。
水に浮かぶヨーヨーは確かに祭りの空気も影響して、少し特別なもののように綺麗だ。
ああ、でも、隣にゆあちんがいるからかもしれないけど。オレ一人で見たって、ヨーヨーはただのヨーヨーでしかなかった気がする。
「どれにするの?」
彼女の存在って偉大だ。
そんなことを考えながら、先端に鉤のついたこよりを構えるゆあちんを見やる。捲られた袖から覗く白い腕に少し心臓がドキッとしたけど、多分顔には出なかったはずだ。
釣れるかなぁ、と漏らしながら真剣な表情になるゆあちんは、オレの質問に迷わず一つのヨーヨーを指差す。
「これ、可愛いと思う」
指差された、水玉と不揃いな線の描かれた紫色のヨーヨーを目に写して、その一瞬で膝に顔を伏せた。
不意を討たれて締め付けられた胸の所為で、気道が狭まる。
(紫…って)
弛みそうになる口を何とかしたくて、歯を食い縛る。
これは多分深読みしてもいいやつだ。また込み上げてくるものに浮かされそうになって、吐き出した息は妙に熱かった。
「あっ…」
「ん…アララ、切れちゃった?」
小さく唸りながら釣り上げようとしていたゆあちんの声が、残念な色を滲ませて途切れる。
落ち着けた顔を上げて手元を覗けば、こよりは鉤の少し上で千切れていた。
「うー…やっぱり難しいかなぁ」
「ゆあちんってこーゆーの苦手なの?」
「あんまり上手くはないかも…」
お父さんとか、友達が得意だと取ってくれたりするから。
ちょっとだけしゅんと肩を落とすゆあちんに、なるほどと思う。どちらかと言えば器用というより努力型であることは知っているし、こんな顔をされたら周りの方が手助けをしたくもなるだろう。
それがゆあちんに好意を持つ人間なら尚更だ。
例に漏れるどころか一番例に出しやすいオレなんて、ちょろいものだと自分で思う。
「兄ちゃん、彼女にとってやんないかい」
「あー…うん。やってみよっかなぁ」
店主のおじさんに背中を押されてしまえば、小銭を取り出すしかなかった。
彼女という響きにも乗せられるし、本当オレってゆあちんが絡むとちょろい。
「紫原くん、得意なの?」
いいのかな、という表情で遠慮気味に見上げてくるゆあちんに、その頭を軽く撫でておく。別に本人にねだられたわけでもないんだから、気にする必要もない。
鉤の付いたこよりを二本、おじさんから受け取ってプカプカと水に浮かぶヨーヨーに再度目を落とした。
「どーかなー…こっち系はあんまりやらないけど」
射的や輪投げなんかは、腕を活かせるから得意だ。手先にテクニックを必要とする釣り系の屋台は、景品にもなければ自分一人だと面倒なこともあって、あまり昔から廻らない方だった。
食べ物じゃないし、興味も引かれないし。
だけどゆあちんが気になるものなら、一緒に見たいし手に入れてあげたくもなる。
片方は手に持ったまま、こよりを軽く捻ってから先の鉤を水に落とす。
欲しがっていたヨーヨーのゴムを水面に引き上げて、少し持ち上げてみたところで一つ目のこよりは千切れた。
糸は千切れても、ゴムの輪は近くのヨーヨーの上に乗っかっているから、一度目はこれでよしとする。
「次でいけたらいいけど…」
二本目のこよりを捻って強度を上げてから、水に触れさせないようにしてゴムの輪に鉤を引っ掛ける。
隣から感じる期待と前から感じる面白そうな目線に気を取られないように落ち着いて、慎重に引き上げたヨーヨーは構えていた器に落とすことができた。
「取れた」
「すっ…ごい、紫原くん、上手…!」
ぱっと辺りに花でも咲かせそうな笑顔で手を叩いて喜ぶゆあちんに、一々心臓を潰された気分になる。
軽く水気を拭き取ったヨーヨーを渡せば、今日初めてはしゃいでいるゆあちんは何度もお礼を言って喜んでくれた。
にやにやとこっちを窺っている店主にはむず痒い思いもしたけど、ゆあちんがこれ以上ないくらい笑って喜んでくれたから、それくらいは我慢できる。
「嬉しい、可愛い…ありがとう、紫原くん」
「どういたしましてー。ゆあちんが嬉しいならよかったし」
目的のヨーヨーは取れたから、二個目はいいかと店を後にした。店主のおじさんのお幸せに、なんてノリのいい声が背中に掛かって恥ずかしかったけど、悪い気もしない。
ゆあちんも興奮で緊張が解れたのか、繋ぎ直した手にはさっきよりも力が込められていた。
「次、どこに行こっか」
巾着と一緒に揺れるヨーヨーを確かめてはにこにこと笑って、オレの手を引いてくる。
浴衣で見た目は少し大人っぽく見えるのに、仕種はいつも通りのゆあちんだ。だけどそのギャップが可愛くて、心臓は何度も撃ち抜かれる。
「ホント、ゆあちんって…」
「え? なに?」
「…何でもないよー」
ぎゅっと抱き締めたくなるし、キスだってしたい。
けど、我慢すると言ったし、そのつもりでいる。
ゆあちんの大事な人達に認められるまで頑張ろうと思う、気持ちに嘘はない。
嘘はない、けどさぁ。
(無自覚って怖い…)
小悪魔って、案外こんな子を言うんじゃないだろうか。
屋台の光を拾った丸い瞳が、きらきらと見つめ上げてくる。薄く開いた唇が目に入るとその感触まで思い出してしまって、オレの方が落ち着きをなくしそうになる。
不思議そうに首を傾げて、それでも表情は柔らかで。こんな彼女ができた自分を褒めてやりたいけども。
やっぱり、可愛すぎるのも問題だ。
嘆息するこれオレ、簡単に手出したりできないんだろうな。
それなりに幸せではある悩みに、誰にも聞こえないようにそっと溜息を吐いた。
20140418.
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