「なまえちんは、何も解ってない」
ぶすう、と分かりやすく頬を膨らませている彼の顔と、それでもしっかり繋がれている手を確認してついつい頬が弛んでしまう。
そんな私の態度をすぐさま察知して見下ろしてくる目は、いつもより少しだけ険があった。
けれどそれも、原因が分かっていれば怯えを感じるようなものでもない。
「なまえちん?」
「はい」
「ちゃんと聞いてんの?」
「うん、聞いてるよ」
紫原くんの言葉を、そう簡単に聞き逃したりしないよ。
その気持ちを込めて繋いだ手にもう片方の手を添えれば、上方にある固くなっていた頬が僅かに色みを増す。そんな感情に素直なところが、とても愛しいと思う。
「そーやって誤魔化そうとするー」
「誤魔化すつもりはないけど」
「でも顔が、解ってなさそーだし」
「解ってないわけでもないけど…」
だって、何だか擽ったくて。
紫原くんの小さな怒りが心配からきているものだと分かっているから、つい嬉しくなってしまう。
今日は久し振りの休日ということで街に出ていたのだけれど、少しの間別行動になってしまった。その時に私が見ず知らずの男の人に絡まれてしまって、その現場をすぐに見付けて助けてくれてから、彼はずっとこの調子で不機嫌を露にしている。
曰く、私には警戒心が足りないらしい。
逃げ足には自信があるよ、と言ってみても、微妙な顔で首を横に振られた。
「男なんて下心しかないんだからさー。なまえちんみたいな子は油断しちゃ駄目なんだよ」
すごくすごく可愛いんだから、と熱弁する彼に照れる気持ちもあるのだけれど。本気で口にしていることも知っているから、否定もできない。
下心云々は置いておいて、そんなに心配するほどでもないんだけどなぁとも、口に出すと余計に機嫌を損ねてしまいそうで言えなかった。
実際、今日はナンパらしきものを受けてしまったし、私の言葉の方が説得力がなくなってしまう。
(でもなぁ…)
気を付けなくちゃいけないのは、私の方なのだろうか。
「あ、可愛い…」
「んー? 気になるなら入ろっか」
たまに足を運ぶ雑貨屋のショーウィンドウの装いが、前に見た時から変化しているのが目に留まる。
ぽろっと口から出た感想に当たり前のように足を止めて、彼自身は興味の欠片も抱かないような店の扉に躊躇いなく手を掛けた。そんな姿を見上げて、改めて同じような疑問が頭に浮かんでしまう。
解っていないという彼こそ解っていないのでは、と。
細々としたものの多い店内で、あまり大きな動きをとれなくなる紫原くんは、それでも私に嫌な顔一つ見せたりしない。
窮屈なんじゃないかな…と気になって見上げた顔は、私を見下ろして不思議そうに首を傾げてくるだけだった。
「どーしたの、なまえちん」
「…ううん」
怒っていたのに。あれだけ不機嫌な態度をとっていたのだから、今だって完璧に胸が晴れているというわけでもないだろうに。
なのに、私が見たいものは見せようとしてくれるし、ずっと付き合ってくれようとする。
おかしいような、恥ずかしいような、だけどやっぱり嬉しいような。何とも表しがたい気分が込み上げて、売り物へと目を逸らした。
(…ずるい)
店内には他にもちらほらとお客さんがいて、彼の上背に驚いた人達の視線が集まる。
それを気にする様子もなく、私がアクセサリーを見ている横で棚に置いてあるぬいぐるみを物色していた紫原くんは、一際大きなテディベアを引きずり出すとこちらに声を掛けてきた。
「これなまえちんに抱き着いても余りそうだねー」
「うん。でも紫原くんが持ってると小さく見える」
「それは何でもじゃない?」
手触りが気に入ったのか、ぬいぐるみの腕やお腹を触る手は止まない。
身体は規格外に大きい男の子なのに、中身や仕種の幼い部分が外に滲み出ているからなのか。テディベアと彼のセットは妙にマッチしていて、なんだか、可愛くて。
途端に、私は我慢できなくなった。
「紫原くんの方が、解ってない」
「は…っ?」
「やっぱり絶対、私より解ってない」
「えー、何の話?…もしかしてさっきの続き?」
ぽかん、と開けた口を一度閉じて、少し考えるようにさ迷った視線が再び私に落とされる。
その間も、ちらちらとこちらを窺い見る他者の視線を感じて今度は私が拗ねそうになる番だった。
紫原くんはその巨体で人を圧倒することも多くあるけれど、可愛いし、格好いい。何より私に対してとびきり優しい。というか、甘い。
ただでさえ人目を引くのにそんな状態を晒して、目にした他人がどう思うかも彼は気にしていない。
心配しなくちゃいけないのは、きっと私の方だ。
「紫原くんの方が、誰かにとられちゃいそうなんだから」
「……な、わけないでしょー。とられるって…誰にって話じゃん」
わけが解らないといった風に眉を寄せる彼は、それでも少しは私の独占欲を読み取ってくれたのか、頬を赤くさせる。対する私も似たようなものだろう。さっきからじわじわと顔が熱い。
暫し見つめ合った後、紫原くんの方が先にああもう、と呻いて溜息を吐いた。
「オレが何年なまえちん好きだと思ってんの…昔も今もこんなんなのに、この先なんてどーせもっとバカになってるに決まってるし」
「…そうかなぁ」
「そうなの! てゆーか、あんまり変なこと言わないでよ」
照れているのか、怒っているのか。半々か。
いくらなまえちんでも、と顰められた顔が大きなテディベアで隠れてしまう。
「ひねりつぶすよー」
ずいっ、と目の前至近距離に付き出された可愛らしい熊の顔と、突き付けられたぬいぐるみの腕。手先の肉球の刺繍の愛らしさといったらない。
迫力の欠片もない脅しに、私の胸はやっぱり高鳴るばかりだった。
未来も君に恋してる
(ほら、やっぱり、紫原くんの方が可愛い…)
(…オレなまえちんは大好きだけど、なまえちんの審美眼は時々おかしいと思うよ)
(そんなことない。今のは絶対、あざとかったもん)
(なまえちんはもっと自分の可愛さ自覚しようよー。何でオレが心配されんのか意味わかんねーし…)
20140409.
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