時間だ。

降り頻る雨の所為で重い色をした空が、私の心にまで鉛のように伸し掛かる。
ずっと睨んでいた携帯のディスプレイに刻まれる数字が変わった瞬間に、私は電話帳を開いた。
導き出した名前を少しの間眺めて、躊躇いに疼く胸を携帯の角でとん、と叩く。

今更決めたことを覆すような、愚か者にはならない。

強く力を込めた親指が、通話ボタンを押した瞬間に目蓋を降ろした。









付き合っている、人がいた。

偏屈で変人、だけれどそれは誰よりも真面目で見境なく努力を惜しまないからで、言動が素直じゃないところは玉に瑕だけれど、根は優しい。
そんな男を好きになってしまったのは中学生活も中盤の二年の頃のことで、偶然同じクラスになり、偶然同じ委員に就き、共に仕事にする内に他愛ない会話を交わすようになったことが切っ掛けだった。

近くで見た彼は、他の生徒が絡むのを躊躇っていたのがすぐに理解できたくらいには、変わった人間だった。
明治大正の人間かと突っ込みたくなるような口調に、いつも大事に抱えている何かしらの妙なアイテム。聞けばそれはおは朝の星占いによるラッキーアイテムだと語られ、毎日欠かさず運勢はチェックし、アイテムを持ち歩かない日はほぼ存在しない。
左手のテーピングが気になって訊ねた時、バスケのために爪の手入れも欠かさないのだと答えられたのは中々の衝撃だった。思わず自分の女子力を振り返って、ショックを受けたものだ。

だけどそれでも、やり過ぎなくらい神経質な彼の言動は、面白かった。
最初は本当に愉快な人だな、と。取っ付きにくいけれど悪い人じゃないという感想を抱いて、そこからは彼に話しかけることも増えて。それにより、毎日の楽しみも増えて。

どうして好きになったのかなんて、今となっては判らない。
ただ、気付いたときには緑間真太郎という人間は私の中で大きな影響を持つ存在に、育ってしまっていた。

三年になってクラスが離れても、たまに廊下や、これもまた偶然重なった委員活動で顔を合わせる度に、彼とはよく共に過ごしたと思う。
それくらいしか繋がりがない現状がとてももどかしくて、その影響もあって少しでも顔を見れた日には馬鹿みたいに幸せを感じていた。

それでも最後の最後は、どうしようもなく我慢ができなくなって。
最後ならいいかと、想いを伝える決心をしたのは三年の冬。部活動も終えて家に帰るだけの彼を学校から遠くない公園に呼び出して、私はとうとう思いの丈をぶつけきった。

どうせフラれると思い込んでいたから、言い逃げする気は満々だった。寧ろそれ以外の展開なんて考えていなかったから、私に負けないくらい顔を真っ赤にした彼が、頷いてくれたのが信じられなくて。
頭の中が真っ白になって固まる私に、付き合ってやってもいい、なんて上からの物言いでも返してくれた彼を、更に好きになって。

底無しだと、思った。私の気持ちは、積もっても埋まらないくらい底無しなんだと。
嬉しすぎて、幸せすぎて、泣きたいくらい彼が好きで。
きっとその時が、私と彼の最高期だった。









幸せだったんだよ、本当に。

無機質な、呼び出しのコールを聞きながら唇を歪める。
告げる言葉は決まっている。今更後戻りはできない。
ちょうど一年前にも訪れた公園。そこに人気はなく、しんと静まった空気に雨が地面に打ち付ける音だけが規則的に響いていた。

幸せだった。彼と恋人でいられた一年は、幸せだったと言えた。
通う高校が離れても、どれだけ部活に打ち込んでも、彼は私のためにも時間を作ってくれたし、不器用なりに優しさをくれた。
だから会える時間がどれだけ削られても平気だと思えたし、寂しいなんて贅沢だと解っていた。

解っていた、はずなんだけどな。



『もしもし』



コールが途切れて、低い男の声が機械を通して耳に触れる。
その瞬間に跳ねた心臓に苦い笑みを浮かべて、意思に逆らって視界を歪める液体に蓋をした。



「もしもし、真太郎? 今、大丈夫?」

『ああ…部活は終わって自主練中だから構わないのだよ。どうした?』

「それならよかった。声…聞くのも一ヶ月ぶりくらいかな」

『なまえ?』



ああ、やだな。何でそんな、気遣うように私を呼ぶの。
そんな優しさに価しない、私に。



「あのね…今から少し、時間あるかな」



賭けでも何でもない。答えの知れた問い掛けを試すように口にする私は、汚い。

幸せだったと言いながら不満を抱えた私は、どうしようもない強欲な人間だ。
だから彼がどう答えるかも解っていて、その先だって決めていた。

最初から、後戻りはできない。



『今から、か…? もう夜も更けるのだよ。もし会わなければならない用事なら、また…』

「ううん、それならいいの」

『…なまえ? 何かあったのか、様子が』

「もう、いいの」



嘘。
本当は顔が見たい。会いたい。抱き締められたい。
寂しいと、口に出してしまいたい。縋りたい。甘えたい。

けど、そんな私じゃあ、駄目なのよ。
これだけ優しくしてくれた彼に、負担をかけるだけの底無しの欲を抱えてはいけない。抱える私では、いけない。

幸せ、だったの。それは嘘じゃない。
でもね、同じくらい、苦しくもなってしまったの。

惰性で続く縁なら要らないと、思ってしまった。
同情で繋がる関係に、私では罪深すぎると思った。

彼は不器用でも真っ直ぐな、美しい人で。
一点の曇りもないその存在に染みになる私では、意味がない。



「真太郎といられて、幸せだった」

『…それは、どういう意味なのだよ』

「私と、別れてください」



息を飲む音が、電話越しにも響いた。

ああ、言ってしまった。
傘を指しているのに頬を伝う滴。それが何かも、認めたくない。



「我儘に付き合わせて、ごめんね。でも、幸せだった。一年間付き合ってくれて」



ありがとう。
もう、いいよ。無理しなくていいよ。私なんかに心や時間を割かなくて、いいよ。

貴方は私には、勿体ないような人だから。



「さようなら、真太郎」



答えを聞くつもりは、なかった。
言うだけ言って、予め添えていた親指が電源ボタンを長押しする。逃げる準備だけは早い、私は卑怯な臆病者だ。

だけれど、解っていた。一年使ってたった一言の愛も貰えなかったから。きっと最初から駄目だったのだ。
顔が見れただけで、話ができただけで幸せだった私はもういない。近くなれば近くなるほどもっと欲しくなって、優しさに溺れて欲張りになってしまった。

でも、一言。たった一言の愛が貰えたら、会えない寂しさ、苦しさも抑えきれたかもしれないけれど。
それだって我儘だから、どうしようもないよね。

「好き」って、言ってほしかった、なんて。







これから先きみを嫌いになんてならないけれど、もう一度愛することもないでしょう




毒にしかなれない私なら、きっと誰も、彼も、要らないんだよ。

20130217. 

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