甘ったるいお菓子の香りを漂わせながら、短いスカートを揺らして走り去る見た目は可愛らしい女子とすれ違い、何気なくその背中を見送ってからまた歩き出した。
そこからすぐに辿り着いた所属するクラスの扉を潜れば、およそ予想がついていた通り。わざわざこの日のために準備してきたのであろう小袋やリボンでラッピングされた焼き菓子を手に、今にも自分の席へと引き換えそうとしていた色男と接触する。
「よっモテ男。さすがだね」
似たような光景を目にするのはこれで何回目になるだろうかと考えつつ、ひょいと片手を挙げてからかえば、返ってくるのはいつも通りの苦笑だ。
「やめてくれよ、なまえ」
綺麗に整った顔は、どんな表情をしていても目を引くものだ。
今日はまた随分と憔悴しているようだけれど、僅かな影すら儚げな美しさを演出するポイントになるんだから美形は得で、そして同時に損だと思う。
何せ、周囲の期待に応えるために溜息の一つも自由に吐き出せないのだから。
気を抜けば皮が剥がれてしまいそうな気配を感じ取って、これ以上つついてやるのは可哀想かと私が代わりに嘆息してやった。
「人気があり過ぎても大変だねぇ…統計百個は越えたんじゃないの?」
席に戻る氷室に並びながら、筆記用具や部活道具以外で埋まりつつある彼の鞄に思いを馳せる。
好きでもない甘い香りが染み付いたりしたら苦痛だろうにと、心配のような同情のような気持ちが込み上げる。
本当に、モテる男は大変だ。
うちの学校の授業組みが無駄に統括されている所為で、迷惑を被りっぱなしなのが目の前を歩く一人の男だった。
連日の家庭科実習で賑わっている女子群は、当然のようにその成果を誰かに捧げたがり、しかも捧げる相手にも拘りがあった。少女漫画よろしくな展開を夢見ては、現実を振り返ってタイミングを窺っていたらしく。
美形とお近づきになる機会を是が非でも逃したくないらしい彼女らの頭は固く、融通も利かなかった。何とかの一つ覚えのように全員が全員、シチュエーションの差違はあっても結果的に同じような行動に出る始末。
その結果が、相手を辟易させる悪循環となっている。
そんな誰も得しないような現状に見物に徹している私まで疲れてくるのだから、的にされる本人は相当のものだった。
「百個はさすがにないと……思いたいな」
「数えるの怖いよね」
「どうするかの方が問題だよ」
羨望を通り越した哀れみの視線が、教室の至るところから突き刺さってくる自覚はあるのだろう。
まだ一昨日の分も残ってるんだけどな、と肩を竦める氷室の内心は、外から見えるリアクションほど軽くはないはずだ。
自分の席に座りながら、受け取ったばかりのお菓子は鞄の中に仕舞われる。その際ちらりと見えてしまった鞄の中身は、予想通り五割は埋まっていた。
(うわぁ…)
もう、何と言えばいいのか。
評価を求める女子の気持ちは解らないではないけれど、ここまで来るとさすがに引くものがある。
確かに、憧れの美形に手作りのお菓子を渡してありがとうと微笑まれる、そのサークルは美味しいのかもしれないけれども。
どんだけ。どんだけ飢えてんだよ。重いよ。
嬉しさどころか狂気すら感じるわ。
机に肘をついて気付かれない程度に項垂れる男に、ついつい同情してしまうほどだ。
「譲るのはさすがによくないよな…だけど自分で食べきれる気もしないし…」
「馬鹿みたいに誠実だね、氷室……あれは? よく食べる後輩いたでしょ。平等にしたいならいっそ全部譲ったら?」
「アツシか。あいつでもさすがに同じようなもの数十個は飽きると思うよ」
「まぁねぇ…そこらへんの頭が回らない女子の脳内どんだけって話なんだけど」
愛情の押し付けは上手くやらないと、相手にとってはありがた迷惑だ。氷室を観察しているとその辺りがよく解って面白いし、今のように不憫に思えることもある。
可哀想にと艶のある髪を撫でてやると、力のこもらない手でやめてくれ、と振り払われた。
どうも、本気で疲れているらしい。気持ちは解らないでもない。実感はできなくても同情する。
「相手を考えて与えるのがプレゼント。自分の気持ちしか考えないのはただの自己満足ってねー」
溜息も悪態も吐き出せない、吐き出すわけにはいかない氷室に代わり、前の席の椅子を拝借しながら私は口角を上げた。
ガス抜きもできずに疲弊しきった男の不満は、私の口から紡いであげようではないか。
「普段使いの消耗品ならいざ知らず、同じ食べ物を芸もなく押し付けるのは面白くはないわ」
隠れていない右目が、持ち上がると私へと照準を合わせる。
疲れた、きつい、面倒臭い。そんな本音が見透かせるような、分かりやすいほどの無表情。氷室辰也は笑っていない。
それでも、誰かの呼び出しを受ければ優雅な微笑はすぐに帰ってくるのだろう。この男は、無駄な優しさを振り撒き続ける。
全ての情や目論見を、受け入れきれないことを後から思い知って、申し訳なさそうな顔をしながらも見付からないよう、片端から捨てていくことになっても。
それを既に知って、若しくは想像できていても、氷室という人間は瞬時に転換できるほど軽い作りをしていない。
可哀想なくらい、可愛らしいくらい固いのは、この男も同じだ。
「そんな疲れてる氷室くんにいいものをあげよう」
「え?…っ」
制服のポケットから取り出したものを、死角から差し出して髪のかかる頬に押し付けてやれば、ぴくりと揺れた顔は驚いて瞬きを繰り返す。
咄嗟に伸びてきた手にそのまま譲ったのは、まだ暖かく熱を持つ缶コーヒーだ。
「どうせいくらかは流し込むんでしょ?」
甘いものが得意ってわけでもないのに、よくやるとは思うけれど。
押し潰されてしまわないように、少しくらいは手助けしてやる。
だって、本当に見ていて危なっかしいし。
複雑そうに眉を寄せている表情は、照れているのか何なのか。判断は付かなかったけれど、綺麗すぎる微笑みよりは人間らしく歪んでいた。
またひとつ、
(なまえに貸しができたな)
(これでいくつ目だろうねぇ)
(全く…返しきるまで時間がかかりそうだ)
20140107.
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