全てを知り尽くしたいと、思っているわけではなかったはずだ。

親しき仲でも対人関係にはある程度の隠し事も付き物で、意図的でない場合は特に責めるようなことでもない。本音に嘘を混ぜ込んでうまく渡り歩くのも、賢い人間の生き方だろう。
隠されてもいないことなら、それこそ気付かず知らずにいた方に責任がある。

そう、思っていたはずなのに。



中学時代のことだ、彼女の姿が見えない時、居所を突き止めるのは決まって同じマネージャーであった桃井か、一度認めれば懐きっぷりの分かりやすい黄瀬か、密かに仲は悪くなかった黒子だった。

立場上忙しなく動き回っていた自分を恨むことはないが、彼女との親しさで行けば他者と比べて底辺近くを漂っていたことを自覚すれば、それなりに苦い気持ちにもなる。
今更気にしたところで時間は戻らない。仕方のないことではあるし、今彼女の傍にいられる権利を再び得ているのだからこれ以上不満を溢すようなこともできはしないが。
たとえば、彼女の趣味も好みも行動範囲も、三年間の僕の記憶の中には何一つ刻まれていなかった。

それに気付いた時、澄んでいた水に絵の具が落ちたように、身体の中が濁っていくように感じた。



「征ちゃん、なまえちゃんにお礼したいんだけど、あの子のクラスってどこなのかしら?」



自主練も終えて着替えに戻った部室で、部活中には耳にしなくなっていた名前を聞いて一瞬聞き間違いかと思ってしまった。
何を気にするでもない、裏もない表情で疑問をぶつけてきたチームメイトに振り向く顔が真顔になる。自覚はあった。



「なまえを、知っているのか」



というか、お礼とは何のことだ。

表面上も取り繕えない僕の反応が意外だったのだろう。ぱちりと目を瞠った玲央は僅かに首を傾げた。



「そりゃあ征ちゃんの恋人ですもの。知らない部員の方が少ないでしょ?」

「関わり合いになる状況がないだろう」

「え?」



何しろ、高校生活が始まって以来彼女はバスケットに関わっていない。マネージャーとして近い距離にいた中学時代ならともかく部活動から遠ざかった今、自分以外の部員との関わりなどないと、思っていたのだが。



「えーっと…征ちゃん、知らなかったの?」

「…何を、」

「あーっつっかれたー!」

「腹ぁ減ったな」



バタン、と音を立てて部室の扉が開け放たれたのはその時だ。
ぎこちなく眉を下げ半笑い状態で見つめてくる玲央を訝しく思っていると、レギュラー二名が割り入ってきた。



「ん? 何二人ともかたまってんの?」

「小太郎、永吉」

「あ?」



はっと息を飲む玲央に気付きながら、視線をそちらに向ける。
その反応だけで充分だった。素直に振り向いたこの二人も同じく、彼女を知っているということは予測できた。



「お前達、みょうじなまえと知り合いか」

「へ? 赤司の彼女?」

「知り合いっちゃ知り合いだろうが…そういやこないだ無料で食券手に入れたからって譲ってもらったな」

「あ、オレも図書室で調べもの手伝ってもらった! 気が利くいい子だよねー」

「……玲央」

「え、ええと…どうもうちのマネージャー鈍くさいとこあるし、効率的じゃないものだから、征ちゃんが一目置く子なら細かいところアドバイスくれるかと思って…実際とっても役に立ったし」

「道理で…ここ最近仕事が捗っていたはずだ」



確かに、理由までは至らなかったが部活中に補助面での不備が減っていた。選手のデータの纏め方も過去に見てきたものによく似ていることに気付いて、頭を抱えたくなる。

何故、今の今まで気付かなかったのか。
あれだけ見つめてきた彼女の動向を読みきれていなかったことも、情けないにも程がある。



「ごめんなさい征ちゃん。てっきりなまえちゃん本人から聞いてると思って…」



少なからず、とは表現できない。分かりやすく胸に落ちてきた鉛を久々に感じて黙り込む僕に、気遣いの滲む玲央の態度が逆に痛かった。

何故、僕が。誰よりも親しい立場であるはずの僕が、彼女の交遊関係を把握できていないのだろうか。
しかもまた周囲の方が親しそうな雰囲気をちらつかせているのが、どうにも納得できない。



(恋人だろう)



今は本当に、偽りなく繋がっていられる関係のはずだろう。
過去ならまだしも、現在のことを見落として平気だと思いきれない。らしくもなくぐるぐると不快感の渦巻く脳内を制御できない。

