幼心の成長記 | ナノ




軽く膝を擦りむいたかもしれない。
じわりと広がる痛みに顔を上げた時には、既に大きな音を立てて扉は閉じられていた。



「調子乗ってんじゃねーよ男好き!」

「明日まで出してやんないから!!」



刺々しい言葉と高い笑い声が壁越しに届いて、徐々に遠ざかっていく。
さして混乱することもなく軽く溜息を吐きながら身を起こせば、窓から入り込む街灯に照らされた倉庫の中で、自分以外の気配が動いた。



「な…何で先輩まで…」

「え…?」



てっきり私一人が閉じ込められてしまったのだと思っていたのに、振り向けば顔見知りの後輩が一人。
しかも以前、紫原くんのことで突っ掛かってきたことのあるその子の顔を見て、状況も忘れて首を傾げてしまう。



「鍬田さんも恨みを買っちゃったの?」

「っ…わ、私は別に…真面目に仕事をしていたら、キャプテンと接する機会が増えただけで…」

「そっか…そうだね。二軍でも仕事をする人間は比較的一軍との交流も増えるからね」

「どう考えても逆恨みです!…ていうか先輩、落ち着きすぎじゃないですか?」



私達、閉じ込められちゃったんですよ?

普段気の強そうな目付きをしている後輩の不安そうな呟きに、私は小さく苦笑する。
倉庫内の備品で確かめたいことがあるから、と同級生で二軍マネを務める仲間からここまで連れてこられ、扉を開けたと同時に突き飛ばされてしまったけれど…実はこんな状況は初めて味わうことでもなかったりして。

慣れてるっていうのも、どうかとは思うんだけどね…。



「一年生の頃からたまにあったから、こういうこと」

「は…?」

「一人じゃないだけ今回は優しい方だよ」



暴力や暴言をぶつけられるわけでもなく、ただ一日閉じ込められるだけだ。そこまで切羽詰まることもない。



「最悪でも明日には出られるしね」

「先輩、笑顔ですけどそれ全然大丈夫じゃないです」

「大丈夫。荷物も残ってるし、まだギリギリ残ってる部員もいるはずだし、帰りが遅ければ家族も気にするし…まぁ、とにかく大丈夫だよ」

「……花守先輩って弱そうなのにそうでもないですよね…」

「そう…?」

「今もですけど…前に私が文句を言った時も、怯まなかったし」



とりあえず落ち着いて助けを待とうと扉近くに座って膝を抱えれば、少し離れた場所に佇んでいた鍬田さんも溜息を吐きながら同じように座り込んだようだった。



「一年の頃、何やったらこんな目に合うんですか」



密室に二人きり、何も喋らないでいるのも気まずいな…と思っていたところに掛けられた疑問に、彼女も同じ気持ちなのだろうかと、考えながら頬を弛めた。



「私、紫原くんに…虐められててね。それを構われてると取った先輩とか同級生に、たまに呼び出されてたの」

「……は? え、ちょっと待ってください。紫原先輩が…?」

「私のこと嫌いだったみたいで。まぁ…色々言われたりして。あ、あと二年では黄瀬くんのファンの子達からも色々言われたなぁ…」



今思えば、紫原くんに関してはあれも彼なりの葛藤から生まれた行動だったのだと解るけれど。
でも、怖くて堪らなかったなぁ…と、今は少しも強張らない心で思う。

そんな私の答えが意外過ぎたのか鍬田さんは少しの間口を閉ざして、それからもう一度、今度は些か声を落として訊ねてきた。



「もしかして…紫原先輩が怖いって、その所為ですか」

「あ…そんなこと言ったね、そういえば。うん。その所為だけど、最近はやっと怖くなくなれたんだよ」

「…そう、ですか」

「…でも、だからかな。紫原くんが本気でイラついてるとすごく怖いから…他のことはそんなに怖くないかな、って思うようになっちゃって」

「え……」

「プラスなんだかマイナスなんだか判らないよね…」



薄暗い中でも分かるくらい顔を引き攣らせる鍬田さんに、私もつい苦笑を返した。
でも、だって。あの図体とあの子供っぽさで悪意を露に迫られたりしたら、怖くないはずがないから。

それでもそれを克服できるくらい、今の私は彼のことを大切に想っているのだけれど。



(よく好きになれたなぁ…)



本当に、部活を辞めようかと思うほど苦痛で堪らなかったのに。
今では彼のことを考えるだけで少しだけ胸が苦しくなって、弛みそうになる頬をちゃんと保てているか気をつけなくてはいけないくらいだ。

そんなことを考えて擽ったい気分になりながら、好きと言えばこの子も彼を好きだったな…と、突っ掛かられたことを思い返して、私の方からも気になることを訊ね返してみることにした。



「そういえば…鍬田さんは告白したの?」

「っ、何ですか急に」

「いや…あの日から先が気になって。ちゃんと本人に伝えられたのかなぁって…」



していたとしたら答えが気になるなぁ…と、膝を抱える彼女の顔を覗き込めば、ぴくりと肩を跳ねさせたかと思うと苦いものを食べたかのような声が返ってきた。



「しましたよ…あっさりフラれましたけど!」

「…そっか」



その答えに少しばかりほっとした私に気づいたのか、ただ鬱憤が溜まっていただけなのかは判らないけれど、彼女はそこで止めずに声を荒立てて更に続けた。



「もういっそ清々しいくらいでしたよ…。理由を聞けばほぼ先輩のノロケで返ってくるし、見たことないくらい幸せそうな笑顔浮かべてるし、最終的に失恋したはずなのに悲しさも忘れて呆れましたよ私は!」

