シロタエギクがね、好きなの。
いつかぽつりと落とされたその言葉を覚えていたのは、呟いた彼女の横顔がいつも以上に柔らかく、綻んでいたからだった。
「花図鑑…」
破らないよう丁寧に剥がした包装紙の下から出てきたそれに、落とした声を拾う人間はいない。
文庫本より少し幅のあるその本は、今日の昼休みになまえさんから渡されたものだった。
数週間前に、誕生日に何か欲しいものはないかと訊ねてきた彼女の顔を思い出して、つい頬が弛む。
そこで何もいらないと言えるほど無欲ではなく、彼女も納得しないことは分かっていた。
自分のことには酷く鈍感なのに、そんな時ばかり頑固であることは既に知っている。
だからこそ彼女に負担を掛けさせない程度に、それなりに手間の掛かる願い事をしていたのだが。
結局、それでも彼女は納得しきれなかったらしい。
剥がした包装紙を畳みながら机の上に置いた小さな図鑑を見下ろして、過った僅かな罪悪感には目を瞑る。
来年も、と紡いだこちらの意図には、きっと彼女は気づいていない。
来年どころか次も、その次もと、欲を出す心を小出しにして誤魔化したことには。
(それにしても…)
どうして、図鑑なのだろうか。
邪念を振り払うように思考を目の前のものへ切り換えて、思う。
特に花に興味があるという話をしたことはない。それに彼女なら、ボクが好みそうな書物くらい少し考えれば見繕えるはずだ。
何か、意味でもあるのだろうか。
あまり厚くはないページをパラパラと捲っていた時、不意に思い出したのはいつか彼女が落とした一言だった。
『シロタエギクがね、好きなの』
何の話をしていた時に、その言葉を聞いたのかは覚えていない。
ただ、とても愛しげに呟かれたその声の行き先をつい羨んでしまったから、記憶に残っている。
花には詳しくない。だからその時は、羨むだけで終わってしまったことだった。
手元に図鑑が置かれた今、浮かんだそれを引かない選択肢はない。
(シロタエギク…)
彼女の、好むもの。
誘われるように、背表紙側から開いたページに並ぶ五十音を目で追う。
比較的簡単に見つかったそのページを開き直してみれば、花の名前と共に現れた写真は花と言うよりも観葉植物らしい外見をしていた。
(白妙菊…別名ダスティーミラー、常緑多年草…花言葉、あなたを支える)
一年中観られるというその植物は、銀白色の葉が特徴らしい。
花に感じる美しさとは別の感覚に、写真を見る首が無意識に傾いていた。
彼女の顔を思い浮かべて、更に疑問に思う。
あそこまで優しい表情を向けるほど、目を引く植物だろうか。
そう軽く悩んだところで、ふと思い付いて携帯を取り出す。
特に、意味などないのかもしれない。ただ意味もなく、好んでいるのかもしれない。けれど。
シロタエギク。それだけを入力して検索をかけて、情報が整っていそうなリンクを選ぶ。
そうして出てきた文では図鑑とあまり変わらない説明がなされていたが、一つ、図鑑には載っていなかった情報を目で捉えて、携帯を握る手に一瞬だけ力が籠った。
ダスティーミラー
【誕生花】1月31日
それだけの羅列に、跳ねた鼓動を落ち着かせるために深く息を吐き出して。
彼女の言葉に意味を見出し、勝手に浮き上がる心を持て余した。
(深読みしても、いいですか)
そう言葉にして問い掛けたら、彼女はどんな反応をくれるのだろうか。
20130131.
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