どうしようもなく弱った時、私の逃げ場は昔から変わらない。

朝起きて出ていったっきりの若干シーツの乱れたベッドに俯せに身を投げて、どれくらい経っただろうか。
がちゃりと開く扉の音がしても微動だにしない私に、降ってきたのは耳に馴染んだ穏やかな声だった。



「また来たんスかー、なまえ」



全く驚いた様子がないのは、この癖を誰よりも理解しているからだろう。玄関先には私のローファーも転がっていただろうから、勝手にこの部屋に入っていることも察していたはずだ。

今日はどうしたの、と話し掛けながらすぐ近くに寄って、ベッド脇に座り込む気配がする。
当然のように頭を撫でて来る大きな手の感触を感じて、ず、と鼻を啜った。あったかい。



「りょーた」

「うん? 何スか?」

「も、疲れたの」



優しく、壊れ物でも扱うように梳かれる頭は気持ちがいい。けれど。
ぎしぎしと軋んで痛む胸の辺りが、呼吸を奪っていくから苦しかった。

幼い頃から、涼太が私に向ける本質は変わらない。
親に怒られたり、友達と喧嘩したり、とにかく悲しいことがあると私が逃げる先はいつだって幼馴染みの領域で、そこで性格の甘い幼馴染みは私が満足するまで宥め続けるのだ。

甘えていると思う。高校生にもなって、本当はよくないことなのだろうと、感付いていてもやめられない。
嗅ぎ慣れた男の匂いに身体を擦り付けて安心する私は、逆マーキングでもしているみたいだ。



「わ、たし、そんなに、勝手、かなぁ」



馬鹿みたいだな。本当に。

じわじわと漏れだす涙がシーツを濡らしても、涼太は絶対に私に文句を言わない。嫌がらない。拒まない。
解っているから安心して、私は何度でもこの部屋の扉に縋るのだ。



「誰に言われたんスか、そんなこと」



私のために、怒ってくれる人がいることを、確認して安心するために。

私が、誰からも必要とされない人種だなんて思いたくなくて。誰からも愛される幼馴染みを、利用する。



(仕方ないじゃん)



仕方ないでしょ。
涼太は、人気者なんだから。

私が相応しい幼馴染みじゃないことなんて、とっくの昔に気付いて納得している話だけれど。
だからといって僻まれるのは痛いし、馬鹿にされても悔しいし、利用されたら悲しい。
そんなことを何度も何度も繰り返して傷付いて泣きながら戻ってくるのは、やっぱり此処しかなくて。

ゆっくりゆっくり、宥めすかす手付きに酔いながら思う。
私は、どうして涼太みたいになれないんだろう。



「…消えちゃいたいな」



欠点がないわけではないけれど、涼太は昔から好かれるために産まれたような人間だった。
対する私は昔から、どれだけ頑張っても努力が空回りする。人から嫌われやすい人間だ。

上手に付き合いたいのに、うまくできない。頑張ったら頑張った分だけ、文句を言われる。
それでも諦めきれなくて、誰かに必要とされたくて、藻掻いているけれど。

どれだけ求めても、涼太抜きの私の価値なんて、いつだってないようなものなのだ。
だからといって、涼太を切り捨てて生きられるかと言えばそんなこともなくて。

中途半端な自分が嫌になる。

俯いて泣き続けたら目が腫れると分かっているから、ずるずると起き上がる。
そのまま無言で涙を拭っていると、少しの間黙り込んでいた幼馴染みの声が耳朶に触れた。



「オレにはね、解んないんスよ!」



今の私には明朗過ぎる声に、思わず顔を上げてはっとする。

私の目に写ったのは、明るく、誰もが見惚れる綺麗な笑顔。
それでも、解る。私の目には、笑顔の裏で泣き叫ぶ子供が見えた気がした。



「なまえみたいにたくさん考えんのは面倒だし、我儘な奴が周りにいたら勝手にしろって投げ出しちゃうし…そんなんで自分が疲れるのって冗談じゃないでしょ」



そんなの重いよ、と笑いながら伸びてきた手に、両頬を包まれる。目尻に溜まる涙を親指で拭いながら、涼太は微かに、俯いた。



「でも、なまえは違うんだよね」



どうしても違い過ぎる私達は、お互いを理解しても同じようにはなれない。
だから私は涼太が羨ましくて、大事で、苦しくなった原因が彼でも、此処に戻ってきてしまう。

それは、私に限った話ではなくて。



「オレね、なまえの不器用なのに考えずにいられない、頑固なとこがね…好きなんスよ」



ごく自然な動作で、引き寄せられた頭が逞しく育った肩に落ちる。
どんどん差を広げて遠くへ離れていかれるような気がして、怖くなってブレザーの裾を握ると、片手が背中へ、もう片手で後頭部を撫でられた。

そのあたたかさに安心して、目蓋を下ろす。
嗅ぎ慣れた匂いを吸い込んで、胸の痛みを塞いでしまう。



「ね、消えちゃいたいとか、言わないでよ」



お願い、と、縋られたような気がした。
近過ぎるくらい近くにいる男は、きっとその顔には笑みを貼り付けているはずなのに。

私なんかを求めてくれるなら、いつまでもこのぬくもりを分け与えてほしかった。
私にはいつだって、涼太しかいないのだから。






milkとココア




きっと落ち着いた頃には、これもまたお決まりのホットミルクとココアがテーブルに並ぶのだ。

なまえはなまえのままでいいと、落ちてくる甘い声には敵わない、慰めが。

20130126. 

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