たくさん、目まぐるしいくらいに考えたと思う。
好きな子に、別に好きな人がいるという事実。それだけじゃなく、昔のような態度を取って怖がらせてしまったこと。謝る勇気すら奪われたことも。
ああもう、諦めてしまおうか。
そんなことを考えたのは別に、初めてのことでも何でもない。
どれだけ好きでも叶わなくて、こんなに苦しいだけならいっそのこと、諦めてしまおうか。
そう、いつだって思ってきたんだから。
(でも、無理じゃん)
知ってるよ。どうせ、諦めきれないって。
あの子の笑顔を見ただけで、また期待してしまうって。欲しくなって、どうしようもなくなるって。
仕方ないんだ。解ってるんだ。
だからきっと、無理なんだ。
目が覚めた時、身体に気だるい重さは感じても、頭痛や目眩、吐き気は収まっていた。
ぼうっとする頭を回して時計を確認すれば、短針は七と八の間を指している。部屋の中が真っ暗だったから、夜だということにはすぐに気付けた。
「あー……」
どんくらい、寝たんだっけ。
ぐしゃりと髪を掻きながら起き上がって、考える。
昼間に一度だけ起きた気がするけど。
(…いや、あれ夢だっけ)
なんか、ゆあちんが部屋にいて。謝りたくて、寝る前に散々悩んでいたことを伝えたら、ゆあちんまでオレのことが好きだとか言い始めて。
そんな都合の好すぎる夢を見たのは初めてで、すごく幸せだったことだけははっきり覚えている。
けど、夢の中のことだとしても羨ましくて胸が痛んだ。
オレだって、ゆあちんに好かれたい。ずるい。
「……腹へった、かも」
夢の中のオレになれたらなぁ。
そんなことを考えていたオレは、その後すぐにその気持ちを訂正する羽目になることを、知らない。
「敦! あんたいつの間にあんな可愛い子引っ掛けたの!?」
「……はっ?」
何か食べるものないかなぁ、と大分軽くなった身体を引き摺って一階に降りたら、仕事から帰ってきていたらしい母親に唐突に、思いっきり食いつかれた。
(…可愛い子?)
ぽん、と迷う間もなく頭に浮かんだのは、あの子の顔だ。
でも、ゆあちんのことを親に話したことなんてないし。何のことか解らずに首を傾げると、焦れったそうな顔の母親にばしばしと胸の辺りを叩かれた。
「ゆあちゃんよ、ゆあちゃん! あんたを心配してお見舞いに来てくれたんでしょ!? もう、本当に優しい子よねぇ…」
「え、……はっ? ちょっ、待って、ゆあちん? 来てた…って……?」
「あら? あんた一回目ぇ覚ましてたんじゃないの? 薬は飲ませておいたって聞いたけど」
玄関から出て来たところで出会してねぇ、と、舞い上がったまま喋り続けるその声が、一気に遠ざかる。
え、ちょっと、待って。
(ゆあちん、来てた…って…)
どくん、どくんと、心臓の音が高まってくる。
まさか、じゃあ、昼間のあれは夢なんかじゃなかったという、そういうことなのか。
そんな考えが降りてきた瞬間に、勢いよく口許を手で覆っていた。
「敦? あんた顔真っ赤だけど、まだ熱あるの?」
「……ね、寝る…」
「はっ? 何か食べにきたんじゃないの?」
「ちょっと、今は、いらない…」
ヤバい。ヤバい。どこまでが夢なのか判らない。
(どうしよ……いや、思い出さなきゃ)
まずい、気がする。
違う意味でふらつく足で部屋に戻りながら、オレはあやふやな記憶を辿った。
起きたら、ゆあちんがいた。多分そこは夢じゃない。
薬を飲んだってことは、その前にゼリーとプリンを食べたのも現実だと思う。
それからオレが色々と、ぐちゃぐちゃだった頭の中を曝け出すように謝ったのも…熱で朦朧としていたから、勢いでそのくらいは言っちゃったかもしれない。
問題は、その後だ。
『すき…っ私、紫原くんが、好き……っ』
ガンッ、と。
思いっきり、階段の壁に頭をぶつけた。
階下からオレを呼ぶ母親の声が聞こえた気がしたけど、今は耳に入らないし痛みを感じる余裕もない。
(いや、ない。いや、だって、嘘でしょ。夢じゃ…)
だって、ゆあちん好きな奴いるって。
それを聞いたからオレもこれ以上ないくらい悩んだのに、そんな都合のいい話があるわけがない。
そう思うけど。
どうしよう。すごくリアルに思い返せる。
