幼心の成長記 | ナノ




浮かれていた。夢みたいに、うまくいきすぎた状況に。
冷たい視線や言葉を、今までまともに浴びたこともなかったから、鈍感になって。

何で気付かなかったんだろう。何もかも甘く纏まるわけがない。そんなことは分かりきっていたはずなのに。
オレが好きになるくらい優しい子が、愛されてないわけもなかったのに。






「この子は、駄目よ」



焦り混じりの咎めるような声を遮って、落とされた言葉は氷みたいに冷たく、早鐘を打っていた心臓をざっくりと抉った。
柔らかな色の髪も目も、大好きなはずなのに。同じ色を持つその人は、誰よりも、下手をすれば赤ちんよりも怖くて。
一瞬にしてがちがちに凍ったオレの口は、震えて何も紡げなくなる。

駄目、だなんて。
何度も思い知ってきたことなのに。
思い知ってきたことだから、その威力は半端なものじゃなくて。
しかもその言葉は、他でもない、ゆあちんを大切に想う家族から吐き出されたものだ。

少し前まで期待に満ちていた胸が、その他の臓器がひっくり返るような苦しさに襲われる。



(どう、しよう)



何か、返さなければいけない。返さなければ、まずいことは解る。
なのに頭がうまく回らない。事実を呈示されて言い返すこともできるはずがない。

貶した、と。軽く口にされたそれは、それだけの言葉で終わらせられるほど軽い行為じゃなかった。オレが一番思い知っていることで。
今では思い出したくないような酷い言葉を投げ掛けて、触発された周囲からも叩かれていたのを知っている。
鬱陶しいから自業自得だとか、理由にもならない薄っぺらな免罪符を掲げて逃げて。それなのに、何度もオレの所為で傷つくその子を見てきたのに、今更自分の我儘で近付いて優しさに甘えて、赦されたつもりになって。

馬鹿だ。
どうしようもない馬鹿だった。
こんなの、赦さない人間だっているに決まってんじゃん。
そうじゃないとおかしいんだ。当たり前の、ことだ。傷付く方がおかしい。因果応報だ。

だけど、それでも。



(何か)



何か、絞り出さないと。足りない脳でも、どうにかしないと。
酸素が足りないのか、頭の中が急激に締め付けられるけど、気にしていられる状況じゃない。

何を言われても仕方ない。どんな扱いを受けても仕方ない。否定されても当たり前だ。受け入れられる方が異常で、傷付く方が傲慢なんだ。
けど、それでも。せっかく触れられるようになった距離も、笑顔も、今なくしてしまいたくないから。
きっとそんなことになったら、二度と立ち直れないくらい打ちのめされることは分かりきっているんだから。
どうにかして、何でもして、縋り付かなくちゃいけないのに。



(なんでっ…)



何で、動かないんだよ。

頭も口も手も足も、冷えきって震えることしか、できない。
軽蔑に溢れた目を、なんとか逸らさず見返したままでいる。それだけじゃ、何の意味もないっていうのに。



「…解ったら帰りなさい。あなたにうちの子は任せられないわ」

「っ…」

「お母さんっ!」



待ってと、懇願する前に響いた声に胸を強く叩かれた気がした。

母親らしい女の人の後ろから、慌てて出てきたゆあちんは浴衣姿できっととても可愛いはずなのに、今はそんなことを気に掛ける余裕もない。



「紫原くんはちゃんと、たくさん謝ってくれたの! ちゃんと、考えて、優しくしてくれてっ…」

「ゆあ…それは結果のお話よね?」

「けっ、か…?」

「お母さんも、あまり厳しいことは言いたくないわよ? でもね…謝って、終わりにして、それ以上を知ろうとせず、筋も通さず、調子に乗る。そんな態度が…どうしたって、気に入らないわ」



言葉の鞭に打たれて、大きく肩が揺れる。
動揺するゆあちんよりも、オレの方が言葉の意味を理解できた。



(オレは)



