ああ、しまったなぁ。

どんよりと曇った空からしとしとと降り続ける雨を仰ぎ、生徒玄関から足を踏み出した私は溜息を吐いた。
今日は朝から寝坊をして、天気予報を確認する暇がなかった。空というものは気紛れで、少し気を抜いてしまった時ばかり天候を悪くするから堪らない。

もしかして感情でもあって、嫌がらせされているのでは。なんて。
馬鹿みたいなことを考えながら歩みを進めれば、冷たい滴は容赦なく頭から制服、鞄を濡らしていった。



(帰ったら乾かさないと)



そこまで強い雨でもないけれど、長時間晒されれば当然湿り気も酷くなる。
明日も普通に学校はあるのだ。制服と鞄はできる限り救いたい。

既に少し濡れてしまっているけれど、途中のコンビニで傘でも買って帰った方がいいだろうか。
傘代は勿体ないが、そのまま家まで帰ってびしょ濡れになるよりはましな気がする。

まぁどちらにしろ、駅まではこのままだ。走ったところで雨に追突するだけで意味はない。
特に急ぐこともなく帰路についていると、傘を指しながら犬の散歩をしている人と擦れ違った。

冷たい雨が寒いのか、単に目に入りそうなのが煩わしいのか、しょぼついた目をした犬が可哀想なのに可愛らしい。
擦れ違った後もつい一人でにやけていると、唐突に、どもりまくった声に名前を呼ばれた気がした。



「…へ?」



聞き覚えがあるような、ないような。
誰の声か、判断する前に周囲を見回した私の目に写ったのは、道を挟んで反対側の横断歩道で立ち止まっていた、顔を真っ赤にしたクラスメイトだった。

もしかして、にやけてたところを見られたか。
だとしたらちょっと恥ずかしいなぁと思いつつ、とりあえず顔見知りなので挨拶はしておくことにした。



「や、笠松くん。ホームルームぶりです」

「いや! な、なんっ…何で、傘!」

「あ、うん。忘れちゃってねー」



朝寝坊しちゃって、と苦笑を返せば、分かりやすく眉を顰めた彼は一瞬躊躇うように視線を外した後、ぎこちない足取りで道路を渡ってきた。

笠松くんと言えば、普段から女子を避けて通っている人、というのが周囲にこびりついたイメージで。
てっきり女嫌いなのかと思っていた私は近付いてくる彼に素直に驚いて、その顔を呆然と見上げてしまう。

笠松くんが自分からここまで女子に近付くなんて、レアじゃないですか。
しかも傾けられた傘の中に入れられて、どんな反応を返したものか判らない。



「あの、笠松くん…?」

「じ、女子が身体冷やすのは、よくねぇって…」

「あ、ありがとう。でもあの、かなり無理してないかな」



別にとって食いやしないんだけど。

真っ赤な顔で、傘を握る手もガタガタと震えている彼を見上げると、驚きも申し訳なさに変わってしまう。
これは嫌いというか怖がられているのか…?、と首を傾げたい気持ちを抑えていると、空いた片手で何やらバッグを探っていた彼が、無言でその手を突き出してきた。



「え、と…」



胸の前に突き出された、折り畳まれたタオルと彼の顔を交互に見やれば、何となく言いたいことは把握できる。
もしかして使ってもいいの?、と訊ねれば、ぶんぶんと首を縦に振って返された。

なんというか…



(善人だ…)



女子を避けているから、分かりにくかったのかもしれない。
ちょっと、可愛いかも。

折角の善意を断るのも悪いと思いお礼を言って受け取れば、それまで緊張していたのか彼は深く息を吐き出した。



「その、みょうじ、さん、は…家は、近いのか?」

「呼びにくいなら呼び捨てでいいよ。家は…電車で通学する距離」

「あ、ああ。そうか……なら、この傘使って、いいから」

「えっ…いやそれはさすがに駄目だよ!」

「!?」

「あ、や、ごめん」



濡れた髪をタオルで拭っていた最中、かけられた言葉に驚いて、つい大きくなってしまった声に彼の肩が跳ねる。
目を丸くして見下ろしてくるその顔の方が私よりも驚きに彩られていたから、軽く頭を下げて謝る。

でも、駄目なものは駄目だ。



「有り難いけど、それじゃ笠松くんが濡れるでしょう」



さすがにそこまで迷惑はかけられない。

私なら駅の近場のコンビニで傘は買うつもりだから、と付け足すと、それまで黙っていた笠松くんは一度きゅっ、と唇を引き結んだかと思うと何かを決心したかのように息を吸い込んだ。



「解った。なら、駅まで…こっ、こん中入ってれば、いい」

「…え」



それは、所謂相合い傘というやつでは。

提案しながら、更にぶわわ、と顔を赤くする彼に、つられて何故か私まで恥ずかしいような気持ちになる。

いや、相合い傘なんて今時照れることでもない気がするけど!
相手が相手だから、変に意識してしまうというか…。



「あ、の…笠松くん、それ、大丈夫なの?」

「だ、だ大丈夫…だ…」

「本当かなぁ…」

「い、いいから! 時間、遅くなっても困んだろっ…」



まぁ、ここで立ち止まっていても時間は無駄に過ぎていくだけではある。
勇気のこもった善意なら、跳ね返すのはやっぱり失礼な気もするし。



「じゃあ…お願いします」

「あ、ああ」



もう一度頭を下げると、こくりと頷いた彼は私が顔をあげる頃には既に目を逸らしていた。

本当に大丈夫、とは思えない態度ではあるけれど。



(…優しい)



女嫌いというよりは、意識し過ぎて接し方が判らない人なのかな。

肩を並べて歩き始めた、彼の横顔は緊張で固まっているし、その頬は赤い。



(ああ、なんだ)



何だ、すごく、いい男だ。

とくり、響いた心音に自然と頬を弛ませる私に、気付く余裕なんてきっと彼にはないんだろうけど。







はじめてのドキドキ




なんだか少し、得をした気分だった。

空に感情があるのだとしたら、この雨は嫌がらせどころかサプライズだったのかも。なんて。

20130216. 

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