部屋について、閉めたドアに寄り掛かりながらずるずるとしゃがみこんだ。
真っ赤に染まった顔で、苦しそうに、涙を流していたゆあちんの顔も、声も、その言葉も。
それだけじゃない。掴んで引いた腰の細さも、この手で包めるくらいの頭も、マシュマロみたいに柔らかかった唇も、途切れ途切れに吐き出された声とか、息遣いまで。
「な…に、してんの……」
オレ、あの子に、何したの。
ばくばくと心臓が暴れる反対側で、冷たいものが背中を流れていった気がした。
(ヤバい)
どう考えたって、最後のはない。駄目だ。絶対、やっちゃいけないことをした。
ちゃんと謝れてもいないのに、朦朧としたままだったから、夢だと思って、夢だとしても嬉し過ぎて。
でもそれは、現実だと思っていなかったから、起こしてしまった行動で。
本当に、衝動のままにあんな。
「…どうしよ……」
合わせる顔がない。
さあっ、と血の気が引く感覚に身体が震えた。
あんな無理矢理に、あの子の意思も無視して、手を出すとか。
それもう、暴漢と変わんないんじゃないの。
(好きって…言ってた、けど)
それが本当だとしても、だからってあれはよくない。
許されないラインを踏み越えてる。
ヤバい。どうしよう。本当に、これ以上ないくらい、ヤバい。
床の一点を見つめながら、ずっとそんな、呟いても仕方がないような呟きを漏らしていたら、唐突に携帯の着信音が鳴り響いた。
その音に、身体がバネにでもなったかのように跳ね上がる。
深く息を吐き出してからもう一度立ち上がって、枕元に置いていたそれに手を伸ばせば、液晶に映し出された文字にごくりと、唾を飲み込んだ。
『もしもし、容態はどうだ?』
「…あ…赤ちん、ヤバい」
『は…?』
通話ボタンを押して耳に当てた場所から、落ち着いた声が聞こえてもオレの方は全然落ち着けない。
通話口から返された訝しげな反応に、焦っていた心が更に走り出した。
「どうしよ…もう、ほんとにオレ、世界一バカかもしんない……どうしよう赤ちん…っ」
『…お前、まさかまたやらかしたのか』
「夢だと思って!」
だって、ゆあちんがオレを、好きだなんて言うから!
現実だなんて思わないじゃん! そんなの!
泣きそうになりながら叫んだオレに返されたのは深い溜息で、呆れ返ったと言わんばかりの赤ちんの反応に余計に混乱する。
『とりあえず訊こう。何をした』
「っ……き…キス…多分、結構、深いの……」
『……花守も気の毒にな』
はぁ、と、どうしようもない人間に向けるような赤ちんの顔が浮かんで、ずん、と身体が重くなる。
全面的に、オレが悪い。解ってる。解ってはいるけど。
『僕は僕に出来るだけの助力はしたんだが』
「うぁ…ごめ、赤ちん、でもだって…どうすればいいの……」
『…花守の反応に賭けるしかないだろう』
「こ…怖い……」
『自業自得だ』
そりゃ、そうだ。
ばっさりと切り捨てられて、返す言葉もない。
とりあえず元気そうだからよかったよ、とだけ残して切られた通話に、本気で泣きたくなった。
全然、全く、よくねーし…!!
「…ゆあちん……」
どうしよう。あれで、嫌われてたりしたら。どうしよう。
謝って許してもらえる? いや、それ以外にもう打つ手なんかないけど。謝るしかないけど、それが通じなかった場合はどうすればいい。
ぼすん、とベッドに倒れ込んで、シーツに顔を埋めながら唸った。
こんなに悩んでいるのに、頭に浮かぶのは泣きながら、オレが好きだなんて言ったあの子の顔で。
隅々まで食べるように重ねた唇だとか、苦しげな息だとか、涙で潤んだ瞳だったりが、頭の中から消えてくれない。
(…可愛かった)
とか、考えてる場合じゃ、絶対ないのに。
「……オレの、バカ…」
正直過ぎる脳内を、洗い流したい。
けど、そんなのは勿体ないとも思ってしまうから、本当にオレはどうしようもなかった。
迷走するそうして、なんとか勇気を振り絞って登校した次の日。
どれだけ待っても、隣の席が埋まることはなかった。
20130213.
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