幼心の成長記 | ナノ





「あ、赤司っ、何なのだよこの紫原の死相はっ!?」

「病気だ」

「なっ…ま、まさかまた例の…」

「そのまさかだな」



部室のベンチに倒れ伏したオレを見つけて、ごちゃごちゃと騒ぐ声が上から降ってくる。
でもその内容までは頭に入ってこなくて、浮かぶのは朝から今まで一言も喋れなかったあの子の顔ばかりだ。



(逃げられた……)



今度こそ、もう本気で死ぬかもしれない。

一年前だってあそこまであからさまに逃げられたことなんてない。あんなにはっきり顔を逸らされたり伏せられたりしたら、いくらなんでもキツすぎる。
胸の辺りが抉られて、穴が開いたような気持ちだった。痛くて寒くて、力が出ない。息苦しくて堪らない。

朝から靴箱で最初に逃げられて、暫く動けなかった。顔を合わせた瞬間に勢いよく駆け抜けていったゆあちんに、意味が解らなくなったオレは固まって、すぐには追い掛けることができなくて。
その時点で込み上げた嫌な予感を噛み締めながら教室に向かえば、オレの名前を聞いただけで逃げ出すその子を、目の当たりにすることになった。

全身でオレを見ないように、感じないように。
顔を伏せた腕の先で震える拳に気付いてしまって、またぐらりと目眩がした。



(…しにたい)



じくじくと、傷が膿む。

声なんか、掛けられるわけがなかった。
あんなに分かりやすく怯えられて、今までみたいに戻れるなんて思えなくなってしまった。

あんなに優しくしてくれていたのに、傍で笑顔だって見せてくれるようになっていたのに。
何でオレはいつも、大切なものを自分でぶち壊してしまうんだろう。



(何で、いつも)



何で、こうなんの。
あの子を傷付けることばっかり、オレは。

好きなのに。大好きなのに。



「も…やだ」

「敦?」



訝しげに、眉を寄せて覗き込んでくる赤ちんに、無性に八つ当たりしたくなる。

完璧で正しくて強い赤ちんは、こんな間違いだって絶対起こさないんだ。
そう思うと、悔しくて。
自分の馬鹿さ加減が許せなくなって。



「もうやだ…生まれ直したい……っ」



やり直したい。こんな馬鹿じゃ嫌だ。もっと賢くなりたい。もっと、頭がよくなって、失敗なんかしないオレになりたい。



(ゆあちんに、嫌われない人間に)



傷付けない奴に、なりたい。
無理だって解ってても、なりたくて堪らなかった。

こんなに死にそうな気持ちになるのも、自分の所為だって解ってるけど。
逃げられて当たり前のことばっかり繰り返す、馬鹿な自分に何回だって呆れてきた。嫌気も差した。幻滅だってしたんだ。

でも、どうしようもなかった。
それでもあの子が好きな気持ちだけは、今でも結局、どうしようもなくて。
じわじわと滲み出る涙を腕で隠しても意味なんかないのに、まだ強がりたくて。諦められなくて。



「お前の根性には恐れすら感じるな」



呆れたような、面白がるような赤ちんの声に、寝転がったまま耳をすます。
多分ぐちゃぐちゃになっている顔は上げたくないから、腕で隠したまま。



「ショックなのは解るが…嘆くのは花守の考えを聞いてからにしたらどうだ?」

「っ…だって、怖がって…逃げられるし」

「本当に怖がっているのか?」

「…?」

「花守の顔を、お前はちゃんと見れていないんだろう」



それなのに、怖がっていると決めつけるのは早計だな。

自信に溢れたそんな言葉を拾って、腕の下で瞬きする。
本当に、怖がっているのか?



(だって、逃げられるって、そういうことで…)



一年前の嫌な記憶を掘り起こして考えたら、そうとしか思えない。
オレが無理矢理あんなことしたから、嫌われちゃったんだって。

でも、赤ちんの言い方はまるで、そうじゃないって言っているようで。
悪い感情がそうさせているわけではないのかと、期待してしまいそうになる。



「どーゆーこと…?」



濡れた目元を拭って、鼻も啜ろうとしたら横からテーピングされた手に箱ティッシュを渡された。
珍しく優しいミドチンにお礼を言ってから起き上がって向かい直ると、赤ちんはいつも通り、余裕のある笑みを浮かべていた。



「花守の気持ちは花守に聞くしかないな」

「……だから、それが無理なんだって…」

「なら諦めるか?」



だから、何でそういう聞き方すんの。

ずくん、と苦しくなる心臓を押さえながら、唇を噛む。
答えなんて決まってて、どうしようもないって、お互いに解ってるのに。



「…無理だし」



ゆあちんに嫌われても、怖がられても、好きじゃなくなれなかったから。
だから今こうして、諦めきれないのに。



「それなら臆病風に吹かれるのはやめるんだな」



赤ちんは意地悪だ。
失敗しないから、後悔しないから、どれだけ怖くて苦しいかも分からないんだ。
でも、失敗しないから、そんな人間に取られたら終わりだから、怖がっているだけじゃいけないんだろう。
それはオレにだって解る。

解るから、落ち込んでばかりもいられないと思い直しもしたのに。






「2学期になって暫く経ったし、今日のロングホームルームは席替えするか」



気持ちを入れ換えようとした次の日、担任の口から飛び出したのは最悪にも程がある提案だった。



(…は!?)



