幼心の成長記 | ナノ




たった一言の威力というものを、私はまだ、理解していなかった。






「黒ちん部活やめたんだってー」



部活動の休憩時間、不意に思い出したように呟いた紫原くんに、私はタオルを畳む手を止めて顔を上げた。
短い休憩の間も、彼が寄ってくるのはもう珍しいことでもない。やり取りはぎくしゃくとしなくなって、周囲から見慣れられた光景になりつつある。

最近は別の意味でドキドキして、どもってしまったりすることもあるのだけれど。

ともかく、彼の気持ちを読み取ろうとその顔を見上げれば、いつものように伏せがちな瞳とかち合った。



「ゆあちん知ってた?」

「うん…退部届けを出した日かな、ロッカーの整理して出ていくところ見たから」



その時の光景を思い出しながら頷けば、そっかー、と気の抜けるような声が返ってくる。
特に気にした様子のない、本当に思い付いたから口にしただけのような態度でいる紫原くんを見上げていれば、ゆるりとその首が傾げられた。



「でももうすぐ部活も終わりなのにねー。今やめるならもっと早くやめとくのが普通じゃないのかな」



ああ、痛いな。
その言葉は、私じゃない誰かに刺さる、棘だった。

紫原くんの性格は分かりきっている。どんな思考をするのかも、大まかには判る。
だからこそ、向かう先にいる人の気持ちを想像すると胸が痛かった。

手の届かない、同じ場所に並べない、理解されないあの人の背中が、負った傷が思い出されて自分まで俯いてしまう。

彼は多分、歯痒くて、悔しくて、その果てに失望を抱いたのだ。



「…耐えられなかったんじゃないかな」

「? 何に?」

「理解されない寂しさとか、悔しさ…とか、色々」



必要とされたい人に必要とされないことは、生きている上で大きな打撃になる。
彼はその打撃に更に打ち勝つだけの希望を、失ってしまったんじゃないかな…なんて。

よく事情も知らない私が知ったかぶっているとは思う。けれど、この件に関してはどうしても、心に引っ掛かるものがあることは偽れなくて。



「…黒ちんが正しいみたいなこと言うんだ」



私のものではない虚しさに引き摺られて思考に沈んでいた私は、目の前にいる紫原くんの表情を読み取ることも忘れていた。



「正しいっていうか…気持ちは解るかな。勝利だけが正解では、ないと思うし…寂しいよね」



少なくとも、黒子くんが間違っているとは思わない。

再びタオルを畳む手を再開する。
正解なんてないことも理解している。だから納得しようとしていた私に、掛けられた声が重くなって漸く、紫原くんの異変に気付いた。



「何でそんな、黒ちんの肩を持つの」

「え…?」

「別に、いーじゃん勝てれば。それで赤ちんだって満足してるし、それが正解でしょ。スポーツなんて才能とか実力が全てなんだから、弱い奴一々気にする意味がわかんねーし」



冷たい、重い、罵りに近い声を向けられたのが、自分であることに一瞬気付けなかった。
反射的に顔を上げた先にあった顔はもう長く見ていなかった、不機嫌そうな顔付きで。

どくん、と心臓が縮こまる。
その感覚も、久しく感じるものだった。



「黒ちんいなくても勝てるんだから、そーゆーことでしょ」



だけれど。

いくら心が震えても、耐性はついていたのかもしれない。
私の口は考えるより先に、言葉を吐き出していた。



「違う、よ…っ」



違うよ。そういうことじゃない。
正しいとか正しくないとか、そんなことじゃないの。
楽しいか、楽しくないか。苦しいか、苦しくないか。そこが大事な人だっているんだよ。
それを強制したいわけでも、なくて。でも違う気持ちもあることは、分かってほしくて。

これまでの私であれば到底口にすることはできなかったであろう反論は、弱々しくか細く。それでも形にはなったから、届いてほしい。
そう思って見上げた先で、はっと息を飲む音がした。

そして同時に響いた声に、私は現実に引き戻される。



「ゆあ先輩、ちょっと一年の方の指導で分からないことがあるんですけどー!」

「! あ、うん! 今行きます!…あの、私呼ばれたからもう行くね」



遠くから響いた後輩の呼び掛けに声を張り上げて答えて、目の前で立ち竦んだ紫原くんに軽く断りを入れる。
そしてすぐに駆け出そうとした身体は、掴まれた腕により一時停止した。

最悪なことに、びくりと引き攣って。



「…っ!」



反射だった。
低く重たい声と、冷たい目。厳しい言葉を並べられて、意識が過去に帰っていたのかもしれない。

背筋を駆け上がった恐怖感に、振り向いた私はどんな顔をしていただろう。
そしてどんな顔をしていたら、私よりも怯えた子供のような表情で、掴んでいた腕から手を引く彼を見ずにすんだのか。



「ご、ごめん…もう行くね」



言葉を選ぶ暇も余裕もなく背を向けて走り出し、後でちゃんと謝らなければと考えていた私は、知らない。

空を切ったその手がどこに向かったのかも。
私を見つめる彼が、どんな思いでいたかも。

そしてそれを切っ掛けに、二重三重の問題が積み上がることも。
その時の私は、考えもしなかったのだ。







擦れ違う




ただ、解り合えないことが悲しく虚しいことだと、それだけを知ってもらえれば、充分だったのに。

20130125. 

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