後悔はない。けれど、失敗ではあったと思う。



「私、赤司くんのこと好きかもしれない」



その時にはまだそこまで明確でもなかった想いを、何も考えずにポロリと口に出してしまったこと。
それがそもそもの始まりだった。

部活も終えた放課後、既に制服に着替えて活動記録の確認をしていた彼の手が止まって、その目が珍しく瞠られていたことを覚えている。
それから気紛れを起こしたらしい彼の「なら、付き合うか」という呆気ない一言により、関係は始まってしまった。

期間限定の、疑似恋愛が。



赤司征十郎という人は、とても稀有でいて至高の存在だった。
勉強、スポーツは勿論のこと、統率力にも優れ見通す力もある。
帝光中学バスケ部主将という立場に立つ人間として、この上ない働きをしたと誰もが認めていたし、歴代の主将の中でもその実力は確実に突出していた。

やや幼い造りをしているものの、その容姿も非の付け所がなく、燃えるような赤い髪や全てを見透かす鋭い目、指示を飛ばす声の節々にすらその存在を刻み付ける力を持っていると思う。
そんな彼を慕う人間は多く、特にまだ甘さを残していた一、二年の時期は度々呼び出されては告白を受けていたのだ。
そんな彼に告白と呼ぶにはお粗末な言葉をかけてしまった私は、本当に迂闊だったと言わざるを得ない。

主将とマネージャーという立場において、お互い気を許していた部分が大きかったのが裏目に出た。
溢した言葉を再び口の中に仕舞いこめるはずもなく、それをしっかりと拾った彼は私に一つの提案を寄越したのだ。
要約すると、契約彼女なら構わない、と。

ただでさえ忙しい中で女子の呼び出しに応じ続けていた彼には、私の想いは都合の悪いものではなかったらしい。
部活のマネージャーとして信頼は得ていた自覚はあったし、彼の助けにもなるのならまぁいいか、と単純に考えて頷いてしまったのも恐らくは失敗だった。

明確な想いでなくたって、その時点で私を慕っていたのだ。傍にいる時間が長くなればその気持ちも増すということを、念頭に置いていなかった。
自分から苦の道を選んでしまった過去を悔やんだところで、時既に遅しというやつで。

いくつかの決まり事に縛られた関係は、恋人と呼ぶには甘さの欠片もない日々しかくれなかったけれど。
それでも、誰よりも身近な場所に置いてくれた彼を、今では私もはっきりとした感情で慕っていた。

ラスト半日という、契約期限の日ではあっても。



「意外と、短かったね」



卒業式も終え、生徒の減った校舎から歩き出しながら隣に投げ掛ければ、いつもと変わらない落ち着いた声でそうだな、と返される。
凡そ二年間、彼の恋人という立場で過ごした日常も、これで終わりかと思うと寂しい気持ちと共に肩から荷が下りるような気もした。

軽く覗きこんだ顔に表情はなく、何を考えているのかまでは察することはできない。
でも、そんな完璧であるが故の不器用さは、彼の持つ性質の中で最も好きな部分でもあった。



(部活のことか…高校のことか)



キセキの世代と呼ばれた仲間達、これから出逢うであろう人間や未来にでも、思考を傾けているのだろうか。
その中に少しでも私のことを考えてくれていないか…なんて、そんな期待は疾うに捨てている。

寂しくは思う。けれど結局私は仮の存在でしかないのだから、多くを望む方が痛い目を見ることは解っていた。

誰かの前では名前を呼び合い、やり過ぎない程度に寄り添って、二人になれば間に距離が空く。
恋人らしいことなんて何一つしなかったし、交わす会話も事務的だった。
拳三つ分以上離れた先で揺れる、その手にすら触れたことはなかった気がする。

何の名残も残さない辺りが流石だな、なんて苦笑しながら、差し掛かる別れ道に先に足を踏み出したのは私だった。



「じゃあ、私はこっちだから」

「家まで送るよ」

「この時間だから、大丈夫」



もう、そんな立場にはいられないんだから。

口に出したらとんでもなく虚しい響きを奏でそうなその言葉は、喉奥に飲み込んだ。



「時間があるのなら、何処かに寄らないかと考えていたんだが」



私の動揺は見透かされていないだろうか。ちゃんと、表情筋は思い通りに動いている…?

彼らしくもない誘いに、今ここで乗ってしまえばきっと、我慢できなくなってしまう。解っている。
どうして今日に限って引き留めるのかと、身体の芯が震え上がった。



「えっと…ごめん。今日は卒業祝いに友達と約束があって…」



口実があって、本当によかった。下手な嘘は彼のことだ、見破られてしまっていたに違いない。
一度家に帰って、それから仲のいい友人達と集まるという約束は元からあったので、そのことを伝えると彼の瞳が弛く伏せられた。



「そうか…なら、楽しんでくるといい」

「…うん。ありがとう」

「いや。礼を言う側が逆だな」



別れの言葉を切り出そうとする私の前に、差し出された右手に目を瞠る。
戸惑いつつ同じように持ち上げた右手が、初めてしっかりと握りこまれた。



「二年間、ありがとう」

「っ、こ、こちらこそ…」



触れた掌の感触は、緊張で掻き消されてよく分からない。
慌てて、頭を下げるふりをして俯いた。



「なまえの傍は、居心地がよかった」



最後の最後で、サービスがよすぎるよ。

二人でいる時には呼ばれなかった名前、触れられもしなかった手を握られて、それだけで引き攣りそうになる喉を懸命に隠す。
忘れられなくなるようなことは、しないでほしかった。
学校で別れておけばここまで長引かなかったのに。

それでも、契約彼女という立場を選ばなければとは思わない辺り、私も焼きが回っている。



(お願い)



動いて、表情筋。

最後の最後なの。我儘なんて言いたくない。
泣き顔なんて見られたくない。困らせるなんて冗談じゃない。

溜まった唾を飲み込んで、柔らかな拘束から手を引き抜いた。
どこかで叫んでいる私の声には、耳を塞いで。



「それじゃあ、さよなら。赤司くん」



征十郎、なんて、呼べないよね。

私にしては上出来な笑顔を浮かべられたと、そう思う。
いつかのように瞠られた異色の瞳がもう一度弛められるのを待って、手を振った。



「…ああ」



さようなら、とは、返ってこなかったけれど。
伏せるように細められた瞳と口角が上がったのを確かめて、私は彼に背を向けた。

どうかせめて十メートル。
その先まで涙腺、決壊しないで。







好き大好きありがとうごめんね




本当は、なんて言える時期を逃し続けた。
与えられた居場所に甘えて踏み込む勇気を持たなかった。
それでも、表に出にくい優しさや気遣い、どうしたって周りに合わない不器用さ、その孤独も。

すべて、すべて、私が知ることなら本当に。



(大好きでした)



仮初めの、恋人。



振り返ることのなかった背後で彼が何かを呟く声も、私にはもう聞こえなかった。

20121203. 

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