誰にでも好かれる人間なんて、そういない。進んで敵を作らない性格をしている自覚はあるけれど、それでもどうしたって気に入ってもらえない人には気に入ってもらえないものだ。



「ねぇねぇ、みょうじちゃんの彼氏って確かすっごい大きい人だったよねぇ?」

「え? うん…?」



その日、昼前最後の講義が終わってすぐに話し掛けてきたのは、同じゼミに所属する知人だった。
友人と呼ぶには関わりの少ない彼女は、日頃から私を敬遠しているような態度をとっていた。嫌われているのに私からわざわざ接触を図る必要もないと思っていたから、話し掛けられたのは初めてのことだ。

学生らしい少し派手なメイクやファッションには、無意識に尻込みしてしまう。おしゃれだなぁ、と感心すれど、向けられる感情が厳しいものだと刺々しく写ってしまうのが困るところだった。



「えっと…その、彼…が、どうかしたの?」



何の用もないのに、突然恋愛話を振ったりはしないだろう。しかも苦手な人間相手には、尚更だ。
流れ込んでくる嫌な予感に心の中で構えを作りながら、できるだけ自然な動作で荷物を整えてバッグの中に入れ込んだ。

嫌な話は聞かないに限る。早めに終わらせるが勝ちだ。
そんな思いを察知されたのか、机の前にまで滑り込んできた彼女はそれがさぁ、とわざとらしく困りきったような顔を作った。



「先週の土曜に、それっぽい人見かけて。ほら、あんな背だし目立つじゃん?」

「あー、まぁ…」

「それでこれ、言った方がいいか迷ったんだけどー…女と腕組んで歩いてたんだよねぇ」



どこで私の恋人の情報なんて手に入れたんだろう…と、素朴な疑問を抱いていたところに本題を出されて、軽く目を瞠る。
女とは、勿論私じゃないのだろう。わざわざ切り出してきたことからも分かるし、彼女が付け足した日にちや時間、私には他に予定があった。
彼女が見掛けたという場所には足を運んでいないし、彼とは会ってもいない。

つまり彼女は、私の恋人の浮気現場を見た、と言っているのだ。



(自信満々だなぁ…)



もしかして、嫌がらせに嘘を吐かれたのかと一瞬過った考えは、私の反応を窺ってくる瞳に楽しげな光を見てとれた瞬間に却下された。
そんなすぐバレる嘘のために、苦手な人間にわざわざ話し掛けてはこないだろう。
私の何が彼女に気に入られないのかはよく分からないけれど、そこまで馬鹿らしいことをする人もいない。

無言になる私に向けられる気遣わしげな表情には、勝った、と言いたげなオーラが付き纏っていたけれど。
しかし口を閉じた私はと言えば、彼女の言葉を受け止め損なったまま頭を悩ませている。

だって、どうしたって、全くと言っていいほど浮かばないのだ。
私以外の女の子と腕を組んで歩く、楽しげな敦くんの姿なんて。

そんな日が来たら、雨どころか槍でも降らしてしまいそう。
数十秒悩みこんだけれどやっぱりうまく想像できなくて、私は早々に諦めることにした。



「えっと…実際のところどうなのか判らないけど、教えてくれてありがとう」



どうせ、想像したところで事実かどうかまでは判らない。悩むだけ無駄だ。
あっさりした返答がまた癪に障ったのか、それまでの同情でいっぱいですといった顔を捨てた彼女は、つまらなそうに離れていく。



「浮気じゃないといいね」



向けられた背中が発した心にもなさそうな乾いた声に、そうだね、と苦笑して返したところで会話は終わった。






今日は都合よく午後の長い講義が休講で、時間の空いた夕方から彼に会いに行こうかと、元々考えてはいた。
示し合わせたかのようだけれど、ここまで彼女は読んでいたのだろうか。
さすがにそれは考えすぎかと、広い胸に背中をくっ付けて寄っ掛かりながら息を吐きだした。

