※未来時間軸。大学卒業後。
ショーケースの中できらきらと輝く宝石を、何度も何度も睨んでは頭を抱えた。
彼女のことなら隅々まで熟知している自信があるはずなのに、小さな指のサイズを気付かれないように何度も確認したりして。
何処で、どんな風に、何と言葉にしようか。拒まれることはないとは思っても、万が一その気じゃないような反応をされたら。
そんなことを延々と悩みながら、それでもどうしても唯一の立ち位置を手に入れたい気持ちは勝って。
覚悟を決めて掌の中に握り締めたはずの小さな箱は、今は渡す相手を見失って、テーブルに転がっていた。
―お掛けになった電話番号は現在、お客様の都合で…
冷たい人工音声が、頭の中に流れ込むと同時に心臓が凍りついたような気がした。
「……は…」
お繋ぎできません。
確かに紡がれた音声に、縋り付くように握り締めていた手から携帯が滑り落ちる。
ごとん、と床にぶつかって音を立てたそれを、呆然と見下ろした。
「なに……え…?」
遅れてやってくる寒気に、身体の内側から震えが走る。
登録してある番号に掛けて、間違いがあるはずがない。
でも、それならどうして。
(繋がらない…?)
彼女の背中を見送って、三日。
結局連絡を返されることはなく、時間も取れずに落ち着かない日々を過ごして、三日が流れていた。
最初に送った状況を説明するメールの後も、鬱陶しくない程度にできる限り配慮したメールは三、四通は送っていた。いつ彼女から反応があるかも分からないから携帯は肌身離さず持ち歩いていたし、夜中に充電する時だってベッドで手の届く場所に転がしたりして。
気になりすぎて寝付けなくて、眠りについたかと思えば悪夢に魘されては起きる。目が覚める度に彼女からの着信を確かめて、無情な現実に打ちのめされた。
そんな時間を繰り返したオレの調子は当然最悪で、食事すら殆ど口にする気が起きなくて。
三日待ったから。頭を冷やせるだけの間は置いたから今なら出てくれないかと、確実に仕事から帰っている時間を確かめてアドレス帳を開いて、今だ。
響いてきたのは、電話越しでも優しく鼓膜を震わせる、あの声ではなかった。
「……待ってよ」
ちょっと、待って。嘘だよね。
信じられない。信じたくない思いに、手先どころか全身から力が抜け落ちていく。
脳内で巡る“着信拒否”という単語に、頭を振った。
そんなわけない。何かの間違いだ、絶対に。
だけど、電波の都合や電源が切れている状態のアナウンスとは明らかにニュアンスが違った。
(掛かって)
座り込んで拾った携帯の、アドレス帳を再び開き直す。震えそうになる指先で発信ボタンを押して、一度目の発信時よりも切実な思いで呼吸まで止めて彼女の声を待った。
掛かって。出て。お願いだから。
不安ではち切れそうになる胸を癒してくれるのは、いつだって彼女しかいない。
オレにはあの子しかいない。これまでは当然、この先だって。
一生傍にいたいから、悩んで準備したものだってあるんだよ。こんなことでふいにしてしまうなんて、あっていいわけがない。
テーブルに転がる箱を睨みながら耐えた数秒は、数分にも数時間にも感じられた。
『―…お繋ぎできません。…』
「……っ…」
機械的に告げられる事実に、今度こそ情けない声が喉から漏れだした。
(嘘、うそ、うそ…嘘だ)
久しく味わっていなかった絶望感が襲い掛かれば、弱まっていた心なんて一捻りで潰された。
嘘だ嘘だと事実を認めずにいても、現実は変化してくれるほど優しくない。
「なまえ…なまえちん…っ」
何かの間違いだと思いたい。けれど、何の反応もない。繋げない何らかのトラブルがあったのか、拒まれているのかも判断できない。
どうしよう。間違えた。オレはまた重大な選択肢を誤った。
殴られても詰られても疑われても構わないから、もっと早くに叫んででも事情を伝えるべきだった。無理にでも引き留めて話を聞いてもらうべきだった。それができないなら、部屋に押し掛けてでも。
「部屋…」
まだ、手段はある。
お互いの合鍵は持ったままだし、部屋を行き来する習慣だってあった。
けれど、こんな状態で訪れても会ってもらえるかは判らない。直接拒まれでもしたらと、恐れは拭えない。
でも、怖じ気付いてる場合じゃない。
崩れ落ちそうになる気持ちを奮い立たせて、携帯と財布、それから一瞬迷った末にテーブル上から小箱を掴み取って、腕を通した上着のポケットに突っ込んだ。
酸素は相変わらず、肺を満たしてくれない。
彼女のいなくなった世界で、生き延びられる気がしなかった。
絶対来るって信じてた
将来を誓って、たった一人を幸せにして、同じだけ幸せを貰って。
どんな時も離れないでいられるように、様々な責任をとれる立ち位置を手に入れて。辛くても苦しくても隣に愛する笑顔があれば何だってできる。
そんな日を、いつかきっと。ずっと願ってきたんだ。
儚い夢だなんて、諦めきれない。
「帰って…ない」
最寄りの駅から走って数分、息を切らせながら辿り着いた彼女の部屋からはインターホンを鳴らしてみても反応はなく、少し開けて確かめたポストからも生活音は聞こえてこなかった。
仕事からそのまま帰宅したなら、とっくに部屋にいるはずの時間だ。何かの予定があるとは聞いていなかったし、残業か…もしくは急な誘いでも受けたのかもしれない。
どっと押し寄せる脱力感に抗えず、部屋のドアに寄り掛かるとしゃがみこんだ。
どんなものでも、せめて顔を見て声は聞ける気では来たのに、無駄足を食らった衝撃は大きい。
(一旦…引き返す?)
ああ、でもそんな余裕、ない。
ぐしゃりと頭を掻きながら、心を落ち着かせたくて呼吸を深める。
待っていれば、確実に会えるはずだ。彼女の帰る場所はここなのだから。
さすがに部屋に入って待つほど図太くはなれなくても、この時間なら座り込んでいさえすれば多少は人目にもつかずにいられる。
同じ階の人間と鉢合わせれば不審な目で見られる可能性もあるが、それも今の自分にとっては些細な問題だった。
(十時四十三分…)
相変わらず彼女からの着信はない。開いた携帯で時間を確かめて、抱えた片膝に額を押し付けた。
待っていれば会える。けれど、どんな顔をされるかまでは分からない。つい考えてしまう未来は最悪の想像にばかり向かうのは、昔から変わらない癖だ。
一週間前には確かに頭にあった、輝いていた未来がくすんでいく。
いつかきっとと願った夢は、今手を伸ばしても届く気がしなかった。
20140205.
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