たった一度の接触から、次の機会は自然には訪れることはなかった。
それまではクラスの中では大人しい部類に入る、人付き合いがあまり得意でない方の人種かと認識していたみょうじなまえという女子は、たった一度のその接触でオレの中の認識を綺麗に塗り替えてしまった。
誰にも不調を気取られないように繕っていた笑顔を見破られ、見えない部分でフォローを入れてくれた彼女は、それまで一度もこちらを気にする素振りなんてなかったはずの子で。
だから最初に興味を抱いたのは、その視野の広さと目立たない器用さだった。
その日から急激に接触が増えたりすることはなかったが、見つけてしまった彼女を目で追うようになって気付いたことは多い。
よく俯いているのは目の前のことに没頭しているから。彼女は様々なことに気を引かれる人種のようで、毎日のようにその興味対象は移り変わっている。
友人との付き合いは悪いわけではないし、寧ろ女子からはマスコットのように扱われている節がある。
男子にはあまり興味がないのか、関わっているところは殆ど見なかった。
けれど、たまに何かでしくじったり困っている人間には、気負わせない程度に手助けをする。その立ち振舞いは実にスマートで、普段ぼんやりしているという印象は完璧に消し去られてしまった。
彼女は他人のことには酷く器用で、当たり前の優しさをひけらかさずに渡していくような人だった。
(凄い子だな)
オレのことだって、彼女は特別注目していたわけではないのだろう。その証明に、それ以前に彼女と言葉を交わした記憶どころかきちんと目を合わせたこともなかった。
興味がないように見えるのに、彼女は誰のことも弾いていない。当然のように周囲にあるものに気を配れる。その性質が、オレには大きな衝撃だった。
そんな風に生きられる人間は、存外少ない。
羨むような、焦がれるような感情が身体の芯で蠢くのを感じながら、オレ自身はクラスメイト達に合わせて適当な会話を繋げていたから、その違いをありありと思い知らされる。
今も、彼女の席に寄っていった恐らく一番仲が良いのだろう女子に、強く絡まれながらも穏やかに笑っている姿が目に焼き付く。
気付かれにくいことだが、彼女は分かりやすく飾っていないだけで整った顔立ちをしていた。
(可愛い)
ああ、うん。可愛いな。
自分でも気付いていなさそうな、信頼する相手への情を含んだその笑みはとても綺麗だ。
それを、欲しいと思ってしまうこと。それも当然の成り行きだったのかもしれない。
誰にも平等な優しさを持つその子に、特別な情を向けてもらえたら、どんなにいいだろう。
ころころと変わる興味対象ではなく、大切な位置に置いてもらえたなら。オレだったら、一生優越感に浸り続けていられるかもしれない。
(…いいな)
欲しいかもしれない。
そんな思考に走っていたからなのか、偶然なのか。
ふと、宙を彷徨った彼女視線がぱちりと、オレに定まった。
見ていたことに気付かれたか。
一瞬跳ねた鼓動から気を逸らし、それも構わないかと口元を弛める。
オレが気にするように、彼女もオレを気にしてくれればいい。
にこりと笑顔を作れば、一瞬きょとんとした彼女の顔も首を傾げながら釣られて綻ぶ。
それはまだ親しくはない人間に向ける、当然の優しさだけを含んだものではあったけれど。
「…可愛い、な」
「あ? 何の話だ?」
「いや、何でもないよ」
つい口を突いて出たそれを軽く誤魔化し、気にせずに流してくれた友人達から再び意識をずらす。
その時にはもう彼女も親しい女子達に向き直っていて、少しだけ惜しいような気になりつつもああやっぱり、と内心呟く。
彼女の世界に、組み込まれたい。
その情が欲しい、と。
自覚は一瞬
それはもしかしたら、今まで生きてきた中で初めて、人に対して抱いた願いだったかもしれない。
焦がれるようなそれに名前を付けることは、認めてしまえば簡単なことだった。
20130208.
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