「いっ」
ぴり、とした痛みが指の間接に走って、思わず微かに声が漏れた。
それだけのことに気分は落ちて、視線を下ろした先のひび割れに最悪、と呟きたくなる。
冬場の空気の乾燥は、これだから。
むう、と唇を尖らせながら手をぐーぱーさせていると、どうかしたの?、とある程度低くもしなやかな声が横から掛けられた。
「んー…乾燥肌」
「えっやだ、ひび割れてるじゃない!」
「やんなるよね、冬って」
京都寒いし。
若干血の滲んだ手をひらひらと振って横を見れば、隣の席から身を乗り出すようにして見てきたその顔が慌てたように歪んだ。
歪んでも綺麗な形が崩れないところが妬ましい。もう見慣れもしたけど。
私よりも痛そうな表情でやんなるじゃないわよもう、と不愉快そうに自分の鞄を漁り始める男を黙って見つめながら待つと、出てきたのはパッケージから質の良さそうなハンドクリームだった。
流石オネェ。持ち歩いているとは見事な女子力だ。
「はい、手出して」
「レオちゃん流石だねー。私家にもそんなのないわ」
「なまえはもう少し気にかけなさい。冬場の乾燥嫌って言うんなら念入りにスキンケアでもするべきよ」
「や、めんどくさくて。それにまだ若さでカバーできるじゃん?」
「今の内だけね」
自然な動作で取られた手に、白いクリームがするすると延ばされる。
手の甲をなぞる指先はボールを操っているだけあって硬いし筋張っているのが、なんだかアンバランスだなぁとぼんやりと思う。
私の手を躊躇いなく行き来するのは、男の手だ。
(でも、綺麗)
私より女らしくて美人で女子力も高い実渕玲央は、歴とした男である。
上背はあるし体つきも、決してなよなよしくはない。寧ろ強豪バスケ部に所属しているのだからかなり鍛え上げられている方だ。
それでも女言葉を操ることに拒否感を感じさせないのは、一重にその美貌としなやかな動作のお陰だと思われる。
(凄いよなぁ)
本当、徹底して。
レオちゃんは綺麗だよなぁと、無意識に口に出した私を、見下ろす目には呆れが宿ったのだが。
「そう思うなら努力しなさいよ」
「化粧水と乳液だけはやるようになりましたよ」
「それは基本!…んもう、どうしてなまえはそこまで無頓着になれるのかしら」
女の子なのに、と頬を膨らませるレオちゃんはそこらの女子よりもうんと可愛いと私は思う。
そうだね、と笑い返しながら、クリームを塗り終えた手を引き抜くと、仄かにバラの香りがした。やっぱりセンスがいい。
「性別逆だったらよかったかな」
いやらしくない程度の芳香を顔の近くで漂わせながらそう口にすれば、鞄にクリームを仕舞いこんだ彼の表情は特に動揺することもなく、それはないわね、と返される。
「なまえは女の子よ」
「じゃあレオちゃんが女だったら…あ、男子に混じってバスケはできないか」
「そうね。それもあるけど…」
ただの女なら、ここまで仲良くはなれなかったでしょう?
そう口にしながら振り向いた微笑はやっぱり綺麗で、憎たらしく思う反面心を揺さぶられるのだ。
女子力は完敗
「実渕くん…さん?、は、女の子なの?」
「え…?」
高校一年のざわめく教室の片隅、一人頬杖をつき窓の外を眺めていたその人に、私は話し掛けた。不躾かもしれない質問をネタにして。
周囲の目を無いものとして、当たり前の姿だとでもいうように女らしく振る舞う彼に、純粋な興味を抱いたのだ。その整った容姿にも、花に誘き寄せられる蝶のように。
不自然に静まる教室の中、向かい合って数秒。おかしくて堪らないといった様子で口元を覆いながら彼は笑い出した。
その仕種も洗練されていて、つい目を奪われたのを覚えている。
「ただの癖のようなものよ。他人の目は引くみたいだけど」
「そっか。でも似合うね、しっくりくる」
「ありがとう。貴方、名前は?」
「みょうじなまえでーす。とりあえず一年、よろしく?」
試しに差し出した右手は、幾分も大きな手に躊躇いなく包み込まれる。
よろしく、と微笑むその人の顔は、男も女も関係なしにとても綺麗なものだった。
(レオちゃんは相変わらず綺麗だよねー)
(あら、でもなまえも可愛くなってると思うわよ?)
(…私が、照れると解っていて、言ってる節があるよね!)
(ふふ、何のことかしら)
(イケオネェめ…)
20130122.
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