「あ、呆れるほど…何言ったのかな紫原くんは」

「…告白したはずが延々と先輩の可愛いところと優しいところと好きなところを並べ立てられた私の気持ち、解りますか?」

「う、な、なんか…私じゃないけど、ごめんなさい…」

「全くです!…と、思ってたんですけど……なんか、今日話を聞いてみたら少し解ったから、もういいです」

「え…?」



ふん、と鼻を鳴らしながらも納得したという彼女に瞬きをしつつ視線を向けると、言葉通り呆れたような苦笑を浮かべて返される。



「花守先輩に敵わない理由…なんとなく解ったし」

「ええと…」



どういう意味だろう。

気になって首を傾げた時、若干錆び付いたガタガタという音と共に倉庫内にうっすらと光が広がる。
口にしようとしていた言葉も忘れて顔を上げれば、開かれた扉の先で赤い瞳がゆっくりと細まるのが見えた。



「ここにいたか。花守、それから鍬田も…無事なようだな」

「っ、キャプテン…!」

「特に無体は働かれていないな。よかった」



どうやら探し回ってくれていたらしい。赤司くんの助けの手に、それまで落ち着いていた鍬田さんが泣きそうな声を上げる。
そう時間も掛からずに見つけ出してもらえて、一先ずほっとしながら私も立ち上がったところで、その赤司くんが倉庫の外側に顔を出し、声を張り上げた。



「紫原! いたぞ、ここだ」



それから数秒もしない内に飛び込んできた影に、驚いたのは私だけではなかったと思いたい。

勢いよく突っ込んできたその人の胸に、気づけば顔を押し付けられていて。
背中に回されて頭に置かれた手が、力加減を忘れて震えていた。



「ゆあちんっ…!」



とても悲痛な呼び声に、息苦しさも忘れて肩が揺れる。
湿ったシャツからは汗の匂いがして、近くで速まった鼓動が聞こえた。



「ごめん、ゆあちん、ごめんね、オレ…っ怪我してない? 何もされてない? 泣いてない?」

「だ、大丈夫…大丈夫だよ、何もされてないから…」

「でも、オレの所為なんでしょ…? ごめんね、ゆあちん…」



ぎゅう、と締め付けられる身体は、嫌わないで、と言われているようで胸が苦しくなる。
確かに、紫原くんが人目を気にしないことがこの状況に繋がったというのは、強ち間違いとは言えないのだけれど…。

正直そこまで怖がってもショックを受けてもいない私には、どちらかというと、鍬田さんや赤司くんの目の前で彼に抱き締められている現状の方が恥ずかしくて、辛い…というか…。



(だ、抱き締められてる…っ)



ここまで深いスキンシップは初めてで、かーっと顔に熱が集まるのを感じる。
意識すると私まで違う意味でドキドキし始めてしまって、空気の読めない心臓に泣きたい気持ちになった。

紫原くんは心配してくれてるのに、私ったら…。



「紫原、少し力を抜いてやれ。それじゃあ花守が呼吸できない」

「!…く、苦しかった? ごめんねゆあちん」

「う、ううん…」



すぐにするりと力の緩んだ腕に、少し寂しいような感覚が背中に走って泣きたくなった。
それでも完全に離れていくわけではなく、腕の中からは抜け出せない。



(力、強い…)



大きいし、男子だから当たり前だけれど、柔らかくない。
くっついている部分から自分と彼の身体の違いを体感して、また胸の中心を絞られているような苦しさが襲った。

私はもしかしたら、自分で思っている以上に、紫原くんを好きになっているのかもしれない。



「あの、本当に大丈夫だからね。紫原くんの所為でもないから…こういうのは、原因より実行する人が悪いわけで…」

「でも、ゆあちん本当に怖くなかった…?」

「怖くないよ。一人じゃなくて鍬田さんもいたし、それに…紫原くんも、探してくれたし」

「……ゆあちん…」

「心配してくれたんだよね…。ありがとう、紫原くん」



少し、羞恥心で震えそうになる手を持ち上げてその背を撫でてみると、びくりと彼の身体が引き攣るのを感じた。
軽く驚いて見上げてみると、私を見下ろすその顔がじわじわと、徐々に赤みを帯びていく。



「あ…えっと、オレ…ごめん、ゆあちん」

「え、あ…う、ううん。大丈夫」



今度こそぱっ、と離れた身体を見るに、無意識の行動だったのだろうか。
困ったように眉を下げる彼に、とりあえず不快ではないと伝えるために私は首を横に振ったのだった。







掻き抱く




いつの間にかいなくなっていた赤司くんと鍬田さんは、気を使ってくれたらしい。
私達が部室まで帰った時には既に、二人揃って詳しい事情を話し合っている最中だった。



(犯人はほぼ三年か…それなりな処罰を考えなければいけないな)
(部活を辞めたくなっても辞められないようなのがいいです)
(考慮しよう)
(あの…程々に…)
(ねーオレがヒネリつぶしちゃダメなのー?)
(紫原くんまでっ?)
(だってゆあちん膝怪我してるし。ゆあちん傷つける奴は全員敵だし)
(擦りむいただけだからそんなに気にしなくても…)
(ゆあちんは甘いの!)
(うん、先輩は甘いです)
(基本的にお人好しだからな)
(そんな連結して言わなくても…)
20121104. 

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