幼心の成長記 | ナノ




謝らなくちゃいけないと、確かに思っていたはずなのに。

彼の身体の大きさもあって、とても広く空間が空いたように見える隣の席を横目に、溜息を吐いた。



「ゆあ元気ないねぇ…そんなに紫原が心配?」

「え? あ、うん…そんなところかな…」

「そんなところって…何かあったの?」

「ううん、何もないよ」



なんて、嘘だけど。無駄に周囲に心配をかけさせたくもないから、笑顔で首を振っておく。
けれど、心の中は当たり前ながら全く晴れない。



(先に、帰っちゃってたし…)



昨日のことを思い出して、気分は沈む。
彼に向かってあんな口答えをしたのは初めてで、喧嘩のようになったままなのが心苦しい。

気分を悪くさせたと思う。本音でも、もう少し言い方を考えれば怒らせずに済んだかもしれないのに。
部活が終わったら謝りに行こうと思っていたのに、それほど怒らせてしまったのか、紫原くんは逸早く帰路についてしまっていた。
今日こそは、と朝から気合いを入れてきたら、風邪をひいて休みだという。

まるでタイミングの神様に見放されたかのような現実に、私は一人落ち込んでいた。



(紫原くん…)



顔を見れないだけで、ここまで寂しくなるだろうか。
考えて、ううん、と思い直す。

不安なんだ。きっと。
謝れないでいる内に、彼に見離されてしまわないか。
また、昔のような目付きで見下ろされないか。
怖い。怖くて、頭の奥がじん、と痺れる。

彼に、優しく呼んでもらえなくなるのが、怖い。
冷たい態度が怖いのは、嫌われてしまうのが、怖いから。



(…会いたい)



会って、向かい合って謝りたい。言い過ぎたから、ごめんね。そう言いたい。
連絡手段があっても、それを扱うほどの勇気は湧かなかった。何度か携帯を手に取ってみても、発信ボタンは押せなかった。

顔も見れずに、冷たい声を返されたらどうしよう。
そう思うと、とてもじゃないけれど実行できなくて。
馬鹿みたいに、一人で泣きそうになりながら携帯を仕舞いこんで。明日はきっと会えるから、なんて、逃げて。



(私、すごく弱虫だ)



彼はいつも、私がどれだけ弱くても、頑張ってくれていたのに。

こんな些細な不安一つで、身動きの取れなくなる自分が嫌だった。








 *




「花守、少しいいか」



何の前触れもなく赤司くんがやってきたのは、ホームルームを終えてすぐのことだった。
帰りの支度を済ませて部活へ向かおうとしたところを呼び止められ、生徒の波の少ない廊下まで連れ出される。

何か特別なようでもあるのだろうかと、期待半分に向き合えば、軽く周囲に視線を配った後に赤司くんはすまないが、と一言置いた。



「訊ねたいことがあるんだ」

「はい…?」



てっきり、私を呼び出すのだから紫原くんのことで何かあったのかと思ったのだけれど。
早とちりだったのか。少し恥ずかしい気持ちになりながら続く言葉を待てば、赤司くんは真っ直ぐに私の目を貫いてきた。



「花守は何時の間に心変わりをしたんだ?」

「…は、い? え?」

「昨日、敦が言っていてな。花守に意中の相手がいると」

「………え?」



やっぱり、紫原くんのことだった…?

そんな、今はどうでもいい思考が浮かび上がったのは、問われた内容がよく理解できなかったからだ。



(心変わり…?)



赤司くんは、私の気持ちを知っている。ならば、心変わりをしたということは、私が紫原くん以外を好きになったという話で…



「? あの…身に覚えが…」

「ああ…やはり敦の勘違いか」

「えっ?…な、何でそんな話になったんですか?」



私が彼以外を好きなんて、どうしてそんな事実無根な事柄が浮かび上がるのだろうか。

頭の中が混乱し始める。
私に好きな人がいる? 紫原くんが言っていた? そんなこと、彼に言ったことは…



「……まさか」

「思い当たったか」



あることを思い出して、無意識に唇を覆う。
そんな私を見つめる、赤司くんの目は何もかもを見透かしているようだ。

そうだ。昨日は彼と言い合って落ち込んでいたけれど、事情を知らないマネージャー仲間達との会話中に揃ってからかわれたのだった。
勿論その相手は紫原くんではあったのだけれど、知れ渡ったところではわざわざ名前も出なかったような気がする。

そして問い詰められるがまま、私は…



(好き、って…)



言った。確かに、口にした。
それを彼が偶然、耳にしていたとしたら…?

さあっ、と身体が冷えていく気がした。
もしかして私は、とんでもない勘違いを、彼にさせてしまったんじゃ…。



「おまけに、あれは花守に謝ろうとしたところで打撃を受けたらしい。今にも首を括りそうな顔をしていたな」

「!? キ、キャプテン、私…っどうしたら…っ」

「さて…敦の態度に花守が怯えたのも事実なんだろう」

「!」

「それでも気持ちに変わりはないか?」



本音を探り出そうと見つめてくる二色の瞳に、私は溜まった唾を飲み込んで、相対した。

駄目だ。逃げられない。
彼を傷付けたのなら、尚更私は逃げられない。逃げたくも、ない。



「怖いのは、紫原くんじゃないです」



私が今、何より怖いこと。それは…



(彼に、嫌われてしまうこと)



それ以上なんて、ない。



「私は…紫原くんが、好きです」



何をされても、言われても、嫌いにはなれないし元には戻れない。
不器用でも必死に与えられる優しさを、好意を、私はもう知ってしまったから。

私はそれを、目の前の人物ではなく、彼自身に伝えるべきだったんだ。

私の出した答えを察して、対する人の唇は弧を描いた。







導き出す




「なら、やることは一つだな」



どこか満足げに胸ポケットから一枚の紙を取り出した赤司くんが、それを差し出してくる。
折り畳まれたそれを開いてみれば、綺麗に書き込まれた地図だった。



「赤司くん、これ…」

「共働きで両親は不在。恐らく寝込んでいるだろう」



精神的なショックも大きいからな。

その言葉に申し訳ない気分になりながら、地図を握る手に力がこもった。



「キャプテン…今日の部活、休ませてください」

「ああ。扉は開いているだろうから、問題はないよ」



どこまで知り尽くしているのかとも一瞬思ったけれど、悪用するわけではないから素直に頷いておく。

今はその情報も有り難い。



「っ…ありがとう、赤司くん!」



本当に。本当に、迷惑をかけてごめんなさい。

頭を下げて、もう一度顔を上げた時、珍しく瞠られていた瞳はすぐに、柔らかく弛んだ。



「行っておいで」

「…はい!」



見送ってくれる赤司くんに別れを告げて、走り出す。生徒玄関までの距離でさえ煩わしくて、唇を噛んだ。
早く、早く伝えなければ。

私の心は疾っくにもう、あなたのものなの。
紫原くん。

20130130. 

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