その日私は明け方までレポートの作成に没頭していて、仮眠2時間という自分にしてはギリギリな状態で大学に向かっていた。

朝から無駄に甲高い声で騒ぐ女子高生や競歩並みのスピードで出勤するサラリーマンをゆるゆると掻き分けながら、駅のホームを進むその足取りがかなりふらついていた自覚はあったけれど、眠気や疲れはそう簡単に振り払えるものではない。
そんな状態でもメイクだけはしっかり施しているところを褒めてほしいくらいで。

力が入らないながらも乗り換えに至り一番いい位置を目指している途中、通勤ラッシュの波にぶつかる。
うんざりしながらも軽く身体を斜めにして避けようとしたのに、真正面から歩いてきたサラリーマンは全くそんな気はないようで、思いっきりぶつかった肩の衝撃でぐらりと姿勢が傾いた。
いつもならば体勢を建て直せたかもしれないけれど、何しろその日の私は疲れきっていてうまい具合に反射が働かず。しかも連日の雨の所為で濡れたコンクリートで足を滑らせ、余計に傾いた視界に写ったのは斜めになったホームの天井と、轟音とともにこちらに向かってくる電車だった。

あ、これ死ぬ。
漸く覚めかけた頭で思ったところで、手を伸ばしても身体を支えてくれるものはどこにもない。
一瞬にして冷えた心臓がどくんと嫌な音を立てた。

その瞬間、痛いくらい勢いよく引かれた腕に再び私は目を瞠ることになったのだけれど。



「っ…あっぶなー…一言謝るくらいしろよな!」

「っ…は、へ…?」



考えていたよりも大分軽かった痛みとしっかりと地についた足に、何が起こったのか判らなかった。

混乱しながら顔を上げれば、何故か見知らぬ男の子の顔がすぐ近くにあって驚く。
着ている学ランには見覚えがあった。確か、うちの大学の最寄り駅より一つ手前で同じ制服を着た学生が下車するのをよく見る。

と、いうか。そうじゃない。問題はそこではなくて。



「大丈夫っすか? 咄嗟だったから腕とかめっちゃ勢いよく引いちゃって」

「しっ…し、死んでない…いいぃ」

「うっわ! あー…そりゃビビるよなぁ…」



怒濤の展開を理解して、助かったことを実感すると腰から足から力が抜けていった。
服が汚れることも考えられず、ぺたりと座り込んだ私を軽く支えてくれていたらしいその男子高生は焦りつつも一緒になってしゃがみこんでくれる。

人集りの中で迷惑そうな目を向けられるのにも構わず、そのままくるりと背中を向けて乗っかって、と声をかけてくれるその子に、私は言葉にもならない疑問符を浮かべる。



「ここじゃ休めないし、立てないんだったら背負ってくんで」

「う、えっ!? いやいやそんな悪いよ、助けてもらったのにその上そんな迷惑は…」

「ここで放っとく方がねーって。これでも鍛えてるからそう簡単にぐらつかないし、ほい」

「え、あ…わっ」



背負い投げのような要領で腕をとられ、一気に身体が引き上げられる。そうなるともう下手に暴れる方が迷惑なので、大人しくその肩に手を置かせていただいた。



「んじゃ、運びまーす」

「…ありがとう」

「どーいたしまして」



そんなに密着するわけにもいかないので表情は窺えないけれど、何故か笑顔で返されたと判った。
そして身を預ける、高校生にしてはしっかりとした背中に思わず溜息を吐く。

私、何してるんだろう…。
というか、最近の高校生はしっかりしてるんだな…。

ホームの端に設置されたベンチには、朝の忙しい時間帯に座っている人間は少ない。
そこまで運ばれると近くにいた駅員に何事かと声をかけられて、私の代わりに手短に状況を説明してくれた彼はおよそ高校生とは思えないくらい頼もしかった。よく見たら結構顔もいいし。

未だ早鐘を打っている心臓を押さえながら、ベンチからそのやり取りを見上げていたら、話し終わったらしい彼がくるりと振り返る。
瞬間妙に跳ねた心臓を自覚しながら視線を合わせると、人好きのする笑顔を向けられた。



「とりあえず落ち着くまでここで休んで…すんませんけど、オレそろそろ行かなきゃまずいんで」



そしてその口から飛び出した言葉に、私は我にかえった。



「そ、そうだっ! 学校遅刻っ…ごめんなさい!!」



私は比較的に緩いゼミに通う途中だったからいいけれど、彼は高校生だ。
単位にはそこまで響かないとは思うが、今この時にも更なる迷惑をかけてしまっているのでは、と襲い来る罪悪感に勢いよく頭を下げる。

そんな私に何故か当の本人は吹き出して、いやいや、と手を振った。



「謝ることじゃないし。授業には間に合うし大丈夫っすよ」

「う、うわあ…本当にありがとう。助かりました!」

「いーえー。そんじゃ、次がないように気を付けて」



からりとした笑顔がよく似合う男子高生は、二、三度手を振ると足取りも軽く走り去っていく。
それからすぐに到着した電車にその影が乗り込むまで背中を見送って、発車と同時に溜息を吐いた。

ああ、おかしい。



(格好いいじゃないか…)



くそぅ、と口の中で呟いて、未だドキドキと強い心音を響かせる胸を片手で押さえた。
基本的に私は同年代や年下に興味は抱かないのだけれど。

生命の危機に恋に落ちやすいというのは、よく解ったかもしれない。








らしくない、恋。




もしまた顔を見る機会があれば、改めてお礼を言いに行くくらいはしてみようか、なんて。



(おはよーなまえ、遅刻珍しいね)
(おはようございまーす)
(おおみょうじ、何で遅刻したんだ)
(通勤ラッシュ中に危うく人身事故を起こしかけたところを中々にイケメンな男子高生に救われて吊り橋効果によるつかの間の恋を楽しんでいたら遅刻しました)
(よし、許そう)
(先生さすが!)
(てか、えっ? それマジ話…?)

20121128. 

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