幼心の成長記 | ナノ




歩み寄ると決心したはいいものの、身体はそう簡単に切り替わってはくれない。
普通に接することができるようになるまでも、かなりの時間が必要になるかもしれない。そのことが申し訳なくて気になってしまう私に、彼はううん、と首を横に振った。









昨日よりも僅かに軽くなった足取りで辿り着いた教室は、いつもと変わらない賑やかさだ。
ドア付近にいた友達と軽く挨拶をして自分の席を目指すと、隣の彼はまだ来ていないようだった。



「おはよーゆあ。現国の課題やった?」

「おはよう。うん、一応やったよ」

「マジで? うわー…あのさ、あたし多分今日あてられるんだよね…なのに昨日うっかり転た寝しちゃって、気づいたら朝でさ…」

「仕方ないなぁ…次は気を付けるんだよ?」

「ありがとー! ゆあ天使! 今日ジュース奢るね!!」

「はいはい…」



苦笑しながら鞄から取り出したプリントを渡せば、大袈裟に喜んで抱きついてくる友達の背中をぽんぽんと叩く。
運動部のその子は遅くまで自主練まで頑張っていることを知っていたから、たまに疲れて寝てしまうことがあっても仕方ないと納得できた。

私自身、マネージャーの仕事がハードな日は倒れこんだまま眠ってしまうことがあるし。
そんなことを考えながら他の教材も鞄から引き出しに入れ換えていると、ふ、と手元が陰った。



「あ」



ぴくり。
震えてしまった肩には気づかなかったふりをして、手元から顔を上げる。
ガタン、と音を立てた椅子に座ったその人物に、ばくばくと速まり始めた心臓を押さえつけながら視線を向けた。

ぱちりと、垂れ目がちな瞳と目が合う。



「お、っ…おは、よう…っ」



上擦りそうになる声を必死に保って、口にした。
そんな私に隣の彼は目を瞠って、それからすぐにふにゃりと相好を崩す。



「おはよー、ゆあちん」



心底嬉しそうに頬を染めるその姿に、少しだけほっとした。

よかった。言えた。

まずは日常会話に慣れることから始めようと思い、今日は朝から紫原くんに挨拶することが目標だったのだ。
まだまだ壁は厚いけれど、こうやって一つずつ慣れていくしかない。

しかし未だ速いままの鼓動を静めながら彼から視線を外した時、あれ、と思った。
何だか異様に、クラスが静まり返っていないか、と。



「?…っひ」



不思議に思って周囲を見た瞬間、集まっていた視線に気づいて身体が石になりかけた。

何故か先ほどまでは自由に騒いでいた大半の人間の目が、全部此方に注目していたのだ。しかも、無言で。
わけもわからず顔を引き攣らせる私とは違い、紫原くんはまだふにゃーっと笑ったままだ。



「む、む、むらっ紫原おまえ…っおまえ…!」

「おめでとう! おめでとう紫原くん!! よかったね!!」

「何があったんだ紫原ーっ!!」

「えー? んー…」



静まっていたかと思えば今度は途端に騒ぎだす彼らに、上機嫌な紫原くんはのんびりと、いつも通り手に持っていたお菓子の入った袋に手を突っ込む。
鼻歌でも歌いそうにふわふわとした空気を漂わせた彼が取り出したチュッパチャップスは、長い指に包み紙を外されたかと思うと私の唇に押し付けられた。



「? ん?」

「ティラミス。嫌い?」



これは何だろうか、と見上げれば、こてりと傾げられる首。紫色の髪がさらりと流れる。
ふにふにと押し付けられるそれに少し戸惑ったけれど、これもきっと慣れるしかないのだと、小さく口を開けて少々強引な贈り物を受け取った。



「だから何があったんだ紫原…っ!?」



なんだか余計に騒がしくなってしまったけれど、とりあえず私に注意が向けられていないのでこっそり俯いておく。

当の本人である紫原くんもあまり気にしてはいないようで、同じように取り出したイチゴミルク味を口に入れながら、もう一度私を見て、笑った。



「ないしょ」



挨拶一つで、ここまで喜ばれるなんて…。

何だか居たたまれない気持ちに身体を縮めていれば、近くにいた友達が今夜は赤飯ね、と呟くのが聞こえた。








祝われる




首を横に振った彼は、いいよと笑った。
ちゃんと待てるから、ゆっくりでいいよ、と。
20120823. 

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