※未来時間軸。大学生設定。
「みょうじちゃんてさぁ、赤司くんと付き合ってるんだっけ」
「ぐっふ……へ?」
時間潰しに訪れた食堂のテーブル、正面に座る友人から唐突に掛けられた言葉に、傾けていた水を吹き出しかけてギリギリで飲み込んだ。
危なかった。
突然何の話だよ、と突っ込みをいれたいのも堪えて口元を拭っていると、明確な反応を返さないことに焦れたのかもしれない。訊ねてきた張本人は弄っていたスマホもテーブル上に投げ出して、きっと視線を上げてきた。
「付き合ってるんだよね?」
「う、う…んー…」
頷くべきなのか、そうでないのか。正直濁しておきたいところなのだけれど。
頷かなかったら頷かなかったで、何処からか聞き付けた話題の彼の不興を買ってしまうから面倒だ。
どちらとも取れないような曖昧な唸り声を上げていると、友人の顔が訝しげに歪む。
「何その反応。自慢したくなんないの? 金もあって顔も中身もパーフェクトな彼氏とか、最強じゃん」
「なまえさんはそんなタイプじゃないでしょ」
「あはは…」
隣に座っていた友人からのフォローに苦笑しながら、内心深く首を傾げたかった。
どんな猫を被ったら、あの絶対君主の性格までパーフェクトと呼ばれるようになるのだろうか。
赤司征十郎、侮りがたし。
今一度再確認しながら、今度こそ落ち着いて喉を潤しなおす。
「でもさー、何でみょうじちゃんなのかなぁ」
「…何で?」
「だってさぁ、あの赤司くんだよ? 学部内でも有名な良家のご子息で、お相手選り取り見取りじゃん? みょうじちゃんといると何かしっくり来ないっていうかー」
「ちょっと茉利花、言い方」
「だって気になるんだもん」
特にファッションやメイクに気合いを入れてるわけでもないし、みょうじちゃん自体は一般家庭の普通の子って感じじゃん?
あっさりと並べ立てられる言葉はどこまでも素直だから、怒る気にもならない。
じっとこちらを見つめてくる友人の目は理由を知りたくて堪らないといった風な感情を滲ませていて、私は小さく笑いを溢した。
当然のように進路まで決定付けられ、大学入試の為に足りない学力を叩き込まれたことは、まだ比較的新しい記憶だ。
しかし、引きずり込まれるように入学した大学の構内でも、一年と経たない内に彼、赤司征十郎の名は知れ渡っていた。
あらゆる評価を総嘗めにするイケメン財閥御曹司なんて肩書きは、確かに強すぎるからそれは仕方がないことなのだろう。
けれど、それにしても。
(相変わらず、おモテになりますなー…)
本人でもないのに傍にいる人間の方が溜息を吐きたくなるくらい、征十郎は相変わらず女子に受けた。
出会った頃から知っていたこととはいえ、高校と大学ではまず人数が違うのでその威力は凄まじい。
彼女も、あわよくばと考えている一人なのかもしれない。
恋愛は自由だし、付き合っているらしい私に正面切って突っ込んで来る辺り、潔いのか性格が悪いのか判断は着かなかったけれど。
「あの、なまえさん気にしちゃ駄目だから…この子ちょっと、こう…」
「うん、まぁ、私も考えたことあるから別にいいよ」
不穏な空気でも感じ取ったのか、隣から気遣わしげに声を掛ける友人には、大丈夫だからと頷いておく。
影でコソコソ言われてきたこともあるし、真っ向からぶつけられる疑問の方がよっぽど楽なのも本当だ。
「で、何でか、だっけ?」
半分以上水の減ったコップをテーブルに滑らせて、他人から問われる以上に自分で悩んできた事情についての、一番有力な答えを引き出す。
そう。もう何度も、自分でも疑問を抱いてきたことに対する納得できる答えは、一応存在する。
「赤司征十郎って人間は、女の美しさとか可愛らしさにそれほど価値を置いてないんじゃないかな」
「価値…?」
「うん。私である理由って、言い換えれば私にそんな価値があるのかって訊ねたいってことでしょ?」
付け睫で縁取られた目を丸くして、次には整えて描かれた眉が、訝しげに顰められる。
さすがにそれだけの説明では足りないことは想定の内で、私はできる限り他者にも解りやすく噛み砕いた答えを吐き出していく。
征十郎は賢い人だから、と。
「あの人、基本的に持たざるものがないっていうか…頭とか外見とか金とか権力とか、自慢できるものは他に沢山あるでしょ? 今更可愛かったり美人な彼女なんか、いてもいなくても同じなんじゃないかな」
大体、元の外見なんて授かり物だ。
悪いよりは良い方がいいかもしれないけれど、価値があるかというと話は別だと思う。
外見が良くてもつまらなければ意味がない、とか、いかにも言いそうな人でもあることだし。
「それに…物と違って、どう努力しようと人は老いるし。美貌に価値があるとしたら、年々磨り減っていくわけじゃない? 最終的には無駄な買い物になるっていうか……まぁ、だからといって私に他の価値があるとも言い難いんだけど」
