どうしよう、テンションがおかしい。
弛みまくる自分の頬に手を当てながら、少しだけ冷静になった頭が呟く声に耳をすませた。
紫原くんを好きになっていると気づいてから、浮き足立つような感覚で過ごしている自覚はある。
ある、の、だけれど。
(ケーキが、いっぱい…!)
これはもう、別次元というか。
紫原くんがどうだとかよりも、大皿に並べられたスイーツの量に、驚くより瞳を輝かせてしまうくらいには、私は甘味が大好きで。
「いっぱい取ってきたー」
ほわほわと花でも飛ばしそうなご機嫌具合でテーブルに戻ってきた彼に、注いできていたオレンジジュースを腕が当たったりして倒さないよう位置を変えてあげれば、私と負けず劣らず目をキラキラと輝かせた彼は、ありがとー、と言いながら相好を崩す。
「本当にいっぱい…紫原くんこんなに食べれるんだ。すごいね」
「んー、まだこの二倍なら軽く食べれると思うよー」
「わぁ…すごい。羨ましい…」
甘いものが大好きでもそんなに一気には食べきれない身としては、羨ましいことだ。
身体のサイズが違うから仕方ないし、食べられたとしてもカロリーを気にしてしまうとは思うのだけれど。
「それよりゆあちん、食べよ、早く」
「うん、食べる!」
力一杯フォークを握って頷けば、それまで笑顔だった紫原くんの視線がさっと逸らされる。
え、私何かした…?
「紫原くん…?」
「…何でもない」
「そう…? じゃあ、はい。乾杯ね」
私の分、アイスティーの入ったコップを掲げて促すと、彼の手もすぐにコップへと伸びる。
硝子が触れあう音が小さく響いて、なんだか胸の内側を擽られるような感覚がした。
のも、束の間。
そんなときめきも一口ケーキを頬張ってしまえば、意識はそちらに引き摺られてしまうもので。
「んーっ、おいしい…幸せ…はうぁー…」
優しい甘さの生クリームと甘酸っぱいイチゴ。それから舌で溶かせそうなほどしなやかなシフォンの食感。
久々に口に入れた甘味に、頬どころか脳からゆるゆると弛むような気持ちになる。
言葉にならない感動にうっとりと溜息を吐いた瞬間、ガン、という衝撃がテーブルに走って、コップの中の飲料が揺れた。
って、え…?
「あ、あの、紫原くん…?」
「な、何でもない…」
「え、いや、額大丈夫? 今すごい音したけど…本当に、どうしたの?」
「ちょっと自分と戦ってるだけだから、ゆあちんは気にしないで…」
「え、あ、はい…」
顔はテーブルに伏せたまま掌を向けてきた紫原くんに、お願いだから突っ込んでくるな、と言われたような気がしたので素直に頷いておく。
周囲の視線を集めていることに気づきつつも、彼の身長を考えると今更な気もするので気にしないことにした。
(私、図太くなってるなぁ…)
それもこれも彼と向き合うようになってから、至る部分で注目度が上がってしまったからなのだけれど。
嫌な気がしないのは、これも惚れた弱味というものなのだろうか。
そう考えると、少しだけ恥ずかしい。
少しすると紫原くんも顔を上げて、私とはまた別の種類らしき溜息を吐き出した。
死ぬかと思った…という呟きには、やっぱり反応しないほうがいいのだろうか。
たまに紫原くんが解らない。
「ゆあちんシフォンからいったの?」
「うん、定番かなって。すごく美味しいよ」
「んー…じゃあオレはミルフィーユ食べよっかなー」
どうやららしさを取り戻した紫原くんも、しっかりと握り直したフォークを皿へと向ける。
これもまたイチゴと、生クリームではなくカスタードを挟んだらパイ生地のそれは見た目からして可愛く、美味しそうだ。
なんとなく目を離せなくて彼の動作を見守っていると、ぐさり、と突き刺されたミルフィーユは不安定な形で割れ崩れた。
「あー、崩れちゃった」
「パイ生地って綺麗に食べるの難しいもんね」
「んーまぁ食べれたらそれでいーけど」
