「食べたー」
「食べたねぇ…」
いや、本当によく食べた。私もだけれど、主には紫原くんが。
大満足、と顔に書いてある紫原くんを見上げながら、恐ろしいカロリー摂取量だったと思い返す。
私も相当テンションが上がっていたし、少しだけ分けてもらいもしたけれど…まさか本当に全種類コンプリートしてしまうだなんて、さすが紫原くん、というか。
(運動するからいいのかな…)
一軍、しかもレギュラーを務める彼の運動量はかなりのものではあるので、たまにはこれくらい摂取しても大丈夫なのかもしれない。
でも普段から結構お菓子食べてるよなぁ、とぼんやりと考えていたら、店を出たところで立ち止まった彼に軽くぶつかった。
「っわ、ごめん」
「んー…」
「? どうかした?」
彼が店先に立っていたりするとちょっとばかり威圧感があるので、少しずれようと扉から離れれば、がしりと手首を捕まえられる。
思わず驚いて肩を跳ねさせれば、怖がったと勘違いしたのかもしれない。素早くその手は離れていった。
「…ごめん、ゆあちん」
「えっ、ち、違うよ? 今のはビックリしただけだから」
「怖くない?」
「怖くない。もう怖いなんて思ってないから、大丈夫」
私からも接触することがあるくらいだから、と笑いかければ、ほっとしたように紫原くんの表情も弛む。
その反応に、本当に大事にされていることを実感して。
まるで壊れ物にでもなったかのような感覚に、少しだけ切なく胸が鳴き声を上げる。
「ゆあちん、もう帰る?」
恥ずかしいような、少し申し訳ないような、でもやっぱり嬉しいような…そんな複雑な気分を噛み締めていると、ゆっくりと首を傾げた紫原くんがそう訊ねてきた。
身体は大きいのに、いつも眠たげにしているその目は、捨てられた犬のように頼りなくて。
(うわ…)
可愛いというか、もう、いとおしいと言った方が正しい気がする。
こんな顔は私以外誰も知らないんじゃないかと思うと、頭の中が沸騰してしまいそうで。
呼吸が苦しくなるくらいときめいてしまった私は、もう完全に手遅れな自覚がある。
だって、きっと同じだと解ってしまうのだ。
私も彼も、今考えていることは、気持ちは。
まだ時間は昼を少し過ぎたくらいで、これで帰るとなると休日の時間を無駄にするようで勿体ない。
それに何より、初めて彼と、予定を決めて二人で過ごしているのに、簡単に終わりにしてしまうのは惜しくて。
付き合っているとは、多分まだ言えない。けれど。
「…もう少し、近くのお店とか見て回りたい…かな」
「! じゃあオレも行く」
もう少し、一緒にいたい。
その気持ちが同じだと分かるくらい嬉しそうな笑顔が返ってきて、私も同じように笑い返した。
*
「こーゆートコ入んの初めてかも」
「そうなの?」
「ぼーっとしてたら売り物壊しちゃいそうだし」
パーラーからそう離れていない駅前をのんびりと歩いて、日差しが傾きかかった頃。
何となく気になった雑貨店に足を踏み入れてみると、隣に立つ紫原くんがぼんやりと呟いた。
確かに、雑貨店内は細かな飾りも多く、壊れやすい品物が見栄えを考えて並べられている。
彼ほどの体躯では気を抜けばすぐにどこかにぶつかって、それらを崩してしまいそうではあった。
もしかして、無理をさせてしまったのだろうか。
元々私が気になって入ってみたお店だったため、少し申し訳ない気持ちになる。
「えっと、じゃあ何か違うお店に行こうか…?」
「んー、気をつければ多分大丈夫だし…あ」
「え?」
何かを見つけたのか、唐突に視線を一点に留まらせた彼の手が、私の横を抜けて背後に伸ばされる。
急な行動に驚き固まる私には気づかなかったらしい。
紫原くんはそのまま何かを掴んだ手を眼前まで持ってくると、何故か今度はじぃっと私を見下ろしてきた。
「え? なに?」
「…うん」
「う、うん? 紫原くん?」
わけも解らず首を傾げる私には、身長やその手の大きさの所為で何を持っているのかは分からない。
だからその、一人納得したような頷きの意味も知れなくて。
「ちょっと行ってくるねー」
要点の見えない言葉を残して、そのまま踵を返してしまった彼の背中が、店の奥へと消えていくのを見守ることしかできなかった。
「…え?」
本当に、なに…?