でもまぁ、そんな感じかなぁと思ってる。
三年付き合えば大体の内面くらい掴めるもので、強ちはずれていない自信もあってそう締め括ったのだけれど。
説明の最中、途中から口を挟まなかった友人はうろうろと視線をあちらこちらに投げながら狼狽えていた。
「茉利花…?」
隣の友人もその態度を疑問に思ったらしい。寸前まで強気でいたのに何事かと首を傾げそうになった時、ぽん、と右肩に誰かの手の感触が落ちてきた。
「賢いだろう、なまえは」
「…っ!?」
「え…あ、赤司くん…!?」
振り返る前に、聞き慣れた声を拾って身体がびくつく。
ぎしぎしと軋みそうな首をゆっくりと回せば、高い位置に上機嫌で微笑む親しい男の顔があった。
「い…いつ、来たの…?」
「入口に着いたら、なまえが吹っ掛けられているのが見えてね。面白い話をしていたから少し観させてもらっていた」
この後も時間はあっただろうと、私のスケジュールまで把握されていることについてはいつものことなので、流しておく。
それよりも話し始めの、付き合っているかどうかの受け答えを聞かれていなかったことに安心する。
しっかり頷いていないと、後で何をされるか分かったものじゃない。
とりあえず、最大の難は逃れられたようだ。身体中に染み渡る安堵が外に出てしまわないよう気を付けながら、私は誤魔化すためにももう一度口を開きなおした。
「悪趣味よ征十郎さん」
「すまないな」
「笑いながら謝られても誠意が感じ取れない」
「それは仕方ない。正にそういうところが好きだと、実感していたところなんだ」
「…は」
また何を言い出すんだこいつは。
生徒で埋まった席がいくつもある食堂内、集まる視線を感じて頬が引き攣りそうになる。
これまで征十郎の傍に居続けて慣れてきたとは言っても、私個人が目立つのは遠慮したい。その気持ちを悟っているだろうに、たまにこうして爆弾を仕掛けてくる男には頭を抱えたくなる。
好きとか。そりゃあ、好きじゃなきゃ許せないようなことも沢山被ってきましたけれども。
それはそれとして受け入れはしても、ひけらかす趣味は私にはないと、もう幾度となく言い聞かせてきたというのにこの男は。
「機転の利く思考と、自分の良心に正直な心意気。なまえの価値は金で買えるものではないよ」
吊り気味の目尻を下げた、わざとらしく見せびらかすような甘い微笑に、ときめきより寒気を感じる私がおかしいのだろうか。
嫉妬と羨望の悲鳴をそこら中から拾い集める耳を、今ばかりは千切って捨てたい気持ちでいっぱいだ。
捕まったあとは山査子と錨草を抱いてあなたの腕のなかで眠る
「普通喜ばないか?」
分かりやすい愛情表現だろうに、解せない。
そう言いたげに息を吐く男には、私の方が溜息を吐きたくなる。
ちょっとした騒ぎになった食堂から撤退すべく手を引いて連れ出せば、何がいけないんだと言わんばかりの目に見つめられて自分の肩ががくりと下がる気がした。
「征十郎…私は逃げても離れてもないんだけど」
「…あまり信用ならないな」
「じゃあやっぱりそれが理由なのね」
「ばれていたか」
悪びれるどころか満足げに口角を上げる征十郎に、先程のような甘い雰囲気はない。
ここまで判りやすいのに何も気付かない女なんて、最初から興味も抱かないくせによく言うものだ。
寧ろ、ばらして言質を取りたいだけなのかもしれない。
どこまでが布石なのか、さすがに全ては読みきれないけれど、望まれていることくらいなら私にも推測できた。
「あんな牽制しなくても、ここまで来て離れることはないと思うんだけど?」
伊達に三年間付き合っていない。今更誰に何を言われても、容易に切り離せやしないだろう。
大体、征十郎が本気になれば私なんてどうにでも動かせるのだ。
何しろ、死ぬほど勉強させられて大学入試に挑まされた過去がある。
無茶苦茶だと思いながらも私だって拒めなかったのだから、行く末は見えているようなもので。
(本当…どうしてこうなっちゃったかな…)
盛大に疲れた顔をしているであろう私に、満ち足りた笑みを浮かべる征十郎。
憎たらしいことに彼はまだ、歌でも歌うように足りない、と宣うのだ。
(まぁ、本気でなまえが逃げるとは思っていないが)」
(それならああいうのやめよう。私あんな目立つの好きじゃないから)
(念には念を入れて。外堀は埋めるにこしたことはないだろう?)
(誰も取らないし逃げないし、もう充分思い知らされてるって)
(いや、足りないな)
(この業突く張り…)
*
山査子:唯一の恋
錨草:あなたを捕らえる あなたをつかまえる あなたを離さない
2014021.
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