席替え? このタイミングで…!?

びくっ、と視界の端で揺れた影に勢いよく振り返れば、同時に逆側に首を捻られる。だけど今はそんなことに傷付いている場合でもなかった。

だって、ちょっと待ってよ。オレまだちゃんとこの子に謝れてもいないんだよ。
なのに避けられたままで、今度は席まで離されたりしたら。これ以上遠ざかられたりしたら…



(死ぬって…!!)



冗談抜きに死ぬ。無理。耐え難い。ていうか死ぬ。

ざあっ、と一気に血の気の引く音が聞こえた気がした。
冷静になって、今日こそちゃんと、怖がられていても謝るって決めていたのに。
なのにもうそんな考えも吹っ飛んでしまって、頭の中は真っ白になる。

そうこうしている内に、くじ引きは始まってしまった。
身長の関係もあって最後尾にしかならないオレの席は、運が良いのか悪いのか、窓際最後尾という片側にしか人が並ばない位置を引き当ててしまって。

どうしよう、これ、マジで。
引き当てたくじと黒板を交互に睨んでいたら、いつかのように席に着いたゆあちんにその友達が話し掛ける声が聞こえてきた。



「ゆあー、どこ?」

「え、っと…18番」



18番。耳で聞き取ったまま探した数字は、よりにもよって廊下側一列目の席だった。



(逆側とか…っ)



ぐらり。
襲い掛かってくる目眩に、倒れそうになった身体はなんとか軸を保ちはしたけど。
その辺りでもう、理性もへったくれもなくなった。



「…っ」

「っひゃ!?」



相変わらず考えなしでどうしようもなくて、衝動のままにしか動けない。そんな自分に呆れる余裕すらなかった。
ガッ、と、定位置からずれる勢いで、気付けばオレは左に並ぶ机の側面を掴んでいて。



「むっ、えっ!? 紫原くん…っ?」



たった二日。二日ぶりに、驚いたようにでも、呼ばれた名前にぐっ、と喉が詰まる。

顔を合わせたら、怖がられるかもしれない。
その考えが過ったから俯いたまま、多分驚いた顔をしているゆあちんに声を振り絞った。



「待って。まだオレ、ちゃんと、謝れてないから…っ」

「っ!」

「い、今…離れたら、無理だしっ……本気で、死ぬ…」



だってあれから、まだちゃんと顔も見れてないんだよ。
今じゃなくても離れるのはやだけど、今は一番駄目だ。

ぎりぎり、痛め付けられる心臓を片手で押さえて、答えを待つ時間が長く感じた。
小さく息を飲む音が聞こえて、拒まれるかもしれない恐怖と戦っていた時、力を込めていた左手の甲に自分と違う熱を感じた。



「っ!?」



驚いて、やっぱり考える間もなく顔を上げたオレの視界に入ってきたのは、机を掴む自分の手に、小さくて白い別の手が重なっている光景で。

どくん、と、痛みも忘れて心臓が跳ねる。
つられて視線を上げた先には、そわそわと落ち着きなく俯いたままの頭だけが見えて。



「ま、待ってて…」



ちょっと、だけ。

そう言って離れていった掌は熱くて、立ち上がった際に見えた顔は、顔色が悪いどころか真っ赤で。



「……え…?」



不意に、赤ちんに落とされた疑問を思い出した。








当惑する




本当に怖がっているのか?

そう、訊ねられた言葉を思い返して、思考がこんがらかる。
怖がられているんだと思った。だって昔みたいに逃げ回られたから、そうとしか思えなくて。

だけど今、ゆあちんはオレの話を聞いてくれて、手にだって触ってくれて、しかもなんだか顔が赤くて。



(あ、れ…?)



もしかして、違うの?

どくどくと、鼓動が早鐘を打ち始める。
期待しちゃいけない。そんな、いい方向に転がるはずがない。
まだオレは謝れていないし、きっと勘違いだ。今の時点で良いことなんか起こり得ない。

そう、机と胸から離した手で頭を抱えながら必死に自分に言い聞かせていたのに。
カタン、と音を立てた隣の席を振り向くと、帰ってきたゆあちんはそっと、くじを握った手を差し出してきた。



「え…?」

「26番…に、換えてもらって、きたから…その…っ」

「…えっ!?」



26番!?

勢いよく黒板を振り向いて確かめた数字は、間違いなく片側しかない、隣り合う数字で。
信じられない思いで首を回す。椅子に座ってしまえば、当たり前だけどその子は小さくて、俯かれてしまうと旋毛しか見えない。

けれど見えてしまった。オレは、気付いてしまった。
真っ直ぐに伸びた髪の間から、覗く耳の赤さに。



「ゆあちん…!?」

「っ…あ、の…私、私も…同じ、で…」

「お、同じって…」

「あっあと…! あとで、ちゃんと…話したいの、本当に…だから、」



ズルしたの、秘密にしてね…?

蚊の鳴くような弱々しい声でそんなことを言われて、頭に、顔に、血が集まるのが判った。



(ねぇ、その“あとで”って、いつ?)
(今ここで聞いたら、いけないの)

20130228. 

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