それは所謂、気紛れにも近い感覚ではあったのだけれど。
帰省していた実家から一人暮らしのマンションに帰り、軽く部屋の掃除をしつつ壁掛けのカレンダーを目に写した瞬間に、考えたのは年下の恋人のことで。
奇しくも目に飛び込んできた日にちに軽く自分のスケジュールを重ね合わせて、私は携帯を手に取った。
慣れた手付きで呼び出した番号からは、短いコール音の後に不機嫌そうな応答が返ってくる。
今更機嫌を窺う仲でもない。気にすることなく軽い挨拶の後、私は用件を切り出した。
「真くん、何か欲しいものはある?」
『…はぁ?』
「誕生日、近いでしょう。リサーチする時間が惜しいから手っ取り早く何が欲しいか聞きたいと思って」
来るべき未来のため、やるべきことも日々次々に増えて、きりがない。
いくら私が有能であろうとそつなく熟すにはそれなりに空き容量も必要で、無駄な手間は省きたいというのが本音だ。
知りもしない恋人の好みなんてものに、悩む時間が惜しい。
そんな思考からの提案に、電話越しに返ってきたのは深い溜息だった。
『お前…それ本人に言うか』
「あら。見当違いな贈り物より、欲しいものを貰った方が得じゃない?」
『そりゃまぁな。けど、理由は心底いらねぇ』
「それは失礼。それで、何かないの?」
今ならサービスしてあげられるけど。
唇を歪めた私に、又もや返ってくる溜息。
相変わらず欲の出し方を心得ない恋人は、僅かに沈黙したかと思うと小さな願いを口にした。
『…時間』
「謙虚過ぎるのもどうかと思うわよ」
『うっせぇ。いいから時間、当日寄越せ。いいな、なまえ』
「…まぁ、いいわ。欲しいのならいくらでもあげる」
つまりは、この私を一日縛れれば満足するんでしょう?
時は金なりとはよく言うけれど、一日くらい彼に捧げるのも吝かではない。
(私だって休息は必要だし…)
何を考えているのかは、知らないけれど。
「それじゃあ、楽しみにしてるわ」
何を考えていたところで構わないくらいには、私だって彼に嵌まりきっているのだ。
*
待ち合わせに選んだ喫茶店で一息、温かいカフェラテに口をつけて気を緩めていたところ、対面する席の椅子が引かれる。
視線を上げてみる必要もなく、自然な動作で居座った彼の前にも芳ばしく香るコーヒーが置かれた。
「新年の挨拶に本家で会ったっきりね。首尾はどう?」
「第一声からそれかよ」
「ふふ…会いたくて寂しくて堪らなかったとでも言った方がよかったかしら」
「やめろ嘘くせぇ」
苦々しい表情は通常通り。普段と何ら変わりはない。
ロイヤルパープルのトップスに黒のジャケットを重ねた私服姿は似合っていて、私は素直に口端を上げる。
正直なところ、彼に会えない日々を送っていたとしても寂しいと思うほどの暇はない。
けれど、会えるのが嬉しいというのは、また別の話でもあり。
可愛い可愛い自分の恋人を愛でる機会は、多いに越したことはないというもので。
「それで、結局何が欲しいの?」
頬杖をつきながら覗き込んだ、彼の表情は未だに苦い。
対する私が微笑んでいるのが余計に気に食わないといった様子で、じろりとした目を向けながらコーヒーを傾けた、その唇はすぐに次の言葉を紡いだ。
「時間」
「まさか本当にそれだけとは言わないでしょう」
「だけってほど小さいもん貰うつもりじゃねぇよ」
不意に伸ばされた手が、カップ付近に置いてあった私のそれを拾い上げる。
何をするつもりなのかと首を傾けた私から目を逸らし、握った手首に力を入れた彼はもう片手に隠し持っていたらしいそれを、欠片の躊躇いもなく薬指へ滑らせる。
まるで日常生活によくある、当たり前の行動のように。
けれど、私の体感的には全くもって当たり前の感覚ではない。
左手を飾る、シンプルなリングを見下ろして素直に驚く私を、更に見下ろす彼はどこか満足げに息を吐く。
「時間。貰うからな」
ああ…なるほど。
(ある意味、言質を取られていたわけね)
“時間”とは限りのあるものではなく、次に続く道筋をそう呼んだのだ。
理解して、もう一度彼に視線を投げ返す。
珍しく余裕のある、私に向けられた笑みにこちらも小さく息を溢して、笑うことしかできなかった。
「もう少しくらい、欲を出してくれても結構よ?」
マリアベールを貴女へ
それは即ち予約であり、約束であり、束縛であり、永遠でもある。
それが小さな気紛れには見合わない結果だったとしても、拒む理由は最初からなかった。
(私が欲しい、くらい言ってくれてもいいのに)
(同じようなもんだろ)
(まぁ…いいわ。欲しいのならいくらでもあげる)
(安請け合いすんじゃねーよ、バカ)
(真くんだから構わないんじゃない)
(……ハッ)
(可愛い照れ隠しだこと)
(…お前のそういうとこ、マジでうぜぇ)
20130112.
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