髪から肩、腕、手首、手、指。形をなぞるように辿られる本人は、警戒心の欠片もなく深く寝入っている。
それが彼女にとってどれだけ特別な意味を孕むのかを理解しながら、そうとしても一抹の不満も抱きつつ、力の抜けきった指先に自分のそれを絡めて呼吸を深める。

長い睫毛が頬に影を落とし、緩く癖のついた髪が体のラインに沿って流れる。深くソファーに身を埋めながら形の整った唇から漏れる小さな寝息と、秒を刻む壁時計の音がしんと静寂した室内を支配していた。

油断しきった顔しやがって。

僅かな距離を開けて隣に居座り、滅多なことでもなければ目にすることのできない彼女の姿を眺めながら眉を顰める。
組んだ足に頬杖を付き湧き上がる文句を表面に表してみるも、その片手は彼女の指を握り込んで離してしまおうと思えないところが、滑稽だった。

それ以上を求めても確実に拒まれないことは、もう理解している。
手首を絡め取り、組み敷いて蹂躙したとしても受け入れられるだろう。それだけの余裕が彼女にはあり、歪んではいるが執着心も抱かれている。それを知って長くは経たないが、理解して受け入れるには充分だ。
充分過ぎるから、測りきれないでいる。

自分の思惑通りに事を進められたところで、許される。どこまでも赦されてしまえば、止めていい場所が判らなくなる。
その果てで失ってしまう未来が、ないとは言えない。それがまた厄介な事情であり。
恐れるほどには、彼女を上回る執着心を自覚していた。



「…なまえ」



握り潰して捨ててしまおうと、何度も考えては諦めさせられた。幾年も積み重ねた欲求は軽くない。
こうして手に入った今でも、まだ欲しい。

絡めた指とは逆の手を、膝から離して同じように再び伸ばす。
今度は、下から上へ。転がった手先から腕を辿り、肩まできて首をなぞる。そこから髪を掻き分けるように頬へ差し込んで白い頬を一撫でして離そうとした瞬間、それを察したかのようにゆるりと姿を現した双眸に、動きを止められた。



「何もしないの?」



悪戯をする子供を見つけて面白がるような、そんな響きを紡ぎ出した微笑に、込み上げる苦味に舌打ちをしたくなった。
伸ばした手は、未だにその頬を覆ったまま。今から離したところで意味もない。



「…狸寝入りかよ」

「誰かさんがべたべた触ってくるから目が覚めたのよ」



起こすほど分かりやすく触れたつもりはなかったが。
そんな文句も、口にしたところで流されるのが落ちだと知って飲み込まされる。



「悪かったな」

「誰も悪いなんて言っていないのに…」



寧ろ嬉しげな反応をされた方が、やりにくいとこの女は知っていてそんな態度を取っているのか。
緩く首を傾げて挑発的に見上げてくるその姿に、頭痛が込み上げる。



「それで、もう触ってくれないの?」



なんだか、凄く焦らされている気分だわ。

僅かな躊躇いも見せずに呟かれる言葉に、酔いかける。
それでも簡単に転がり落ちたくはないのは、最早ただの意地でしかない。



「たまにはそっちも味わった方が楽しめんだろ」

「……真くん」



それなのに、つい先程まで投げ出されていた手が持ち上がる。それ以上開くつもりのない唇を、仕返しのようになぞられてしまえば枷の鍵は音を立てて崩れ落ちる。
その掌の上で踊らされるだけの存在に、成り下がる。



「あまり、意地悪しないで…?」



どっちが。

その唇に噛み付く一瞬前。
悔しさに奥歯を噛み締めた表情を、その目で捉えた彼女は満足げに笑った。





唇に指を這わせ




糸を操るその手の中に、今日も優勢権は握り締められている。


20130115. 

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