冬の空は、暮れるのが早い。
窓ガラスの向こうはすっかり真っ暗闇で、座っているベンチも冷たくなってきていた。



「なまえちんまーだ?」

「うん、もう少し…待たせちゃってごめんね?」

「うーん…なまえちんといられればオレはどこでもいいんだけどねー」



本当に、気にしていなさそうな間延びした声にほっとする。
それでも、暖房も切られた後の部室は冷え込みが早いから長居はできない。特に、有力選手である彼の体調を崩させるわけにはいかない。
各人のデータを急いで思い起こして、纏める右手のスピードを速めた。

少し字は乱れるけれど、読めれば問題ない…と思いたい。



「マネージャーも大変だねぇ」



向かい合うように、もう一方に置かれたベンチにゆったり腰掛けながら、部活後のお菓子を貪る彼が首を傾げる。
視界に入り込むその姿に小さく笑いを漏らすと、更に首の角度は増したようだった。



「紫原くん達ほどじゃないよ」



強豪校となれば、その練習量は当然軽くない。
選手にマネージャーが気遣われるなんておかしな話で、それもそうか、といった答えが返されるとばかり思い込んでいた私に、次に掛けられた言葉には予想を裏切られた。



「なまえちんって強がりだよねー。実際同じ時間動き回ってるし、マネの方が居残りも多いじゃん」



一瞬、ドキリとする。
止まりかけたペンを慌てて走らせながら、書き掛けの文章を確かめた。

紫原くんのこういうところに、たまにすごく驚かされる。
子供のような態度で周りを巻き込むのに、意外なくらい周囲のことを観ていたりするところもあって。
普段の彼を見ているとつい忘れてしまうけれど、ぼんやりとした目付きの向こうで彼なりの認識は纏まっていることも、知っている。
知っているのにドキドキしてしまうのが少し悔しいような、でも嬉しいような、そんな感覚に胸を擽られることも少なくない。

観られてるんだなぁ…なんて。
付き合っているんだし、他人よりはそれは当たり前に観られているだろうとは思うけれど。
でも、彼の出したマネージャーという単語も、恐らくは私を通して出来た認識だということが解ってしまうから、冷えかけていた身体がじわじわと温もった。

手が悴まなくなったのは有り難いけれど…恥ずかしい。



「アララー? なまえちん顔赤い?」

「…言わないで、いいのに」

「えー? オレ、何か照れるようなこと言った?」

「う…私が勝手に……」



照れただけ、なんだけど。

言い終える前に、鼻の奥にむずむずとした感覚が走って、反射的にペンも放って両手で口と鼻を覆った。
俯いて、ちゅん、と込み上げたくしゃみを吐き出してから顔を上げ直すと、何故か目の前の紫原くんはお菓子を手に持ったまま真顔で固まっていて、少し吃驚して肩が跳ねた。



「なにそれ」

「え?」

「なに今の。え? 今のもしかしてくしゃみ?」

「え、うん…? ごめんね?」

「いや謝んなくていーけど…は…なまえちんくしゃみまでそんな、何なの…マジ……」



うわああ、と、謎の唸りを上げながら顔に手を当てた紫原くんに着いていけない。
何かおかしかったのかな、と疑問に思うも、私には先にやるべきことが残っているわけで。

急いでペンを取り直してデータ纏めを再開すると、一人で唸っていた紫原くんが急に立ち上がった。
今度はどうしたのかと、視線はノートに向けながら不思議に思っていると、よいしょ、という掛け声と共に私の横から片足を放り投げて、うまい具合にバランスを取りながら座り込まれた。
つまり、囲いこむように背後を取られた。



「む、紫原くんっ?」

「んー?」



これにはさすがに驚かずにいられない。
私の両脇から長い足が伸びて、彼の着ていたコートがばさりと、私にまで覆い被せられる。
肩に回された腕と頭に乗せられた顎の所為で背中は完全に彼の胴体にくっついてしまった。

こ、これは、いくら制服越しでも恥ずかしい…。
ばくばくと早鐘を打ち始めた私の鼓動なんて、知らないのだろう。お菓子もベンチに放り出しているのに機嫌良さげに擦りついてくる彼は、風邪引かれたらやだし、なんてうまい理由を引き出してくる。



「くしゃみは可愛いんだけど、なまえちんつらいのやだしねー」

「も、もうなんか、一気に温まっちゃったんだけど…」

「オレも寒いから一石二鳥だよねー」



音だけじゃない。くっついている部分から振動でも伝わってくる声に、一々羞恥心を刺激される。
別に囁くような声でもないのに、近すぎて胸が一杯になってしまって。

どうしたって放すつもりはなさそうな彼に、本気で拒みきることもできない私は、くったりとすぐ下にある彼の腕に顔を伏せた。
ちょっと、データ纏めどころじゃない。頭の中がふわふわして、とてもじゃないけれど部活内容なんて思い出せない。



「今さぁ」

「…うん?」



居たたまれなくて、でも好きな人に触られて嬉しくないわけもなくて。
それがまた恥ずかしくて項垂れる私に、話し掛けてくる彼の声がじん、と身体に響いた。



「寒いのも、ちょっといいなーって思ってる」



紫原くんは、たまにずるい。



(ああ、もう…)



好意の詰まりきった声は甘くて優しくて、私の中に染み込んでは、固くなった部分をとろとろに溶かしてしまう。

本当に、ずるい。
私まで、引きずり込もうとするんだから。



「…現金だなぁ」

「そんなもんだよー、男子なんて」



つい漏れてしまった笑みに、返される声も悪戯っ子のように楽しげで。
でも、子供と言うほど幼いばかりではないことも知っているから、私の心音はいつまでも高鳴り続けるのだ。






冬の帳




でもね、女子だってそんなものかもしれないの。

ふにゃふにゃに弛んだ思考のままに少しだけ寄り掛かった私を見下ろして、色付いた頬を弛ませて彼も笑った。

20130312. 

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