事の流れについて行けず、少しだけ呆然としてしまう。
何か、多分買いたいものを見つけたのだろうとは理解できたけれど、そこで私に視線を向けた意味は何なのか。
疑問に思いながら試しに背後を振り返って、そうして何となく合点がいってしまった私は、軽く息を飲んだ。
(もしかして…)
いや、勘違いかもしれない。まさかそんな、彼に限って…。
「ゆあちんまだ何か見るー?」
「っえ? あ、ううん! もう出ていいよ」
まさか、まさかと内心首を振っていたところにわりと早く帰ってきた紫原くんの声がかかって、思わず引き攣りそうになった喉を押さえて振り返る。
そう?、と首を傾ける彼の表情はいつもより眠たそうな雰囲気が減っていて、何故か今頃、ドキリとしてしまった。
結局、私の方はあまり店内を廻ることもせずに店を出てしまうことになったけれど、正直そんなことはどうでもよかったりして。
そろそろ帰路につく頃合いだと彼の方も思ったようで、自然と足並みは朝から待ち合わせた駅へと向かった。
明日も学校だとか、部活が面倒だとか…他愛ない会話をぽつりぽつり交わしながら、不思議と足並みは揃えられて。
別れの時間が差し掛かってくると浮き足立っていた気持ちも落ち着いてきて、隣を歩く彼という存在をまざまざと感じさせられた。
だからこそ、なんだか夢を見ているみたいだと思う。
(大きい)
すぐ横で揺れる手を見て、少しも恐怖心が湧かなくなった自分が、今更だけれど信じられない気持ちがした。
大きな背丈も、気怠そうな目付きも、間延びした声も、正直過ぎる言葉選びも。
あんなに怖くて、逃げたくて堪らなかったもの。それが今では逆に、傍にいると胸の辺りで何かがそわそわと蠢く。
紫原くんは変わった。
一生懸命に、多分今も、私のために変わろうとしてくれている。
(私は…?)
だったら私は、どうしよう。
どうしたら、何をしたらそれだけの変化に見合うものを彼に返せるだろう。
「ゆあちん、あのね」
「うん?」
改札を抜ける手前、唐突に呼び止められて隣を見上げれば、いつも伏せがちな瞳は少しだけ緊張したように、瞬きを繰り返す。
これ、と差し出された大きな手に、反射的に私の掌をその下に添えた。
「オレ今日ゆあちんとずっといられて、すごい楽しかったから…証拠」
「…証拠?」
「夢じゃないって、証拠。だからゆあちん、捨てないでね」
嬉しくて、楽しくて、幸せ過ぎたから。
夢だったって、思ってしまいそうだから。
そんな言葉と同時に掌に落とされたのは、キャスケットに付いた花飾りとよく似たデザインのバレッタだった。
(まさかじゃ、なかった)
受け取った掌が震えそうになって、指を曲げる。
まさかと思ったのに。紫原くんがこんなことをするなんて、思っていなかったのに。
思わず少しだけ泣いてしまいそうになったのは、やっぱり同じ気持ちがあったから。
少し違うけれど、夢を見ているみたいだと私も考えていたから。
形に残る証明を、他でもない紫原くんが欲しがるということ。
その意味の大きさが解ってしまうから、余計に心に響いた。
「うん…解った」
でも、彼はきっと勘違いしてしまうだろうから、必死に心を落ち着けて涙だけは堪える。
今は絶対、泣いたりしたら駄目だ。
「ありがとう、紫原くん」
それから、私に何が返せるだろうかと考えて。
キャスケットの下で髪を括っていたシュシュを外し、袋も何もなく渡されたそれで、いつも学校でしているように両サイドの髪を纏め上げる。
残ったシュシュは少しだけ驚いた顔をして見下ろしてくる彼の左手を取って、その手首に通した。
今は、これだけしかできないけれど。
でも、これから変わる。私もちゃんと、返していこうと強く決めて。
「私からも、証拠ね」
ゆらりと、瞠られた瞳の奥がが揺れるのを見つめて、頬を弛める。
嬉しかったのも楽しかったのも…幸せだったのも、貴方だけじゃない。
その思いが彼に、伝わるように。
決心するまだきっと、彼ほど明確でも大きくもない気持ちだけれど。
育てて、大切にして、ちゃんと返そう。
溢れかえるくらいの想いを、捧げ返すならこの人がいい。
(…ゆあちんずるい。何でそんなことすんの…)
(えっ…嫌だった?)
(逆だし。もー…オレが、死んじゃったらどうすんの…っ)
(え? 死ぬって、何で…?)
(ゆあちんのせいで!)
(ええ!?)
20121020.
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