授業後、部活に向かう前に彼のクラスまで迎えに行くことは、私にとっては最早お決まりの行動となっている。
今日もいつも通りその扉から顔を覗かせようとして、しかしその寸前で聞こえてきた数名の男子の声の中に彼の名を聞き取って、踏み出そうとした足は留まってしまった。
「つーか何でお前にあんな彼女いるんだよ紫原…っ!」
「理不尽だ!」
「えー…」
もしゃもしゃと何かを頬張りながらぼんやりとした声を漏らすのは、間違いなく目的の人物だ。
けれど、中から聞こえてくる会話内容が会話内容なので、何となく気まずくて声を掛けにくい。
男の子でも恋愛の話なんかするんだなぁ…と軽く現実逃避しながら、どうするべきかと頭を抱えた。
(部活には行かないといけないし…)
でも、自分が話題に上げられているのに出ていくのも少し…いや、かなり辛いものがある。
「あーもーマジで、彼女欲しい」
「大体お前どうやって彼女落としたんだよ」
「まさか…告られたとか言わないよな?」
耳に入ってくる声を数えると、恐らく彼の他に教室にいる男子は三人。
声質は低くなりながらも声量は上がる彼らの会話は、耳を塞いだところで防げそうにない。
「ないけど。好きになったのオレだし」
「それも何か想像つかねーんだけど…」
「だよなぁ。紫原って普通に食い物にしか興味ない奴だと思ってた」
「なまえちんは別」
珍しく他人の会話に合わせてきっぱりと言い切る紫原くんの言葉に、ついぴくりと反応してしまう。
特別扱いは、どんな時でも嬉しい。
小さく存在を主張した心臓を胸の上から押さえていると、でもさぁ、と不満げな男子の声が響いた。
「何が切っ掛けでそういう感じになったんだよ…お前のそれって本当に恋愛感情なわけ?」
その台詞には、苦笑せざるを得なかった。
確かに紫原くんの普段の様子からは、そういった類いの感情は読み取りにくいとは思う。
けれど、彼が彼なりにしっかりと気持ちを向けてくれていることは身をもって知っているから、私がそれで不安に思ったりすることは今まで一度もなかった。
「切っ掛けとかは別にないけどー…ちゃんと好きだし」
だから、彼の受け答えを気にすることもなかったのだけれど。
そのすぐ後に何が気にかかったのか、答えに一人の男子が食って掛かる声が聞こえてきた。
「お前それ軽くね? 切っ掛けないとか、じゃあ何で好きになるんだよ」
「何で?」
「あんないい子相手に適当過ぎだろって! だってお前お菓子と彼女がいたら絶対お菓子選ぶだろ!」
「はぁ? 何でお菓子となまえちん並べんの」
馬鹿じゃないの、と言いたげな呆れきった彼の声なんてそうそう聞けるものでもない。
珍しい態度に当初の目的も忘れて聞き入っていた私は一瞬後、少しでも耳を塞いでいなかったことを後悔することになる。
「お菓子は食べたら終わるじゃん。なまえちんは人間だし減らないし」
「…は?」
「柔らかいし可愛いし、優しいし。お菓子とは違うけど甘い匂いするし。大体切っ掛けとか知らねーし。気付いたら好きになってて、どうしても諦めらんないからめちゃくちゃお願いして一緒にいてもらったのに、本気じゃないとか…意味わかんないんだけど」
「お、おお…」
「ど、どうした紫原? 変なもんでも食ったのか…?」
「食ってねーし。大体お菓子相手にキスしたり抱き締めたり触りたくなったりしないでしょ」
「…うーわ……何だこの言葉にできない気持ち」
「お前…ノロケるなら先に断りいれろよ! ノーガードだったからまともにくらっちまっただろ!」
心外だとばかりに吐き出された言葉に、少しの迷いもない受け答えに息が止まる。
そりゃあ、私だってまさかお菓子に負けるとは思っていなかったけれど…。
(本当にノロケだ…)
紛うことなきノロケだ…恥ずかしすぎる。
どうして私は彼の声に耳をすませてしまったのだろうかと、一気に熱を持った顔を覆いながらしゃがみこんだ。
周囲に人がいなくてよかった。教室の前でこんな行動、怪しすぎる。
それにしても、ますます顔を出しにくくなってしまった。
迎えに来たはずなのに全く役目を果たせない自分を情けなく思うも、この状況で素知らぬ顔で中に入っていける人間なんてそんなにいないと思う。
でも、そろそろ本気で部活に行かないといけない時間になりつつあるし…。
(勇気を出して…いや、でもまだ多分顔赤いし…)
いっそのこと迎えに行けなくなったとメールでも送ってしまおうかと、制服のポケットに手を伸ばした時だった。
がたり、と椅子を引く音が聞こえて、彼の声が再び響いたのは。
「軽いとかさー、せめて三年間なまえちん好きでいてから、言いなよ」
そしてその声が段々と、足音とともにこちらに近づいていることに気づいた時には、高い高い場所から満面の笑みが見下ろしていて。
「ねぇ、なまえちん」
同意を求めるように傾げられた首にバクバクと心臓を高鳴らせる私に気づいているのかいないのか。
ノロケの衝撃と気付かれていたことへの驚きで固まる私を軽々と引き上げた紫原くんは、何となくいつもよりも意地悪そうな雰囲気なままぎゅう、と抱き着いてくる。
既にキャパオーバーなのに、なんてことを…!
今しがた盛大にノロケた人達の前に引き出されて半泣きだった私は、脳が沸騰してしまうんじゃないかと本気で思った。
「まーでも、三年好きでいられてもなまえちんはあげないけどね」
そしたらオレは六年好きだし、と子供のように張り合う彼に悪気はない…ない、はずだ。……多分。
あまりの恥ずかしさに周囲の声を聞く余裕もなく、私は彼の胸に隠れながら必死に身を縮めたのだった。
吐き出す
その後すぐに、彼は固まる私を引きずって、その場から離れてはくれたのだけれど。
(む、紫原くん、何で…私がいるの、知ってたの?)
(あっちのガラスに写ってたし)
(……知ってて、ああいうこと言うの…)
(えー、だって恥ずかしがるなまえちん可愛いんだもん)
(まさか、わざと…っ!?)
(あと、威嚇しなきゃダメって赤ちんが)
(な、何? 威嚇って…)
(なまえちんは知らなくていーの)
(……わけが解らない)
20121215.
[ prev / next ]
[ back ]