※大学生時間軸な未来設定。Habitの対のような話。
恋人としての付き合いも五年目ともなれば、親しさも深まって気が弛んだり油断してしまうことも多々ある。
悪い意味ではないけれど、今日もオレは何も考えずに口を滑らせてしまった。
お互いの部屋でのんびりするのが定番となった日常、時計を見て夕飯を作ってくれようとして立ち上がった彼女に続こうとして、声を掛けてすぐのこと。
「何作るー?」
「材料何があるかなぁ…敦くんどんな味食べたい気分?」
「んー、なまえに任せる」
あっ、とオレが口を押さえるより早く、細い肩が僅かに揺れるのが視界に入った。
馴染んでいるはずのあだ名呼びがいきなり呼び捨てになれば、それは驚いても仕方ない。
気を抜きすぎてどこかのネジを緩んでしまったのかなぁ、なんて首を傾げるオレに対して、何故か何も答えないままなまえちんは備え付けられた台所へと歩き出した。
「なまえちん?」
「えっ…う、うん、何?」
何か、反応とか距離感おかしくない?
長い期間見続けた大事な大事な彼女のことだから、違和感には一瞬で気付ける。
どこか落ち着きなく振り向いた顔はうっすらと頬が赤くなっていて、その目も真っ直ぐにはオレを見つめてこない。
数年前なら不安に感じたかもしれないような態度だけど、なまえちんの扱いを一つ一つ覚えてきたオレにはピンときてしまった。
むくりと鎌首をもたげた悪戯心に忠実に、三歩で空いた距離を詰めてみれば慌てて後ずさられる。
「何で逃げんの?」
「な、何でも…」
「なくないよねー、なまえ?」
身体がでかいと不便も多いけど、こんな時は使えるなぁ。
自分で分かるくらいにやあと持ち上がる口角、すぐに縮められる距離で腰を折れば、近付いた顔にびくりと肩を震わせたなまえちんが、眉を下げた困りきった顔で見上げてくる。
もう少しで壁にぶつかるのに、じわじわと後ろに逃げようとする様が小動物が警戒しているみたいで可愛い。
「どーしたの、滅多に呼ばないからびっくりした? 照れた?」
「う、えっと…」
「それともー…夜だし、思い出しちゃったりとか?」
「っ…」
可哀想なくらい赤く赤く染まっていくなまえちんの顔は、意味を含ませて囁いた言葉に素直に反応してくれる。
見開かれた瞳はすぐに逸らされたけど、オレが見逃すわけがないよね。
「なまえってば」
ちょっと耳元で呼んでみるだけで、逃げ場を塞いでいるわけでもないのにその場から動かなくなる。
空いていた手でふにふにと柔らかい頬を撫でながら覗き込めば、オレの大好きな美味しそうな表情をしていた。
「アララ、りんごみたいに真っ赤になっちゃって。可愛いー」
「か、からかわないで…」
「からかってないよー」
「敦くん笑ってる…!」
「そりゃ可愛い彼女見たら誰だってにやけるし」
甘ったるい色の髪の毛も、潤んで揺れる瞳も、震える唇も。
それ以外だって語り尽くせないくらい、どこもかしこも可愛いと思うのは嘘じゃない。
恨みがましく睨んでくる彼女なんて、上目遣いも相俟って誘われてる気分にしかならないし。
精一杯気丈でいようとしていても、元が優しいなまえちんは完璧に取り繕うことなんてできるわけもない。
「ねぇ…なまえ」
お腹空いた。
捕らえられて泣きそうな顔をしている獲物の頬から滑らせた手を背中にやれば、電流でも走ったかのようにびくりと跳ねられたけど。
オレの胸を押してくる両手の力は、本気で拒否するには弱すぎる。
幸い今は夜だし、食べてもいいよね。
明日の予定を頭の隅で確認しながら一番美味しいものを抱き上げると、小さな悲鳴が上がった。
「まっ、ゆ、夕飯作るからっ」
「勝手に食べるからいいよ」
「私じゃ胃は満たせません…!」
「さっき何味がいいかって訊いたよねー」
腕の中でもぞもぞと動く身体がこれ以上ないくらい楽しい。
可哀想なくらい恥ずかしそうなのが、可愛いなんて言ったら怒られるかもしれないけど。
(でも仕方ないよねぇ)
夕飯よりお菓子より、何より一番美味しそうなんだから。
りんごほっぺ、食べてもいい?
「なまえの気分だからなまえがいい」
観念したのか力が抜けたのか、しなだれかかってくる彼女の顔は、湯気が出そうなくらい真っ赤だった。
20131218.
[ prev / next ]
[ back ]