高校に入って二度目の公式試合、冬の大会は準々決勝にて敗退した。
キセキの世代と呼ばれた天才の中の一人を加えてのチームで、三位に漕ぎ着けなかったという結果は軽くはない。当たり前に悔しさは付き纏う。
けれど、喉元にずっと纏わり付いていた苦いものが飲み下せたような気持ちも、私はしていた。
「部屋、戻らないの?」
試合後、念のため医師の診察を受けろと指示された紫原くんに付き添った後、病院からまっすぐにホテルに帰ってきた。
今までにないほど、膝を痛めるほどの本気を出して挑んだ試合の後なのだから、すぐに身体を休めたいくらいには疲れているはずだ。
それなのに、ホテルに着いた紫原くんは部屋には向かわず、一階のロビーから少し離れた休憩スペースのソファーに腰掛けると動かなくなってしまった。
「…なまえちん」
「うん?」
少し、いつもと違う暗い雰囲気を纏っているのは、仕方がないことだろう。
動きたくないのならと、長椅子なのをいいことに私も隣に腰を下ろす。
安静にとは言われているし、膝に負担がかからないのなら自由に過ごして問題はない。明日以降の予定はなくなってしまったのだし、と一人で考え込みながら、名前を呼んできた声に条件反射で反応を返す。
返してしまってから、ああやっぱり消え入りそうな声だなぁ、と思った。
「怒らないの」
「…何を?」
「愛想、尽かしてない…?」
「どうして?」
掠れている彼の声は、平静を保っていた私の胸にがりがりと掠り傷をつけてくる。
膝に腕をついて背中を丸めた彼の顔は、俯いている上に髪に遮られて覗き込めなかった。
(泣いてる…?)
いや、涙は会場で充分流しきったか。
悔しさに寄せられた眉も引き攣った唇も溢れる感情も、きちんと目にしたから覚えている。落ち着くまで待ってから病院に向かったのだから、今また同じだけの情動に襲われはしないだろう。
今、彼が何かを感じるとしたら、どんな感情かな。
大きいのにすぐに震えだしそうな背中を撫でると、軽くその体躯が跳ねた。
「夏、に」
「うん」
「オレ、出なかったの…なまえちん、どう思ってた…?」
「……どう…?」
「黒ちんを…なまえちんは、正しいみたいに言ってたことあったじゃん…前に。それで、今日、これで」
なまえちんが好きな、黒ちん達みたいなチームが、オレに勝って。
どうして夏の大会が出てくるのかと疑問に思っていると、ぎこちない言葉が羅列する。
真意を探ろうとするより先に、間違いが正せて、と続けられた。
「嬉しかった…?」
「…まさか。悔しかったに決まってるよ」
勝った方が正しい、という勝利の絶対性が染み付いてしまっているのは、中学時代の名残だろうか。それは少し嫌だなぁ、と苦笑する。
少しも顔を見せてくれない紫原くんの背中から、垂れた頭へと移動させた手で髪を撫でた。
今までの、彼のバスケに対する姿勢を支持していたわけでは勿論なかった。マネージャーの立場で偉そうなことは言えなかったし、彼自身が自分で考えを変えるまでは何を言っても響きはしないと思っていたから、口出しはしなかったけれど。それでも確かに好ましくはなかった。
でも、それとこれとは別の話だ。
私が所属するのは陽泉高校のバスケ部で、私の大好きな人は紫原敦。その形を崩す理由にはならない。
バスケに向ける感情と恋愛に向ける感情は別物なのに、一緒くたにしてしまうくらい、根底にあることを彼はそれでもまだ、認めたがらないのだろうか。
(困った人)
仕方のない人だなぁと思う。それでも、私には愛しい人で。
絡まりかけた髪を指で梳きながら、少しだけ空けていた距離をなくすようにくっついて座り直す。
負の感情の渦巻いていそうな彼の中に、優しく入り込んでくれるように穏やかな声を心掛けて口を開いた。
「私ね…本気で試合する紫原くんは見たことなかったから、びっくりした」
本気を出さなくても、紫原くんには才能があった。余裕をもって勝つことが当然であり続けたから、今日の光景は目に焼き付いている。
努力を才能で蹂躙してしまおうとする、その姿を恐ろしく思わなかったと言えば嘘になってしまう。
直向きな人の気持ちを潰してしまおうとする彼は、今になっても恐怖心を煽った。
彼を苛立たせる原因、根幹が何なのかは私は知らない。知らないけれど、頑なに努力を否定するだけの何かしらの理由があって、ここまで拗れさせてしまったのかもしれない。そんな試合に関係がないことまで考えさせられたほどだ。
けれど後半、追い詰められて道が塞がれてしまった時。一度は敗北から逃げようとした紫原くんが、変わった。
それは、チームメイトの激情にあてられてのことだったけれど。
「とっても格好よかった」
彼は変わった。間違いなく、あの瞬間に。
苦しくて投げ出したかったものを、抱え直した。負けた悔しさに踞るほどの本気を、出してくれた。
漸くだ。何も言えなくても、ずっと願っていた。彼が彼の意思で続ける姿が見たいと思い続けてきた。
初めて見られた姿は、眩しくて、誇らしかった。
「…負けたのに?」
飛べなくて、黒ちんなんかに止められたのに。
どこか拗ねたような声音で返ってきた言葉に、今度は素直に頬を弛められる。
「なんか、って言い方はよくないよ」
「…本調子なら、ヒネリつぶせたし」
「うん。無理はいけないけど、次は膝も万全にして挑まなくちゃね」
「…なまえちんは」
少しだけ、鼻を啜る音が耳に入る。
これはもう少しこのままかなと、身を縮めていても大きな彼に軽く寄り掛かるようにぴたりと身体をくっつける。
何を言われるかは、何となく解っていた。
「オレが続けると思ってんの」
「思ってるよ」
だから、即答できた。
彼がまだ信じきれないものなら、私が代わりに信じてあげられる。
「だって、本気でバスケしてる時の紫原くんは格好いいから」
今はまだ、強がるための理由が必要なら、私が受け持ってあげられる。
こんなところで潰れてしまうほど、小さな人ではないから。
「私は、もっと見ていたいから」
ずるりと重心を傾けて、擦り寄ってくる頭に笑う。
敗けは悔しい。当たり前だ。必死に食い付くのは苦しい。全てを乗り越えた先にあるからこそ、勝利は輝く一つきりなのだ。
終わりは、ここじゃない。
「次に行こうよ。もっと凄いところ、見せて」
私の大好きな人を、輝かせて。
はんぶんこしましょう
泣きそうに眉を歪めた、赤くなった顔が漸く持ち上がり、擦り付きながら私を見下ろす。
まだ不安定に揺れている彼に、私は寄り添ったまま笑って見せた。
それにね、紫原くん、知ってる?
「スポーツに打ち込む男の子って、すごく格好よく写るんだよ。本気で食い付く姿に、女の子なんてすぐ恋しちゃうの」
「…なーにそれ」
不機嫌を装うのが口調だけでも、突いたりはしない。これが彼の、今の精一杯だ。
「じゃあオレ、やめらんないじゃん」
なまえちんが他の奴に惚れたりしたら大事だし。
下手な笑顔で涙声を誤魔化す彼に頷いて返して、その首をそっと引き寄せた。
20140412.
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