どっちにしろ、喧嘩を売られたようなものだ。そのことには少し、気が滅入る。



「なまえちん、何か今日ちょっと疲れてんねー」



ぴたりとくっついた背中から、呼吸や発声の振動が伝わる。服越しでも感じる人の熱には、自然と四肢から力が抜けていく。

よしよし、と頭を撫でてくる大きな手は本物の気遣いに溢れていて、ずっとこうされていたい気分になる。
意識的に柔らげられた声が、じわじわと身体に染み込んでくるのも心地いい。

だから、やっぱり、と呟いてしまった。



「? どうかした?」

「うん…今日ね、あんまり仲良くはない子から話し掛けられて」

「なまえちんが仲良くないとか言うの、珍しいねー」

「仲良くなかったら、普通は関わらないからね」

「でー? その仲良くない奴に苛められでもしたの?」



だったらヒネリつぶしてやるけど、と吐き出されるお得意の物騒な台詞に、私は苦笑して首を横に振った。

やっぱり、敦くんがこうだから、全然イメージできないのだ。



「敦くんの浮気現場を見たって報告、されただけ」

「ふー……んん?」



さらっと。あくまでさらっと口にしたのは、流してしまってもよかったからだ。
嘘を吐かれた気はしないけれど、現実感はもっとない。自分が見たわけでもないし、信じられない。

だから、聞かなかったことにしてしまおうかなぁ、と思っていたのだけれど。
話に出された張本人はそうもいかなかったらしい。急に背筋を伸ばしたかと思うと、私の肩を掴んで軽く身体ごと振り向かせた。



「は? 待って。なにそれ? 何でオレ…ってゆーか、浮気って何っ?」

「何だろうねぇ」

「ちょっとなまえちん何吹き込まれたの…!?」

「敦くんが女の子と腕組んで歩いてたんだって」

「お、覚えねーんだけど、いつどこで!?」



二人きりの部屋でまったりとしていた空気は散って、焦った顔の恋人に見下ろされる。
今、胸に耳を当てたらはっきりとした心音を聞き取れそうだなぁと考える私はやっぱり落ち着いたまま、彼女に教えられた場所と日にちをそのまま伝えた。
それを聞いた彼は数秒黙り混んで、記憶を読み返したのかすぐにまた大きく首を振ってきた。



「いや、ねーし! そもそもなまえちん以外の女の子と二人っきりとかほぼない…腕組むとか更にないからね…!?」

「うん」

「てか、浮気とか…そんなことした日にはオレなまえちんと別れさせられるし…っ」

「…うん」



彼が思い浮かべた影は、心当たりがありすぎて否定できない。
顔色を悪くしながら必死の形相で否定してくる彼の頭を、今度は私が撫で返して落ち着かせる。

大丈夫。全く、疑ってなんかいないから。



「なまえちん…オレ浮気なんかしてないよ」

「うん、分かってる」

「本当に? ちょっとも疑ってない?」



いなくなったりしないかと、少しでも不安があれば掻き消さなければと、いつも眠たげな瞳が不安に揺れているのを見て、疑う気持ちは芽生えない。
信じない方が無理な話だし、元から悪い想像はできなかったくらいだ。



「全然、ちっとも」



強張りかけた両頬を擦るように撫でて、まだ何か言いたげに中途半端に開いた唇に口を付ける。
こんな展開は彼女のシナリオではないだろう。けれど、好かれていない人の期待を裏切ることに罪悪感なんて湧くはずがない。

掻き抱くように頭や背中に回される手と、深まるキスに少しだけ優越感。
無駄な力を抜いて笑う私に間を置いて、唇を離した彼は照れながらでも、同じように顔を綻ばせてくれた。







Yours forever.




(……あっ、分かったかも)
(うん?)
(見間違いってゆーか、それオレじゃなくて、兄ちゃんの誰かとかじゃ)
(ああ…確かに、そうかも)
(待っててちょっとすぐ確認する…!)
(え? でも私は気にしてないし…)
(ハッキリさせられるならさせときたいの! オレが!)
(えっと…はい。じゃあ、待ちます)



 *

Yours forever.
=永遠にあなたのもの。


20140522. 

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