「ゆあちん、明日練習休みだよねー?」
「え…? うん」
それは、私の誕生日から二日ほど過ぎた日の朝。
教室に入ってきたかと思うと挨拶よりも先に疑問をぶつけてきた紫原くんに、とりあえず頷きながらおはよう、と付け加えれば、彼の方もふにゃりと笑って応えてくれる。
このやり取りにも随分と慣れてきた気がして、私もつられて笑みが溢れた。
「それで…休みがどうかしたの?」
明日は祭日で、部活は珍しく一日休みとなってはいるけれど。
疑問の意図が気になって首を傾げる私に、鞄とお菓子の入っているビニール袋を机に置いた彼が、身体ごとこちらを向くように椅子に腰掛ける。
その表情はどこかうきうきと弾んでいるように見えて、普段のぼんやりとしたイメージを覆す姿に私は数度目蓋を瞬かせた。
「あのね、ゆあちんが暇だったら誘えって、赤ちんにケーキバイキングの券貰ったんだー」
「! ケーキ…?」
「駅の近くにちょっと前にできたとこで、行きたくても行く暇なかったんだけど、ゆあちん行かない?」
駅の近くに最近できたと言われると、評判のいいパーラーを思い出す。
格安で二時間弱のバイキング形式で、種類は豊富。若い世代にもかなりの人気で、客足が途絶えないということは耳にしていた。
何を隠そう私自身も、気になってはいたのに中々予定が組めなくて行きそびれていた店だ。
まさかそんな美味しい話があるのかと若干呆然としていると、私の態度を勘違いしたらしい紫原くんの表情が、一気にしょぼくれてしまった。
「あんまり、好きじゃない?」
「! ち、違うよ。ちょっとびっくりしただけで」
「びっくり?」
「あの、私も実は…甘いもの、好きなの」
運動部であれどもマネージャー業レベルの運動量では、消費が難しいからそんなにしょっちゅうは食べれないのだけれど。
でも、ケーキのバイキングと言われれば、心引かれないわけもなく。
「…ゆあちん、甘いもの好きだったの」
「? うん。たまに我慢できなくなってお菓子作ったりするくらいは、好き」
「…ヤバい。すごい嬉しい」
「え? 紫原くん…?」
大きな身体が揺らいだかと思うと、机に突っ伏す。
何事かと思わず席から立ち上がって近づいてみると、少しだけずらされた顔が腕の隙間から覗いて、弛みきった瞳とぶつかる。
「ゆあちんもお菓子、好きなんだ」
赤く染まった頬に、伝染して私まで顔に熱が集まる。
なんとなく彼が喜んでいる意味が解ってしまって、心臓がきゅう、と鳴いた気がした。
そんな些細な共通点で喜ばれてしまうと、どうしようもなく、恥ずかしくなってしまうのだけれど。
「じゃあゆあちん、明日行ける?」
「う、うん…寧ろ、行きたいな」
「やった! じゃあまたあとで連絡するねー」
花でも飛ばしそうなくらい満面の笑顔を返されて、ついつい白旗を振りたくなる。
紫原くんが喜んでくれて、嬉しく思う自分も確かにいるから、身体の芯から湧き上がってくる熱に少しだけ目眩がした。
その時はまだ、事の重大さには気づいていなかったのに、だ。
そう、その日家に帰りついて暫くして、彼からのメールを確かめた時になって漸く私は気がついたのだ。
あれ、これ、二人っきりで出掛けるってことじゃないの…と。
好意を表している人と、二人っきりで出掛ける。それ即ちデートというものになるのではないか、と。
「ど、どうしよう…!」
『いや、どうしようもないでしょ。どうしてほしいの』
その事実に気付いてまず私が取った行動はと言えば、冷静なのに何かと世話焼きで、幼い頃から親しくしている同い年の従姉妹に電話を掛けることだった。
突然の悩み相談に一瞬呆気にとられたようだったけれど、すぐに通常時のテンションで反応を返してくれる彼女には、これまでもかなり救われてきている。
けれど、今回に限ってはそう簡単に動揺は収まりそうもない。
何せ、私が今までに恋愛ごとの相談を持ち込んだ経験は、ゼロなのだ。
『デート? よかったね。楽しんできなよ』
「ち、そ、そういう言葉が欲しいんじゃなくて…! 私、深く考えずに行くって言っちゃって…っ」
『何。デートなら行きたくないの?』
「え、あ、それは…その…」
行きたくないとは、微塵も思わないのだけれど。
まごつく先の言葉を読んだ彼女が、電話越しに溜息を吐くのが聞こえる。
『満更でもないなら悩むこと無くない?』
「う…いや、でも色々、覚悟とか…どんな態度とればいいのかとか…服装とか…」
『…二人っきりの誘いを掛ける辺り、相手はゆあに好意があるんだろうね』
「……え、えーと…」
『で、細々気にしてるってことは、ゆあも少なからず気があるわけだ』
「っっ…そ、そ…う、なんだよ、ねぇ…?」
『何その曖昧な回答』
「や、その…一応、何となく気付いてはいたんだけど…いざ向き合ってみると、恥ずかしくって……」
まさか一回の電話でバレるとは…。
なんだか枕に顔を埋めてしまいたいような気分で、とりあえずは転がっていたクッションを抱き締めてみた。
好き、なのかな…多分。いや、好きなんだよね…うん。
恐怖というフィルターを取っ払って接し直した彼は、端から見て分かるくらい必死で真っ直ぐで純粋だった。
ぶつけないよう、そっと渡される気持ちに、何も感じないほど私も鈍くはなくて。
あんなに大切に想われて、返したくならないわけがない。
あんなにぎこちなく触れられて、心が震えない方がおかしい。
『まぁ、別に気取る必要は無いでしょ。本当にゆあを好きな人間なら、どんなでも好きでいてくれるよ』
「……なんか、主旨がずれてる気が…」
『でもないと思うよ。ああ、服装もね、自分が可愛いと思ったり、気に入ってるのを着ていけばいいんじゃない。らしさっていうのはそういうとこにも出るんだし』
「うー…ん。ちょっと、考えてみる…」
『考え過ぎて遅刻しないようにね』
「う、はい…」
抜け目ない彼女からの指摘にクッションを抱く腕に力がこもる。
けれど、頭は少しだけ落ち着いてきた。
確かに、言う通りだと思う。
私らしい私を彼は好きになってくれたのだから、変に考え過ぎる必要はないのかもしれない。
私が、私の思う私らしい私でいれば、それで。
「…ごめんね、急に電話掛けて」
『いつものことだし。気にしないよ』
「うん、ありがとう…少し、頑張ってみるね」
『応援してる。それじゃあ、おやすみ』
微かに笑う気配を感じ取って、私の顔も自然と微笑む。
通話の切れた携帯は充電に繋いで、よし、と一度頷いてクッションを手放し、立ち上がった。
とりあえずは、明日の服装だ。
チェストとクローゼットの中身を思い浮かべながら、私は大きく深呼吸した。
自覚するいつからか、なんて分からない。
けれど確かに、今も尚育つ想いがあるのは、確かだった。
20121001.
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