幼心の成長記 | ナノ




最寄り駅に着くと、浴衣や甚平を身に付けた人間が視界にちらほらと入り込んでくる。
お陰で、道には迷わずにすみそうだ。同じ目的地を目指しているであろう彼らに続く、足取りは普段より歩幅が狭くゆったりとしたものになった。

流れに流されながら下駄を鳴らす歩調に、何かを言う前に紫原くんも合わせてくれる。
コンパスの差を考えれば私には合わせにくいはずなのに、きちんと隣に並ぶ彼に少しだけ胸を擽られるような気分になった。



「さすがに…人多いね」

「んー、まぁでも、手繋いでれば大丈夫だよ」



オレ見失われることそんなないし、人混みも押し負けないだろうし。

家の近くから繋がれたままの手を軽く持ち上げて示されて、確かに、と頷いた。
もしはぐれてしまっても、私が紫原くんを見つけるのはそう難しいことではなさそうだ。二メートル越えの上背は、ごった返す人混みの中でも抜きん出て目立つ。
逆に、彼が私を見失ったりしたら大変かもしれない。そう口にすれば、更にしっかりと絡めた手を握り締められた。



「見失ったりしないと思うけど、離さないに越したことないよねー」

「…うん」

「ゆあちん?」



微妙に送れてしまった反応を気にして背を屈めて覗きこんでくる彼から、そろりと目を逸らす。



(どうしよう)



どうしよう、私。浮かれてる。
こんなことだけで、嬉しさと恥ずかしさに胸がきゅうっと締め付けられる。

手を繋ぐくらいの触れ合いならもう何度も味わっているし、今更照れる謂れはないはずなのに。
黄昏を通り過ぎ、薄暗い視界に縁日特有の出店や雪洞の灯りが目立ち始める。色んな音が混ざり合う喧騒が近付いてくれば、独特の空気が身体に絡み付くようだった。



「何でもないよ。それより、どう廻ろうか」



変な照れを振り払うために話題を振れば、訝しげに首を捻りながらも紫原くんは答えを返してくれた。



「んー…オレさぁ、お祭りでもわりと何でもできるし、食えるから、ゆあちんの好きなとこ行こうよ」

「え?」

「そもそもここ来たのもさ、オレも楽しめるとこにしようって、ゆあちんは考えたんじゃない?」

「え…うん、それは…」



勿論、それは否定するようなことでもないので素直に頷き返すと、やっぱりねぇ、と困ったように眉を歪めた笑顔が落ちてきた。
そんな反応をされるとは思わなくてぎくりと強張りそうになった胸は、それを読んだようにゆっくりと伸ばされた空いた手に頭を撫でられたことで、柔らかさを取り戻す。



「オレのために考えてくれてくれたんだよねー…ありがとう。でも、ゆあちんといられるだけでもオレは充分嬉しいから」

「…うん」

「だから、オレもゆあちんに嬉しく思ってもらいたいから、ゆあちんの好きなものもたくさん知りたい。オレに合わせないゆあちんのことも、ちゃんと知りたいんだよねぇ」



オレばっかり優先しないでいいから、という言葉を受け取りながら、また呼吸が乱れそうになる。すぐに返事ができるほどの余裕はない。

些細なことを手に取って気にするように、彼の精一杯で大事にされているのが分かってしまうから。
言いたいことも何となく解って、胸が一杯になった。



(ずるいなぁ…)



本当に、こういうところが、紫原くんはたまにずるい。
自分だけが楽しいなんていう間違いも、愛しくなってしまうから悔しくて。でもやっぱり、これまで以上に好きになってしまって。

顔を上げて見返した高い位置にある瞳は、いつもよりも深い色みに染まって幼さが抜けていた。
どきりと疼く鼓動は、いっそ隠さない方がいいのかもしれない。



「私、ね…お祭りも好きだよ?」

「…一番来たいくらい?」

「番号は付けられないけど…紫原くんと来れたら楽しいだろうなって思うくらいは、好き」



ぱちりと瞬いた目は丸くなって、私を凝視する。
居たたまれなくて逃げ出したいような気分は、自分の中身をさらけ出す恥ずかしさから来るものだから、逃避できない。



「大好きな人と、お祭りでデートするの…私だって嬉しいって…思う、よ」



羞恥心が顔を火照らせるのが判ったけれど、これくらいは口にしないと彼には伝わらない。
かぁっと昇ってきた熱に頬に手を当てながら俯くと、絡めた指が痛いくらいに握り締められた。



「……っ……ゆあ、ちん、さぁ…っ!!」

「は、はい…っ?」

「何なのオレを殺したいの!? 凶悪過ぎんだけどそーゆーの…!!」

「きょっ!? 凶悪…」

「可愛いことばっか言わないでよ…本気で心臓潰される……」



がくりと崩れた姿勢の所為で、届かない高さにあるはずの頭が近くまで落ちてきた。
毎度毎度勘弁してよ、と呻く彼の髪の間から覗いた耳が、私に負けないくらい赤くなっているのが薄暗い中でも何故か分かって、また胸がきゅんと鳴き出す。

末期だ。もう、どうしようもないくらい、二人とも。



「え、と……あっ」



浮かれすぎて、転がり落ちすぎて、怖いくらい恋に揺さぶられている。頭がおかしくなるのに、抜け出せもしない。
そんな甘ったるい空気に浸り続けるのは、さすがに恥ずかしい。逃げるように周囲に目を移した先で見付けた看板に、私はつい純粋に反応してしまった。



