「何かさぁ、雰囲気変わってない?」
「…え?」
四限の授業終了後、昼休みに入ってすぐに席の近くまでやって来た友人から掛けられた言葉に、咄嗟に何についてを言われたのか理解できなかった私は、首を傾げてしまった。
「雰囲気…?」
「そー。うまく言えないけど何かこう、フワフワしてるっていうか」
「フワフワ…あっ、えっと…」
訝しげに、人差し指をくるくると回しながら続けられた言葉に、漸く意味を把握する。
反射的に目線だけを隣に向ければ、最早起こすことも諦められて放置されたまま、気持ちよく寝入っている紫原くんの姿があった。
何をされたわけでもないのにきゅう、と締まる胸に恥ずかしさを覚えて、そんな私の態度から何かに勘付いたのだろう。近くに寄っていた友人は更にぐい、と机を越えて身を乗り出してきた。
「ゆあ!」
「ひゃっ、はい!」
「何があった!? 進展した!? ちゅー…いやまさか更に一線越えた!?」
「え…ええっ!? な、何言って…!?」
何を問われるかと思えば…!
とんでもない発言にかっ、と熱を持つ顔は誤魔化せない。
本当に、何を言ってるの!?
(だって、ちゅーって…き、キスまでならまだしも、更にって…っ!)
何でそんな飛躍した質問をされるのかと。それより、大声で問い掛けるような内容でもないはずだ。
慌ててその口を両手で塞げば、不満げにもごもごと、まだ何かを言おうとしていることに羞恥心が込み上げる。
そんな騒ぎが耳障りだったのか、ううんと唸り声を上げる彼の紫色の頭が隣の机から持ち上がる。
眠気の残った目付きは若干きつかったものの、騒ぎの元である私と友人の姿をその目に映すと、ふにゃん、と弛んで不思議そうに瞬いた。
「んー…? ゆあちん、何してんのー?」
「え、あ、えっ…と」
「?」
つい吃ってしまう私を、訝しく思ったのだろう。
こてん、と首を傾げる仕種は幼い部分のある彼にはよく似合う。似合うのだけれど…。
(どう説明すれば…)
紫原くんに事のあらましを語れば、素直にバラされてしまう気がする。それは恥ずかしすぎるので避けたい。
大体経過なんて、付き合っている二人が知っていればいいことなわけだし。そもそも雰囲気が変わったと言われる理由だって、漸く私が想いを伝えられたからという、ただそれだけのことなんだろうし…知られる方が恥ずかしい。
(心配、かけたのかもしれないけど…)
確かに、クラス中に見守られていた部分もあるのかもしれないけれど。
でも、詳細まで知られて普通ではいられない、と思う。
「ふんっ!」
「あっ!」
うだうだと考えている内に、手の力が弛んでいたらしい。
力任せに私の手を振りほどいた友人は、慌てる私には見向きもせずに今度は彼へと詰め寄った。
「ちょっと紫原くん質問いい?」
「んー?」
「あっちょ、駄目…」
「何かここ数日で二人の間に漂う空気が変わった気がするんだけど、何かあったの?」
「えー…そう見える?」
「見える見える超見える」
「マジでー」
「ちょ、ちょっと待ってって」
話の流れが速い。速すぎる。
ついさっきまで眠たげだった彼の瞳は、友人の言葉に敏感に反応してぱっ、と覚醒してしまった。
見るからに浮かれた態度に、こっちの方が恥ずかしくなる。
私の声も届かないくらい上機嫌になった紫原くんは、友人の煽てに完全に乗っかってしまっていた。
「あのねー、実はねー」
「うんうん、実は?」
「実はオレ、ゆあちんと付き合うことになったんだー」
ねぇゆあちん、と満面の笑顔で振り向く彼に悪気はない。解っている。紫原くんに悪気はないのだ。解っているけれど。
(言っちゃった…)
顔に集まる熱の所為で、ぐらりと目眩がする。
これで、クラス中には確実に広まってしまう。
恥ずかしさに泣きたい気持ちになった私のすぐ傍、それまで興味津々といった様子でいた友人はしかし、彼の言葉にぎしり、と固まった。
「………は?」
そしてぎこちない動きで私へと振り返ったかと思えば、勢いよく両肩を掴み揺さぶってきた。
「ちょっと何!? どういうこと!?」
「え、ええ何がっ!?」
「付き合うことになったって、あんたらっ…まだ付き合ってなかったのっ!?」
「うっ…」
これは、どうしよう。凄くまずい気がする。
友人の肩越しに見えた、きょとんとした紫原くんの顔と、クラス中から集まる視線に今すぐ逃げ出したい気持ちになった。
だって、この流れは。
「嘘でしょだってゆあいつから紫原くん好きだった!? 結構前から恋する乙女モード入ってたじゃん…!?」
「うああやめて言わないで恥ずかしい…っ!」
「言わずにいられるかー!!」
「や、やめてってばー…っ!」
そっちに突っ込まれると苦しすぎる…!
