幼心の成長記 | ナノ




ごくり、と。唾を飲み込む音まで聞こえてしまいそうな静寂の中、判りやすいくらいの緊張に身体を強張らせた彼に、私まで引き摺られて固くなる。

何やら紫原くんから話したいことがあるということで、部活のない今日、他には誰もいなくなったクラスに二人で残っている。部活中の生徒の声や楽器の音を遠く聞きながら、私達は自分の席から一度も立ち上がっていなかった。

言い出した本人にも関わらず、暫くの間唸っていた彼は大きく息を吸い込むと、落ち着きを取り戻そうとでもするように吐き出す。

一変する空気に、私の緊張は高まるばかりだ。



(な…何かしたっけ…?)



改めて何か、話し合わなければいけないようなことでもあるのだろうか。
想像を働かせてみても、浮かんでこない。きっ、と珍しく真剣な目付きで顔を上げた彼に、思わず肩が跳ねた。



「ゆあちん…!」

「っ、う、うん…っ?」

「次の休日で部活がない日って、用事ある…っ?」

「え、えっ…と…」



緊張に混乱しそうだった脳内に、彼の言葉が巡る。
そして答えを返す前に、あれ?、と疑問符が浮かんだ。



「用事は、ない…はずだけど…」



てっきり今、何かしらの大事な話を切り出されるのかと思っていたのだけれど。

私の答えを聞いて、真剣な顔からまた一変、ぱっと表情を明るくする彼に、更に首を傾げたくなった。
深刻な状況を想像していたのだけれど…これは、もしかするとそうでもない…?



「ほんとっ!?」

「う、ん…本当だよ?」

「じゃー、そしたらね、オレとその日デートしてほしいんだー」

「あ……は、はい」

「いいの!?」

「…何で? 駄目だと思うの…?」



目を見開いて、身を乗り出さんばかりの反応を返してくる紫原くんに戸惑う。

付き合い始めたということは、どうしても都合が付かないような理由でもなければ、デートを断ったりしないんじゃないかと思うのだけれど。
私も恋愛初心者だから何をどうするのが当たり前、なんてことは判らない。判らないけれど、それでも意味もなく彼との時間を減らそうとは思わない。

首を傾げながら紫原くんを見上げれば、僅かに頬を紅潮させた彼はだって、と漏らす。



「ゆあちん誘うの、初めてだし…」

「……え…と…でも、一学期にも一緒に休日、過ごしたよね?」

「…付き合ってなかったし、ちゃんとしたデートじゃないじゃん」

「そうなの…?」

「ゆあちんがオレを好きじゃない頃はノーカウントなの!」

「え……えーと…」



その頃から実は好きでしたけど…なんて、言ってはまずいだろうか。
今より明確ではないにしろ、あの時には既に彼の反応に翻弄されるくらいは、好意を抱いていたのだけれど…。



(い、言いにくい…)



どれだけ待たせたのか、知られるのが怖い。
あの後も彼を何度も傷付けたことを考えると、今はまだ明かす勇気がなかった。

許してくれるとは思うけど…まだ、言わなくてもいいよね。



「ゆあちん?」

「あ、うん…何でもないよ。それで、何処かに行くの?」

「んー…前はオレが行きたいとこ行っちゃったから、デートできるなら今度はゆあちんの希望聞きたいんだよねー」

「でも、私も行きたかったところだったし…」



漸く緊張が解けたのか、いつものように鞄からお菓子を探り出しながら彼が提案してきたことに、私は更に悩むことになった。

一般的に、付き合っている男女がデートする場所って何処なの…?
部員ほどではないとは言え、中学の丸々三年間を部活に注いできたのだ。女子特有の恋愛トークなんてものにもあまり混ざれたことがないし、何もかもが初めてだから右も左も解らない。



(男女で楽しめる場所…)



二人で過ごすなら、紫原くんも退屈しないような場所でなければならない。
興味のない所に連れ回すようなことは、できないし…。



「そんな難しく考えなくてもいーんだけど」

「う…でも、パッとは思い浮かばない…かも…」

「…オレはゆあちんといれれば何処でもいいんだよねー。あとはゆあちんが笑ってられるとこがいいってだけ」



大きな手がべりべりとお菓子の包装を破って、取り出されたプレッツェルが差し出される。
自分が食べるより先に差し出されたそれに一瞬躊躇うと、チョコレートでコーティングされた側に閉じた唇を突かれた。

やんわりとした笑顔を浮かべた彼に、恥ずかしさを堪えて口を開けると、舌の上に甘さが広がっていく。



「まだ時間あるし、ゆっくり考えてくれればいーよ」

「…うん」

「あーでも、邪魔が入んないとこだと嬉しいかなー」

「い、今の一言でハードルが上がったような…」



邪魔って、どういうのが邪魔なんだろう…。

思わずプレッツェルをかじるのも忘れて考え込みそうになる私に、ごめんね、と軽い謝罪をかけた紫原くんは笑っていた。
お菓子を持っていない方の手が伸びてきたかと思うと、くしゃりと頭を撫でられる。



「でも、二人がいいし」



ゆあちんといる時間は、何にも邪魔されたくないでしょ。

無邪気にもそんな言葉を吐き出されて、元から温もっていた頬が更に熱を孕む気がした。








翻弄する




なんだか私の心臓が、どんどん彼に握られていっているような。

内側から激しく胸を叩いてくる鼓動を感じながら、私は否定することもできずに俯くしかなかった。

20130601. 

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