彼女が比較的好意を寄せられやすいタイプだとは、それこそ名ばかりの関係の頃から承知していたことではあったが。
それでも、今だからこそ聞き逃せないものも、ある。






「なまえ、会いたい」

『は、い…?』

「談話室に邪魔している。時間をくれないか」

『は…あ、ちょっと待ってて』



慌てながら切られた通話の後、寮内では生徒の交流場に使われやすい談話室で彼女を待つ。
数分の時間を置いて息を切らせながらやって来たなまえは長く伸びた髪をほどいて部屋着らしいワンピースを揺らしていた。



「赤司くん、何かあった…」



人気は疎らとはいえ、寮生でもない人間がいるのはそれなりに目立つ。特に校内での自分の知名度も把握しながら、周囲の視線を完全に無視して細い腕を掴んで引き寄せた。



「あっ、え? 赤司くん…っ?」



そのまましがみつくように抱き締めた身体が、びくりと腕の中で跳ねる。
緊張でどくどくと速度を増し始める脈拍を確認して、安堵する気持ちも芽生えはしたが。

これでは足りない。



「どうして、言ってくれなかった」

「っ…はい?」

「僕の知らない場で、あいつらと関わって」

「あいつら…えっと……部員の、先輩とか?」



相変わらず察しのいいなまえは、戸惑いながらでも頭を回転させられたらしい。
赤く染まる頬を隠しもせずに正誤を確かめようと見つめてくる瞳に、悪意が見つからないからこそ厄介だった。

知れないことが、知らずにいて当たり前だった昔より、重く響く。
近くに置いているつもりで、見透かせない事情があることが許せない。まるで八つ当たりだと自分を嗤ってやりたくもなるが、それも後回しにして至近距離にある彼女の顔を覗きこんだ。



「仲を深めていたことどころか、知り合っていたことも僕は聞いていない」

「仲…深めると言うほど深めてないかと…」

「何故教えてくれなかったんだ」



何故気付けなかったのかと、自分を責めた後だからか口調が厳しくなる。
吐き出した瞬間に後悔しても、何もかも穏やかに受け止めてしまうなまえは今もまた気にした様子もなく呼吸を深めた。



「疚しいことなんてないよ…?」



それは、事実だろう。彼女は自分にできる範囲で他人に協力しただけのつもりで、純粋な親切心や僕繋がりの親しみから彼らにも接していたに違いない。
理解はできる。頭では。なのに心を納得させられないのは、なまえに関しては昔からそうだ。



「足りない」



余裕も、余裕を得るための情報も、情報を掴むためのやり取りも、やり取りをうまく運ぶ時間も。
何もかも、なまえ限定で不足する。その間に多方面からの信頼や愛着を集める彼女の姿だって、見せ付けられてきたものであるというのに。



「なまえが足りないんだ」



うまくいかな過ぎて、嫌になるほどだ。

それでも二度と手離すことだけはできない細い肩に顔を伏せれば、鼓動を速めたままであっても気遣いは忘れない手が宥めるように背中を撫でてくる。
ごめんなさい、と呟くなまえは、本当は何も悪いことはしていない。



「もっと、満たせるように…頑張るから」



触れた部分から振動を伴って伝わる声はどこまでも穏やかで優しいから、見合わない自分に不甲斐なさを感じるのも、もう慣れたものだ。






無差別ハート泥棒




中学時代の仲間内にすら彼女に密かに想いを寄せていた人間がいたことを、今更になって知らされたのは数日後のことだった。



(さっきのメールはどういうことだテツヤ)
(はい?…みょうじさんとよりを戻されてよかったですねと…わざわざ電話するほどのことでしたか?)
(そうじゃない。涼太や真太郎の名が続いたのはどういうことだと訊いているんだ)
(どうもこうも…緑間くんは分かりやすくみょうじさんを意識してましたし、黄瀬くんに至っては一度は惚れたものの赤司くんがいたから泣く泣く諦めて……まさか、知らなかったんですか?)
(……それを、なまえは気付いていないだろうな)
(さすがにそこまでは知りませんけど……危機一髪というか、本当によりを戻せてよかったですね。みょうじさん結構多方面から好かれてましたし)
(今、改めて実感したよ)
(そうですか)
(まずあいつらには絶対に近付けないよう配慮しよう…)
(わりと余裕ないですね)

20131220. 

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