ピンクや赤に染まる町並みを歩いていると、時間の流れを身に染みて感じられる。
もうそんな季節か、と思い知りながら隣に目を向ければ、まるで私がそうすることを解っていたかのようにタイミングよく視線が交わった。
「2月だねぇ」
「そんな季節だな」
2月と言えば、あれだ。リア充だけが盛り上がる例のイベントがある季節である。
隣を歩く男も、それはまぁ大層な量の好意を頂くのだろう。考えただけで胃もたれを起こしそうになって、ムリムリ、と首を振った瞬間にがしりと右手を掴まれた。
相変わらず征十郎は勘のいい男だ。
「まさか、とは思うが」
「…何かな」
「なまえがくれないわけはないだろうな」
菩薩のような笑顔を浮かべているのに、目が笑っていない。
そのことに引き攣りそうになる顔をギリギリ笑顔まで引っ張った私は、いやいや、と呟く。
よく考えよう。
一年から部の代表、それどころか学校まで統治しそうな勢いの赤司征十郎に、どれだけの想いが集め与えられると思っているのか。
冷静に、数は一つでも少ない方がいいじゃないか。ついでに私も楽ができるし、一石二鳥というやつだ。
「征十郎の胃袋を想って、私は辞退させていただきたく…」
「却下だ」
「いや、だって食べれないでしょ確実に。征十郎さん自分のモテ具合解ってる?」
「要らないものが集まって欲しいものが得られない馬鹿らしさがお前には解らないのか」
「…君は今確実に非モテ男子全員を敵に回したよ」
「敵にしたところで痛くも痒くもないな」
「ですよねー…はぁ」
今更何を言っても、聞いてくれる相手じゃない。
毎年一個も貰えなくて虚しくその日を過ごす男も少なくはないというのに、どこまでも贅沢な話だ。
(チョコねぇ…)
あげたくない。正直、これ以上その方向の期待を煽りたくないというか。
征十郎にそれを与えて、また妙な口実にされてしまわないかが不安なのだ。
こうなったら忘れたふりをして、当日はばっくれてしまおうか。
一瞬頭を過った考えを読んだかのように、腕を握る力が地味に増した。
勘がよすぎて怖いよ征十郎氏。
「痛いんですけど…」
「そういえばなまえ、知っているか?」
「はい?」
「チョコレートは食した際のリラックス作用やドーパミン分泌作用などから、嘗ては媚薬とされていたらしい」
「あー…聞いたことはあるかな」
どこかは忘れたけれど古代の文明で王族辺りの人間が、カカオ豆を磨り潰したものを強壮飲料として飲んでいたという話なら、聞いたことがある。
嫌な予感に襲われながらも素直に頷いた私を見て、幼さを残しながらも整った口元がにやりと歪んだ。
「もう一つ、チョコレートを使った実験があってな」
「…あの、征十郎くん、お手てが痛いかなー…なんて」
「チョコレートを口の中で溶かす時と、キスをする時の心拍数と脳の活動状態を調べた実験がある」
ヤバい。不味い。怖い。
隣に立つ男の顔から、然り気無く視線を逸らそうとすれば、空いていた手が伸びてきて、顎を固定された。
ひい、と内心叫びを上げる私の気持ちも知ってか知らずか…多分知っていて、男は笑っている。
「因みに結果だが、ブラックチョコレートを食べているときの心拍数は、キスをしているときの約2倍に増加するらしい。更にチョコレートが舌の上で溶け始めた時の脳の興奮は、キスと比べて4倍以上だと聞く」
「へ、へぇー…吊り橋効果もビックリだねー…」
「媚薬というのも強ち間違いではないわけだが…さてなまえ、僕にはもう一つ気になるところがあるんだが」
「……いや、あの、もういいよ、解った。解ったから」
「この二つを併用した場合、どうなるんだろうな?」
「作るから。作るからお願いだからそんな無体な真似はお止めになって征十郎様っ!」
お嫁に行けなくなりそうだから…!
顎を捕らえていた手を両手で退けながら叫んだ私に、返ってきた笑顔は憎たらしいくらいに輝いていた。
Let me depend like a drug
きっと確実に、実験と称した罠に嵌まれば抜け出せなくなるに決まっている。
何てったって、相手は赤司征十郎なのだ。
今でさえ熱を持ってしまう顔を俯かせて隠しながら足を速める私の隣に、少し遅れて並ぶ男の手が手首から下ってきても、既に私は何も言えなくなっていた。
20130204.
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