※未来時間軸。大学生。






一人で過ごしていると、つい周りへ注意を配るのを忘れてしまうことがある。
空調の効いた室内では余計にぼうっとしてしまうのか、隅に座り込み昼食をとりつつ自主製作課題へと思いを馳せていた私は、何処かで聞いたことのある愛称によって現実に引き戻された。



「あれ? キセリョ?」



菓子パンを咀嚼していた口が止まってしまう。
え…と喉から溢れた声に反応して振り向いたのは、広げたままにしてあった私の画材道具の前に立っていた同じゼミの友人だった。



「あ、ごめん。開いたままだったからつい捲って見ちゃった!」

「…ああ、うん。それはいいけど」



彼女が捲っていたのは、メモや軽いアイデアの書き出しに使っているクロッキー帳だ。作品のネタになるものは所々に残してあるが、見られて恥ずかしいという気持ちも特に湧かない。
慌てて手を合わせてくる友人に気にしなくていいと首を横に振ると、安堵したように笑った彼女はそれでも、と付け足した。



「なんか意外かも。なまえさんってこの手のタイプ好きなんだねー」

「…意外?」

「これ。ちらほら描いてるのキセリョだよね? イケメンだけどちゃらい系っていうか…でも結構描いてるってことは好きなんでしょ?」



再び出てきた覚えのある愛称に、聞き間違いではなかったかと息を吐く。

聞き間違いなわけもなかったか。
彼女が捲っていたクロッキー帳の中には、確かに幾らかその姿を模写した記憶もあった。



(好き…ねぇ)



改めて他者に指摘されると、不思議な思いがする。
何かと目立つあの男と深い関係にあることは、進学して以降誰にも話していない。態々言い触らすようなことでもないし面倒ごとを起こしたくもないので、今後も必要に迫られない限りは口外しないつもりでもある。
けれど、こうしてファンの内の一人のように扱われるのは何となく、新鮮でもあり違和感も付き纏った。

彼女の言う“好き”は、好みの造形の話だ。



「あー……顔はいいからね」



曖昧に濁した答えに不思議そうに首を傾げた友人に、苦く笑い返してしまう。
私の“好き”は、意味の異なるものだった。









 *



「あのー……なまえサン?」



苦味を乗せた芳ばしい薫りが、静寂を保つ部屋の中に漂う。
そんな中、ベッドと背中の間にクッションを挟み定位置を獲得して、静かに雑誌を捲っていた男は渋く唇を歪めながら顔を上げた。



「視線が痛いんスけど…」



ひくりと引き攣る口元を観察しながら、何を今更、と肩を竦めて返す。
テーブルを挟んで正面に位置して、眺め続けたことは一度や二度ではない。寧ろ、日常茶飯事と言っていいくらいには頻繁に起こることで、そもそも相手は異議を唱えられるような立場でもない。



「見られることには慣れてるでしょ」



生業にしているくらいなんだから。
今更何を言い出すのかと呆れた目を向けると、微妙な顔をしていた男は更に眉を寄せた。



「そりゃあ…けどなまえ、さっきから手が動いてないし」

「ああ…まぁね。今は見てただけだから」

「それが珍しいんじゃないっスか。何…? オレが何かした?」



手にしていたファッション誌も放り出して、ぐっとテーブルに身を乗り出してきた男の顔は、多少歪んでも整ったものだ。
相変わらず、憎たらしいくらい綺麗な顔をしている。

そんな感想を抱きながら、一応は手にしていたクロッキー帳を習うようにテーブルに置いた。



「何もされてはいないけど」

「ええー?…何かすげー物言いたげに見えたんスけど」

「いや…本当に、ちょっと考えてただけ」



気に触るようなことは、普段はともかく今日はされていない。

そう、ただ、気付いただけだ。
気にしていなかったことに、気付かされただけ。
昼間に突き付けられた言葉を反芻する。好きなんだね、と笑った友人が頭に浮かんだ。



「…好みだったのかと」

「へ?」



パーソナルスペースにしっかりと居座っていた男の顔が、一瞬にしてきょとんとしたものになった。
主語を付けなかったのだから、わけが解らなくても当たり前の反応だ。

少しだけ冷めたコーヒーを手繰り寄せ、喉を潤す。



「涼太のラフを友達に見られて。タイプなんだって言われたから、改めて気になって見てたの」

「あ…ああ、なるほど! たまにオレのことも描いてくれるっスもんね」

「よく本人に邪魔されるけどね」

「折角会える日には構ってほしいじゃないっスかー」



なまえは態度に出ないし、とぼやく声は軽く流しておく。
喉を潤して一息つけば、今度は興味の色を乗せた瞳に見つめ直された。



「で? オレなまえの好みなんスか?」



楽しげでありながら、真剣な目だ。
カップを置いた手をナチュラルな動作で捕まえられて、ほんの少し、笑いたくなる。



「気にする? 今更」

「そりゃあ、愛する彼女に好かれる場所が多けりゃ、男としては自信出るってゆーか」

「そんなもんかな」



思えば、この男は出逢った頃からよく私のことを褒めていた。
一つ一つの要素を拾い上げては好んでいることを、必死に真っ直ぐ伝えてきていた。

確かに、嬉しいことではあったか。
今でも変わらない性質にあたたかなものを感じて、素直に頬を緩める。
こんな風に穏やかな気持ちでいられるのも、目の前の男が傍にいてくれたからに他ならない。



「まぁ、綺麗な顔立ちだと思うけど」

「…そんな第三者視点が欲しいわけじゃないんスけど」

「好きじゃないと思う?」

「…え?」



不満げに歪みかけた顔が、また動きを止める。瞠られた瞳を覗き込む私は、笑っている。

態度に出にくいと言うなら、言葉にしてやるくらい訳は無い。



「好きな男の顔を、好きじゃないわけないでしょ。正直、そっちの気持ちが先に来てタイプなのか判断できないくらい」



好きでもないのに、飽きもせず何度も描いたりしないわ。

途端に息を詰めて色を変えていった顔は、テーブルについていた片腕の中に勢いよく伏せられる。
さらりと落ちていく金糸のような髪も、そこから覗く赤い耳も、好きだと思う。



「なまえはっ…ズルいっすよ…!」



情けない呻き声ですら、笑えてしまうくらいには私だって、可愛く思ってしまっているのだ。







糸しい糸しいと言う心、戀




「でも、まぁ、そうっスよね…昔からなまえ、好きな人しか描かなかったし」



私の気持ちなんて、クロッキー一つ開いてしまえばそこにありありと表されているということだ。
つまりは、描いていることを知っている時点で確認するまでもない。

まだ照れてでもいるのか、握ったままの私の手をゆらゆらと揺らしながら呟く男に、しっかりと指を絡め直しながら私は笑った。

20140403. 

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