「どーゆーことっスかぁあああっ!!」
「ひぇっ!?」
教室に足を踏み入れたと同時に響いた叫び声に、つい驚いて妙な声を上げてしまう。
咄嗟に胸を押さえながら改めてその声のした方を窺い見れば、いつものようにお菓子を貪っている紫原くんの机に手をついて、真正面から向かい合っている黄瀬くんの姿があった。
「えっと…」
「あ、ゆあ。おはよー」
「あ、うん。おはよう…あれ、黄瀬くん怒ってるの?」
何が起こったのかは分からないけれど、すごい剣幕だ。
廊下に響くほどの叫び声なんて、人はそうそう出すものではない。
扉近くの友人に挨拶を返しながら事の次第を訊ねてみると、また何やらにやりとした笑みを返されて後退りそうになった。
「紫原と二人っきりで試験勉強してるんだって?」
「へっ…」
「黄瀬くんが騒いでんのソレよ。やー、仲が良くて何よりねー」
わざとらしく手で口を覆いながら冷やかしてくる友人に、顔に熱が集まるのが分かる。
否定できないから余計に恥ずかしかった。仲は、確かにいいと思う。
「バスケ部レギュラーっていつも強制的な勉強会してんだって?」
「う、うん。多分」
「それで今回紫原がいないことを不思議に思って赤司くんに訊ねてみれば、アンタに任せたってんで抗議しに来たみたいよ」
「へ、へえ…」
「ゆあモテるー」
「いや…黄瀬くんは多分赤司くんが怖いだけなんじゃないかと…」
確かに黄瀬くんとも友人としていい付き合いをしてもらっているけれど、そこに妙な感情は入っていない。
赤司くんは決めたことにはとにかく厳しい人だから、その指導を苦手とする人間も多いのだ。
恐らく、同じ勉強をするなら優しい環境でしたいという、彼の考えは一種の甘えなのだと思う。
「ずるいっスよ紫っちだけ! 花守っちに教えてもらえるとか絶対優しいじゃないスか!」
「赤ちんが決めたことだしー。黄瀬ちん嫌なら自分で勉強してたらよかったじゃん」
「できたら苦労しないんスよ! てか、それ紫っちも言えることだし!」
なのに紫っちだけ花守っち独占してズルい!!
ばんっ、と机を叩きながら不満をぶつける黄瀬くんに、対して紫原くんはというといかにも面倒臭そうな顔でお菓子を貪り続けている。
相変わらずだなぁ…と苦笑していると、既に痺れを切らしていた黄瀬くんが苛立たしげに眉を顰めるのが見えた。
「大体何で紫っちばっか花守っちといるんすか! おかしいっしょ! オレの方が花守っちと仲良いのに!!」
その瞬間、教室の空気が凍りついたのは言うまでもない。
お菓子に伸びていた彼の手がピタリと止まって、これもまた久しく耳にする低く冷たい声が、全て嚥下した喉から絞り出される。
「…はぁ?」
恐らく普段の紫原くんのぼんやりとした姿しか知らないであろうクラスメイト達は、化け物でも見たかのような顔をして一斉に彼を振り返る。
私はというとデジャビュを感じながら、一変した状況に息を飲んだ。
これは、ちょっとまずいかもしれない。
「黄瀬ちんさぁ、何言ってんの?」
「事実っス。紫っちよりオレのが花守っちと仲良かったはずなのに、最近おかしいよね」
「何が」
「苛めてた人間と仲良くなるとか、いくらなんでも調子よすぎっしょ。紫っち、花守っちのことからかってんじゃ‥っ」
「! 紫原くん! ストップ!!」
長い腕が黄瀬くんの胸ぐらを掴んだ瞬間、咄嗟に叫べば振り上げられた拳が止まる。
駄目だ。これは、完全に地雷を踏んだ。
眠たげだった瞳に怒りがちらついているのを見てとって、何とか止めようと思ったのだけれど。
何故か黄瀬くんもムキになっているようで、更に彼を煽るような言葉を吐くから堪らない。
「何回花守っち泣かして迷惑かけたと思ってんスか。今更仲良しとか、虫がよすぎるんじゃない?」
「うっせーし…黄瀬ちんだってファンの子達に嫌がらせされる切っ掛けだったくせに」
「そーっスね。けどオレ自身は花守っち大事にしてきたつもりっスよ。それを横取りされちゃ堪んないでしょ」
「横取りしたのは黄瀬ちんじゃん」
どんどん悪くなる空気に、クラスメイト達の顔色も比例する。
今にも殴りかかりそうな紫原くんから目を離せないまま、私は近くにいた友人の肩を叩いた。
「ごめん、赤司くん呼んできてくれる?」
こんなくだらないことで呼び出すのは気が引けるけれど、彼の言葉ほど二人に効けるものはないだろう。
最悪の場合、間に合わなかったら私が止めるしかない。
「わ、わかった…っ」
ぎこちなく頷いて教室を出ていったクラスメイトから言い争う二人へと視線を戻せば、更に白熱する争いの中で既にどつき合いが始まっていた。
「花守っちと仲良いのはオレっスよ!!」
「こっちは黄瀬ちんみたいな軽い気持ちじゃねーし! 途中から入ってきて何でも知ってるみたいな顔すんなし!!」
「途中とか関係ねーっしょ! オレは真剣に花守っち大事に思ってるっ!!」
「オレがゆあちん好きな気持ちの方が大きいし! 黄瀬ちんなんかよりずっと本気だっつの!!」
そして何だか論点がどんどんずれている気がする…。
完璧に喧嘩腰なのに会話内容の要点に自分が置かれているのが恥ずかしくて、危機感よりも羞恥心が勝る私は間違っているのだろうか。
見た目はかなり迫力があるせいで寄り付けないでいるクラスメイト達も、何だこの茶番…と言いたげな視線を交わし合うのが見えて、これはもう赤司くんを待つのは無理だと、耳を塞ぎたい気持ちを堪えて私は足を踏み出したのだった。
言い争う(もう、お願いだから二人ともやめて…!)
(! ゆあちん、でもオレ負けたくない)
(花守っち…これは引けない戦いなんスよ)
(どこが!? これ以上変な争いするなら私二人と一週間は口ききませんから!!)
(!?)
(な、なっ仲直りしよう紫っち! 一時休戦っス!)
(する! するからゆあちん怒んないで!)
(……もうやだ恥ずかしい…)
(っ、ゆあちん、ごめん。何か分かんないけどごめん…)
(ご、ごめんね花守っち…)
(…何だ、花守一人で片付けられたんじゃないか。流石だな)
(キャプテン…もっと早く来てください…)
20121210.
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