崩れたミルフィーユをフォークですくうようにして、そのまま大きく開いた口の中に入れられる。
もしゃもしゃと咀嚼に合わせて動く頬は満足げで、幸せそうに弛んだ目尻にきゅっ、と胸が絞まる。
可愛い、なんて。
考えては一々羞恥心を覚えて、でも決して嫌ではなくて。
ああ、もうこれはわりと末期な気がする。
(いつの間に…こんなに)
ドキドキと、また速まり始める心臓を自覚しながら見つめたままでいれば、私の視線の意味を勘違いしたらしい彼の手が、残りのミルフィーユをすくって差し出してくる。
「はい、ゆあちん」
分けるって言ったもんね、と。
何も考えずにそういうことをしてしまうから、紫原くんなんだと思う。
その行動がどういうもので、どれだけ視線を集めてしまうものなのかなんて、気づく以前に気にしないのだ。
それでも私も、少しの逡巡と葛藤に苛まれながらも、不思議そうに首を傾げる彼には勝てなくて。
ぐっ、と助走をつけるように一呼吸置いてから、震えそうになる唇を開いて、その欠片を受け取った。
「あ」
「っ、んむ……な、に?」
「あ、えっと…どうしよ、オレこれ、使ってたんだった」
やってしまってから、気づくのか。
気にしてないのかと思っていたのに、気づいたらしい彼の頬がじわじわと染まっていく様を見てしまうと、必死に恥ずかしさを堪えていた私はもう、どうすればいいのか判らなくなる。
ミルフィーユの味なんか判るはずもなく、ぶわ、と一気に顔に熱が集まるのを感じて、咄嗟に両手で覆い隠した。
なにこれ、すごく恥ずかしい…!
(回し飲みとか、普通にあることなのに…っ)
これが恋の力っていうものですか。
好きな人相手だと特別に感じるものなんですか。
相手のない問い掛けを心中呟きながら唸っていると、落ち着かなさげな彼の声が、これもまたらしくもなく、控えめに投げ掛けられて。
「あの、ゆあちん…ごめんね」
「い、いや、謝らなくて、いいんだけど…」
「えっと…オレ、これ、使わない方がいー…かな……」
お願いだから、勘弁してください。
そんなの私に了承取られても困るよ…!、と、叫びたいけれど、叫べない。
しかも紫原くんは私をからかっているわけではなく、本気で言っているわけで。
そんな彼を、ぞんざいに扱ったり拒んだりなんて、私にできるはずもなく。
「……す、好きに、したらいいんじゃない‥かな…」
「! でもゆあちん、気持ち悪くない? 嫌じゃない?」
「な、ないからっ…お願いだから、も、あんまり気にしないで…」
羞恥心で死ねるかもしれない。
ぐるぐると意味もなく回転する脳に、目眩を感じる。
だって、気にされれば気にされるほど、先にやってしまった私が気まずいのだ。
しかも答える彼の声がオクターブ上がるものだから、本気で頭から湯気が出るんじゃないかと思った。
声が、態度が、顔が。
言葉なんかなくても強い好意を訴えかけてくるから、強張っていたはずの壁もぐずぐずに溶けて、いつしか消えてしまったのかもしれない。
(ああ、もう…)
苦しくて、どうにかなってしまいそう。
ドキドキを越えてバクバクと鳴り響く胸を、ぎゅう、と服の上から押さえ付けた。
あじわう彼がケーキを頬張る度、フォークに残るクリームを舐めとる度に、つい視線を奪われてしまう自分が、なんだかとてつもなく恥ずかしかったり、して。
(ゆあちん、これうまいよー。はい)
(っ、あ、ありがとう…)
(なんかオレ、餌付けしてるみたいだねー。ゆあちん鳥の雛みたい)
(……それは…複雑かも…)
(えーそう? ゆあちんが雛鳥ならオレが餌あげるよー)
(うん…でも人間がいいな。紫原くんとも、喋れなくなっちゃうし)
(………)
(っ! え、ちょっ、紫原くん? 今机に膝ぶつけたみたいだけど、大丈夫っ?)
(…もー…っゆあちんはオレを殺したいの?)
(何の話!?)
20121014.
prev /
next