思わず顔を覆い縮こまる私に、戸惑ったような彼の声が聞こえたのはすぐだった。
「え、えー? ゆあちん、オレ…オレのこといつから、好きになってくれてたの?」
「う…ううう」
「ねぇ、結構前なの? ゆあちん、ねぇ」
「ご、ごめん、なさい…」
「謝ってほしいんじゃなくてー」
教えてほしいの、と紡がれる声は確かに優しいから、余計に申し訳ないような気持ちになる。
観念してそろりと視線を上げれば、空気を読んだらしい友人の手は肩から離れていた。
「ねぇゆあちん、さっきの本当?」
「……う、ん…ごめんなさい…」
「謝んなくていーってば。ただ、じゃあ何で言ってくれなかったのかなーって思うけど」
「うん…」
確かに、気持ちがハッキリした時点で想いを告げていれば、ここまで遠回りはしなかったとは思う。無駄に紫原くんを悩ませたり、傷付けることもなかっただろう。
でも、私にも考えがあった。
それは多分、今言わなくてはいけないことなんだろう。
周囲から集まる視線が痛くても、恥ずかしくても、今彼から逃げるような真似はできない。
羞恥心なんて、今更だ。
溜まった唾をぐっと飲み込んで、私は顔を上げるとその目を見つめ上げた。
「紫原くんは、真剣だったから」
「…何が?」
「真剣に私を…好きで、いてくれたから…私も、中途半端な気持ちじゃ駄目で…同じくらい真剣になれた時にしか、伝えられないと…思ってて……」
自信が持てるまでは、言えないと思っていたから。
ちょっと芽生えたくらいの気持ちを返すのは、たくさんの想いを優しさに変えてくれた彼に、失礼だと思ったから。
だから、こんなに遅くなってしまったのだけれど…。
でも、結果的にはきっと、これでよかったのだとも思う。
「な…にそれ…」
私の吐いた言葉を理解して、徐々に赤くなっていく彼の顔は多分、嬉しさに歪んでくれたのだろうから。
「それ…だって、負けないくらいオレ、ゆあちんに好かれてるみたいじゃん」
「えっと…うん。そう、なんだけど…」
「なにそれ…そんな…夢だし。あるわけ、ないよ」
嘘だ、と、逸らされた顔は、再び机に伏せられてしまった。
けれど髪の隙間から窺える耳は、真っ赤に染まっていて。
(ああ、もう)
好きだなぁ。
こんな、クラスメイト達の目に晒されながらでも、恥ずかしいことが言えてしまうくらい。
まだまだ勇気は必要でも、今の私は迷うことなく、目一杯の想いを返すことができるのだ。
釣り合うねぇ、やっと届いたかな。
あなたに負けない気持ちだって。
(おめでとう紫原! 泣くなよ!)
(よかったな紫原ー! ハンカチいるか?)
(まだ付き合ってなかったとは思わなかったけどなー…ほら、ちゃんと鼻かめよ)
(紫原くん頑張ったねぇ…よしよし、今日はお祝いにお菓子を進呈するからね、泣き止んで?)
(泣いてねーし! もーっ何なのみんなしてーっ!)
20130425.
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