※未来設定、大学生時間軸





「何でこんなことになったんだか…」



くったりと石壁に背中を預け、漂う湯気を見上げながら呟く。
露天の涼しい空気は少し高い水温には格別で、手足を伸ばしちゃぷちゃぷと遊ばせていると気分が緩みきりそうになるけれど。
あの男の前で迂闊なことを口にしてしまった自分を、責める気持ちは消しきれない。

温泉とか行きたいなぁ。
春先のまだ微妙に肌寒い空気には、きっととても気持ちがいいに違いない。
雑誌のその手の旅行特集を見つつぼんやりと呟いた私に、いつも通り暇を共にしていた男はあっさりと乗っかったのだ。
なら行こうか、と。
しまったと思った時には、既に乗り気になった征十郎を止める手立てはなくなっていた。
大学は春休みでバイトにも都合はつけられた所為で、あれよあれよという間にスケジュールを埋められ、交通手段も準備され、恐ろしく機嫌のいい男に引き摺られ。

連れてこられた先が本国屈指の有名旅館とは……どういうことなのだろうか、本当に。



(何か…何か違う……)



私が考えたのはもっとこう、隠れ家的な…予算も手頃でひっそりと楽しめるような場所だったのだけれども。
敷居を跨ぐ瞬間、恐れ多さにびくついていた私の背中を容赦なく押してくれた男の暴挙を忘れない。これだからセレブはと睨み上げた私を軽く笑ってスルーしてくれた横顔も忘れてやらない。

いや、もう決まってしまったものは仕方がないから、この際諦められる。
温泉は文句なしに気持ちがいいし、食事だって文句をつけるのが失礼なくらい豪華なものが並べられるし、そもそも与えられた部屋が完全予約制の一生の中でお目にかかれるはずがない特別室だ。旅費全額を負担されている身で文句を言える立場じゃない。
そもそも、あの男のレベルを考えるならこの待遇で妥当なのだ。腹が立つことに。



(これだからセレブは…財閥御曹司は…赤司征十郎は……っ)



美味しい料理と露天風呂付きの部屋につい庶民の鑑としてはしゃいでしまったけれども、お湯に浸かって頭を冷やすと改めて湧き上がる感情もある。

ばしゃばしゃと水面を叩いて軽い苛立ちというか、悔しさを発散させた後にやって来るのは、得も言われぬ疲労感だった。
世界が違いすぎて、冷静になると益々虚しくなる。
なんだかなぁ、と思うのだ。

こういうのが、離れてからの思い出になるんですかねー……なんて。
あの男に刻まれた思い出は濃すぎて、一生忘れられそうにないから、今のうちから困ってしまう。
旅行一つで格差に畏縮していては、先が知れるというか。



「あまり長く浸かると逆上せるぞ」

「…っ!?」



ぼうっと考えに耽っていたところに急に響いた声に、大きく肩が跳ねた。
慌てて首根っこまでお湯に沈みぎこちない動きで身体を捻れば、部屋に繋がる扉付近に立つ男の姿が目に写る。



「な、何っ…入って来てんの!?」

「中々上がってこないから気になってね。ああ、背中しか見えなかったよ」

「見えなかったからいいってもんじゃないわ……ってちょっと、何、近寄って来てるんですか征十郎さんっ?」



浴衣の裾から覗く裸足が躊躇いなく踏み出されて、ぎくりと胸が軋む。
何でもないような顔をして近付いてくる男に、私は悲鳴も上げられずに波を立てて石壁に身体をくっ付けた。
だって、仕方がない。ここは風呂場だ。風呂場となれば、一糸纏わぬ姿であるのが当然なわけで。私も例によりそうなわけで。

内心ぎゃあぎゃあと叫んだとしても、外に響きそうな露天風呂で実際に騒ぐわけにもいかない。逃げ場もないのでできる限り身を縮めてはみるけれど、どこまで隠せるやら。
私の苦労をものともせず、もう一歩進めば風呂に足を突っ込めそうな距離で足を止めた男は、濡れた石造りの床に片膝をつくようにして手を伸ばしてきた。



「顔が赤い」

「っ…誰の所為だと思ってんの」

「僕の所為にしていいのか?」



ぺたりと頬に当てられた手に、噛み付いてやりたくなる。無理だと解っているけれど。
じい、と覗き込んでくる瞳の力にだって、勝てた試しがない。

唇を閉じて黙った私に何を思ったのか、征十郎の目元が柔く細まった。



「やけに可愛い反応をするな、なまえ」

「……」

「最初から二人で入った方が楽しかったかもしれないな」



何を言っているんだお前は。

無反応を貫こうとした決心が一瞬で砕け散る。
はっ!?、と叫びたい気持ちが顔に出たのだろう。愕然とした私の顔を楽しげに見下ろす男はわざとらしく首を傾げた。



「何も問題はないだろう?」

「いや…いやいやいや、あるから。寧ろないわけがない」

「そう思い込んでいるだけだ」

「ないと思い込んでるのは征十郎の方だって…何がしたいの」



頬を撫でてくる指が擽ったくて、身を捩りたい。けれどそういうわけにもいかない。
変に緊張して速まった鼓動は、目の前の男にはお見通しだろう。動脈近くを滑った指にひっと喉が引き攣った。



「随分、野暮なことを訊くな…なまえ」



嫌だもう、怖い。

ばくばくと暴れだす心臓を落ち着かせられない。
それなりに見慣れているはずの身体なのに、浴衣の隙間から覗く肌から目を逸らしたくなる。顔なんて尚更見上げられない。



「早く慣らしたい。なまえが逃げ場を失うくらいに」

「…何の話ですかね」

「さて、何の話だろうな」



頬から首、そして肩まで下りた指が不意に引かれる。
漸く深く息を吸い込めるようになった。無意識に浅くなっていた呼吸を平常に戻そうとすると、離れたと思っていた指に顎を捕らえられた。



「長湯は程々に、早く上がっておいで。僕が待っている」

「っ……な」



何を言っているんだお前は。

再び硬直した私に実に楽しげな表情だけを残して、立ち上がった男は膝部分の濡れた浴衣を軽く引っ張りながら口角を上げた。








見栄隠れする色気




待っているって。待っていて、何かがあるとでも言うのだろうか。妙な言動をちらつかされると、出るに出られない。

それこそ逆上せそうになりながら、頭まで湯の中に沈みこんだ私はぶくぶくと言葉にならない気泡を吐き出した。



(ああもう、本当に)



何でこんなことになったんだか。

20140408. 

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