私は世間一般から特にずれていない思考を保持しているはずだし、清らかな心を持っているとまではいかなくても、狭量なわけではないと自覚している。
だから、約束するまでもない前々からの習慣をドタキャンされるくらいのことでは、別段怒りが湧いたりはしない。どうしても都合がつかない日というものはあるものだし、自分を一番優先してほしいなんて考えも持っていないのだ。

持っていないのだけれど。



「後輩…?」

「ああ、勉強苦手な奴がいてさ。このままだと部活に支障出るから、全員泊まり込みで教えることになって」



ごめんな、と申し訳なさそうに頭を掻く一年時から親しい友人を、見上げる私の胸の中が冷えるのは、怒りとはまた少し違った感情によるものだ。
名付けようのない感情が顔付きにも出てしまったのか、私の席の前に立つ伊月の目と口元が苦く弛んだ。



「ふぅん…」

「…ごめん」

「別に怒ってないから、謝らなくていいよ。伊月が部活に必死なのはいつものことだもの」

「みょうじと試験前に勉強するのもいつものことだろ。…本当、悪い」

「まぁ私は救いようない成績ってわけじゃないし。後輩くんがヤバいってんなら、そりゃそっちのが大事でしょ」

「みょうじ…」



意地の悪い言い方をしているなぁ、と思う。
けれど、こちらを見下ろしてくる伊月の表情が曇るのに、少しだけ胸の中がスッとした。

二人で苦手科目を教え合う試験勉強は確かに習慣ではあったけれど、なくなったからといって怒りが湧くようなものではない。都合がつかない日だってたまにはあるだろうし、一人でも真面目に勉強すれば平均レベルの点数くらい取れるものだ。
同じクラスにも所属していることだし、伊月と過ごす時間が少し減ったところで痛くもない。

私自身は、少しも。



「よくやるなぁとは思うけど」



怒りではなく、これは呆れに近い感情だと思う。
もうずっと、ずっとだ。一年以上、馬鹿みたいで仕方がない。

一年時、私と伊月はクラスメイトだった。入学してすぐは席が近かったという理由で、他よりも少し親しかった程度の仲だ。
その頃から呆れるくらいバスケットというスポーツに入れ込んでいた伊月は、バスケ部のなかった誠凛に来て、捨て鉢になっていた元の仲間を説得しようとしていた。

ただ、元の性格が利他的というか、他者のパーソナルスペースに土足で踏み込むことのできないタイプだったこともあって、結局その相手の気持ちを揺さぶって引きずり出したのはまた違う人間となってしまったわけだけれど。
もうその時点で頭痛がしそうなくらいの不器用さだと思ったのに、不器用なだけでなくこの男は、報われない属性まで持ち合わせていた。

誰より周りを見て空気を読んで、誰にも頼らず迷惑をかけようとしない。
だから、大事なバスケ部とやらの為に奔走することはあっても、いつも自分に見返りはない。



(…怒ってない、か)



少し、嘘を吐いてしまったかもしれない。怒っていないのは、伊月に対しては、という意味だ。

正直に言えば私は、バスケ部が嫌いだった。
バスケ部、というよりは、中心となるメンバーだろうか。
傍から気遣いをもって掛けられていた言葉には耳を傾けなかったくせに、他の人間に踏み込まれて揺さぶられたかと思うとそいつに感謝するような奴。本音は誰より利己的で自分の理想を叶えたいだけのくせに、いいところをかっ浚って創設者なんて肩書きを得た奴。まるでそれが神聖な話であるかのように綺麗な思い出に仕立て上げて、その二人を柱のように扱う奴らも。

全部が全部、私には何が素晴らしいのか解らなかったし、どうしたって好きになれなかった。

それが今度は、試合に必要不可欠な天才プレーヤーの為に学生の本分である学業指導ときた。
馬鹿じゃないの、と言いたい気持ちを堪えるだけ、私はまだ優しいと思う。



「みょうじは…やっぱりオレ達が嫌いだよな」

「伊月は嫌いじゃないよ」

「日向達はいい奴だよ。もちろん後輩も」

「伊月と私は別の人間だから、気持ちは解らない」

「正直だなー…」



困りきった顔をされるのにも慣れた。
伊月は出逢った頃からずっと変わらない。愚かなくらい直向きで、献身的だ。
救われない場所に居座り続けようと足掻く様は、とても美しいとは言い難いのに。

一年前に知った感情に、私はまた胸を占領される。



「私は好きになれない」



勝手なんだもの、皆。
気遣われて優しくされて尽くされて支えられるのが、当たり前のように思っている。
大きな感謝もされずに重荷だけはしっかり背負う人間がいることに、気付かない方も救いようがない。

外側から眺めて腹を立ててしまう私も、勝手なことに変わりはないけれど。



「みょうじ」

「なに」



呼ばれた名前に返事をすると、少しだけ風が起こった。

組んだ腕を机に乗せるようにしてしゃがんだ伊月の顔が、私よりも下にくる。
一瞬驚いて丸くなった私の目には、苦いのか甘いのか判らないような微笑が写りこんだ。



「いつも、ごめんな」

「…な、に」

「でも、オレにはみょうじがいるからさ」



だから、大丈夫だとでも言う気だろうか。
中途半端に止められた言葉の先はどうしても、その方向にしか受け取れないから厄介だ。



「っ……伊月の、馬鹿」



そういうのは、ズルいし酷い。
まるで、私しかいないみたいな言い方は卑怯だ。

ぐっと詰まって苦しくなる胸も、結局堪えるしかなくなる苛立ちも、全部、全部。






心臓がうるさいのは、キミのせいだ



私の分は、癒してくれないんだから。

20140203. 

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