多分、そうだ。
オレは肝心な部分で逃げていた。今の、今まで。

凍りついて逸らせない視線の先で、大好きなそれによく似ているのに、少しもぬくもりを感じない両目が笑う。
認めなければ、知らなければ、隔てられてしまう。口に出して語られなくても、解った。

それだけは、絶対に嫌だ。
耐えられない。



「ご…っ…」



身体の外から内側まで、侵食する恐怖心に引き攣っていた喉からは、掠れた声を発した。
一度唾を飲み込んで向き合うオレを気遣わしげに見上げてくるゆあちんに、これ以上守られてばかりでもいられなかった。



「オレ、は」



情けなく震える指は握り込む。堅く作った拳を痛いくらいに握り締めた。



「正、直に…素直に、なれなくて。自分の気持ちも、解ってないような馬鹿で…それだけじゃなく、それを、一番ぶつけちゃいけない子に…何度も、繰り返して、ぶつけて、傷付けるような…奴で…っ」



抉られた傷に、自分で爪を立てる。
痛くて冷たくて、情けなくて忘れたい。忘れるわけにはいかない記憶を掘り返す。

頭を締め付けられて、耳鳴りさえしてきそうだった。



「それに乗っかって酷いこと、する奴らのことも知ってたのに…それも放置して、助ける気も…なかった。絶対、オレが知らないとこでも、大事にしなきゃいけない子だったのに…」



何回、見えないところで、泣かせてしまったのかな。
当たり前に与えられたはずの楽しみや、優しさを、ゆあちんから奪ったのかな。
何回も、何十回も傷付けた。繰り返し、平気な顔をして生傷を抉って。

簡単に赦してもらえるはずがないことは、頭では解っていた。嫌われたって仕方がなかった。好きになってもらうなんて夢のまた夢だったはずだ。
なのにオレが傷付けたその子は、優しくて。優しすぎて甘すぎて、赦してくれようとするから。守ろうとまでさせてしまうから。



(駄目だ)



それじゃあ、駄目だ。
ゆあちんに立ち回らせるんじゃ、駄目なんだ。
この子だけが傷付いて終わるなんて駄目だ。
駄目だから、だったらもう、オレだってそうするしかない。

幸せに纏まる結末があっても、それまでの傷がなくなるわけがない。その時間で失われたものは、戻らない。返してあげられない。
だからこそもう、二度と傷付けられない。オレが守られるんじゃ、傍にいられない。

ごめん、なんて。何でもかんでも謝って済むなら法律だって生まれないんだから。



「ゆる、されない。って、自分でも思う…から…何を、言われてもされても、オレは…いい…から」



同じだけでも、その倍でも。
崩れ落ちそうになるくらい、酷い目を見ても。



(なんだっていい)



何だっていいよ。
何だって、する。決めていたことだから迷わない。
痛くても苦しくても、なくしてしまうよりずっといい。
届かないのが、一番痛い。



「っ…ごめんなさい…!」

「! 紫原くん…」



ぐちゃぐちゃになった、頭の中身が目頭を刺激する。
勢いよく頭を下げれば、戸惑いでいっぱいのゆあちんの声が聞こえた。

ああ、もう、本当。
情けないとこばっか、見られて。恥ずかしくて、格好悪くて、悔しくて、泣きたくなる。
けどこれだけは、譲れないから。諦めなんか、つくわけがないから。



「それでも、傍で…頼りになんないけど、でもどれだけでも絶対、頑張るから、オレに、まっ…」



守らせて、ください。
今度は間違いなく、何もかもから。大切な子を、大事にさせてください。

最後のチャンスを、どうしても逃したくない。逃せない。
今にもひくりと痙攣しそうになる喉を抑えて、きっとこれ以上はないくらい最低な懇願を、吐き出した。






対立する




今までの全てを、今の言葉一つでどうにかできるなんて思わない。
それでも、打ちのめされるリスクを抱えても、今更引くことはできなかった。

20131007. 

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