「ん? どーしたの、ゆあちん」

「かき氷、見付けて…あ、でも甘いから後の方がいいかな」

「好きなんだ?」

「うん。お祭りって気分になるから、いつも絶対食べるなぁ」

「定番だもんねー」



でも、食事らしい食事になる食べ物ではないし、どうしよう。
迷っている内に、人の流れは屋台の並ぶ通りへ差し掛かる。
人が壁になって通り抜けるのも大変そうだし、後にしてしまおうかと思いかければ、躊躇いなく壁を割り足を踏み出した紫原くんに手を引かれた。



「わ、えっ…紫原くん?」

「お祭りなんだし、別に順番とか気にしなくていーじゃん」



彼の体躯に戦き道を開けてくれる人も、数名いた。
そんな周囲の反応は気にも留めず、私が人にぶつからないように道を作ってくれる。



「ゆあちんが楽しいのが一番だし」



驚いて瞠った私の目には、今日見た中で一番柔らかく弛んだ笑顔が写った。








踏み出す




「いちごミルクも定番だよねぇ」

「色がね…つい惹かれちゃう組み合わせだよね」



ストローでシャクシャクと氷の山を削りながら、それでもグレープがあったらそっちを買ったかもしれないなぁ、と考えて、一人でまた恥ずかしくなる。

出店近くの人混みから少しだけ離れて、落ち着くために少しの間だけ団地の階段を借りることにして、並んで腰掛けた。紫原くんの手にも同じように、オレンジ色のかき氷の容器が握られている。



「ミルク有りでもよかったかなー」



ううん、と唸る紫原くんは、選ぶ時点でもどちらにするか迷っていたのを思い出す。
子供のように悩む姿がなんだか可愛かったのもあって、むう、と眉を寄せる表情につられて笑った。



「食べる?」



味はそう変わらないはずだし、全部食べるとお腹に溜まってしまうということもある。
紫原くんなら少しくらい多めに食べても平気だろうし、とカップを差し出てみれば、振り向いた彼は一瞬だけ間を開けて頷いた。

あれ、と思ったのは、その手にあったカップを下ろした瞬間だ。
妙にしっとりとした空気を感じ取った時には、長い前髪が私の頬を擽っていて。

柔らかく、唇が重なる。
掠めるように、一度だけ触れ合うとすぐに離れていった。



「…む…っ…!…っ!?」

「あの、さ」



仰け反りそうになった背中は、いつの間にそこにあったのか、大きな掌で支えられる。
その感触にもびくりと肩が跳ねてしまったのだけれど、唇が触れた後もまだ近く、数センチしか離れない距離にある顔は歪まなかった。

顔が熱い。心臓が、飛び出してしまいそう。

もう顔色までは確かめられないけれど、すぐ傍にある彼も、切羽詰まった表情をしていて。
僅かに寄った眉ともぞりと動く唇が、余裕のなさを伝えてくれる。軽く呼吸を整えるためか一度視線は逸らされて、もう一度射られた。

身体全部が心臓になってしまったのかと思うくらい、鼓動が響く。



「あの…えーっと…まず、前に…まだ付き合う前に、オレさ…寝惚けててゆあちんに、しちゃったこと、あったじゃん」

「っ、う…あ…」

「あれはね、ごめん。夢だと思ってたから、結構…いや、とにかく、あれはちゃんと謝らなきゃいけないことで……曖昧な感じであんなことして、ごめんね」



二人きりの空間で、二人してぎこちない。
現状だけでもいっぱいいっぱいなのに、掘り返された記憶がまた、胸に大きな打撃を加えた。

忘れていたのに。あんな恥ずかしいこと。
耳元でどくどくと流れる血流を感じながら、私はもう、機械のように頷くことしかできない。



「……うっ…うん…」

「でも今は、謝りたくない」



限界だ、と思った。

余裕はなくても真剣な瞳に覗き込まれて、胸の中まで鷲掴みにされてしまう。



「キス、したかった」

「っ…」



本当はずっと、そういう、恋人らしい触れ合いもしたかった。

額を擦り付けられて、もう目を見つめていられない。
背中を支えたままの大きな手まで気になって、怖くもないのに震えが走りそうになる。



「あと、あわよくばもう一回とか、思ってる」

「!…あ、う…えっ…と…」



どうしよう。
どうしよう、もう、これ以上は死んじゃいそう。

熱の上がった頭はくらくらして、力も抜けていく。もう一度、なんて無理だ。
拒めないし、拒みたくないけれど。急な展開に心臓がついていかない。



「…でも…今は我慢する」



どうしよう、と涙目になって内心パニックに陥っていた私は、次に落ちてきた言葉にまた小さな衝撃を受けた。



「は……え…?」

「ゆあちんのお母さんに…いや、お父さんも。もう一回会って、ちゃんと認めてもらいたいからさー…今は、我慢するね。オレの知らないことも知りたいし、知らなきゃいけないんだと思う」



振り回されて固まってしまう私を覗き込む紫原くんの雰囲気は、徐々に変化していく。
切迫したり照れていた表情は静まって、幼さを削りきった男の人らしい顔へと。



「だから、ゆあちん。オレ頑張るから…絶対認めてもらうから、そしたらその時、もっかいさせて?」



これ以上ないくらいに跳ねていたはずの心臓が、一気に身を縮めたような感覚に襲われる。

こんな、だっただろうか。彼の顔は。声は。雰囲気は。
こんなに…



「キスもしたいし、たくさん抱き締めたい…させてよ、頑張るから」



ご褒美に、と甘えたことを口にする、その声はとても甘ったれたものとは受け取れなくて。
明かされてしまった一面に、何も言えない私は翻弄されて、首を縦に振ることしかできなかった。

20140317. 

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