甘く芳ばしい香りを立てながらオーブンから取り出されたクッキーは、端の方には若干焦げているものの大半が綺麗な狐色に焼き上がっていた。
冷まして本来の食感を出すためにほんの少し時間を置く間、興奮と期待に満ちた視線を受け止める。
ここまで来るのにかなりの神経と体力を使い果たした私ともう一名は、疲れ果てた顔を彼女に見られないように突き合わせて頷きあった。

私達は、本当によくやった。



「ど、どう!? 成功!? 美味しいかな!?」



桃色の髪も可憐さを引き立てる美少女が詰め寄ってくるのを宥めつつ、冷めてきたクッキーをつまむ。
材料の確認から調理過程まで、しっかりと見張って指導したのだから恐らくは大丈夫だろう。やや形が歪なところは、彼女の普段を知っていれば全くの許容範囲だ。

まだ少し熱の残るクッキーは歯触りもよく、さくり、ほろりと口の中でいい具合に音を立てて崩れる。プレーンのあとから来る甘さも中々のものだった。



「うん…美味しい。ね、桜井くん」

「はい、これなら大丈夫だと思います!」

「本当!?」



ぱっと頬を染めて喜ぶ姿は、付き合いの深い友人ながら愛らしい。
これで大ちゃんをギャフンと言わせるんだから、と意気込むさつきは、ウィンターカップの後から物思いに沈むことも、無理な笑顔を浮かべることもなくなった。幼馴染みの呼び名も親しいものに戻して、よく構うようになったと思う。
その幼馴染みも傍若無人さを緩和して、無闇に部活をサボることもなくなって。また少しずつ、バスケに打ち込み始めた。

今までの所行は十二分に知れ渡っている。態度が変わったから何もかもうまく立て直せるようになるかと言えば、簡単な話でもないだろう。
それでも、以前よりはずっといい風が、彼等にも部内にも吹き込んでいるように思えた。



「あの…残り、どうしましょうか」

「さつきがくれるって言ったんだし、食べちゃっていいんじゃない?」



午前中の使用許可をとった家庭科室、殆どの後片付けを終えれば早速友人は幼馴染みに突撃しに行ってしまった。
そのまま解散してもよかったのだけれど、どうせ午後からの部活まではまだ暇がある。だったらそれまで時間を潰そうと、置いていかれたタッパーを半分埋めるように積み上げられた残りのクッキーに手を伸ばした。

遠慮気味に距離の空いた椅子に腰掛けた功労者も、エプロンを外しながらふう、と肩から力を抜く。



「ごめんね、一人で舵とれる気がしなくて。桜井くんまで巻き込んじゃった」

「えっ! い、いえ、こんなことでも役に立てるなら全然っ…! 料理は好きですし!」

「うん、すごく助かった。ありがとう」

「い、いえ…っ…はい…」



本当に、心の底から感謝する。私だけであの料理音痴を抑えるのは、難易度が高すぎた。
見た目も可愛くポテンシャルも高い友人は大概のことを器用にこなすのだけれど、料理だけはどうしたって一人ではこなせなくて。
一から全て教え込んで目を光らせておかないと、とんでもない食物兵器を生み出してしまう。今回は二人がかりで見張れたから、随分と平均的なクッキーが出来上がったけれど。

一緒に食べよう、とタッパーを少し押し出すと、照れた様子で俯きつつもおずおずとその手が伸ばされる。
細いわりに筋ばった手はやっぱり男子のもので、当たり前のことでも不思議な気分になるのは、ここまで控えめなタイプと接することがなかったせいだろうか。

一年からレギュラーということで、青峰やさつきを通して関わることも少なくなかった桜井くんとは、それなりに仲はいい方だと思っている。
けれど、こうも引き気味に接されると、その性質を知っていてもなんだか距離を感じるところもあったり。



「あ…あの」

「ん? なに?」



僅かな寂しさを感じながらやや歪なクッキーを指で弄んでいると、今にも消え入りそうな声が掛けられて首を動かす。
気弱そうな丸い目と視線がぶつかると、一瞬怯んだように下を向いたそれは再び持ち上げられた。



「みょうじさんは…その、青峰さんのところに…行かなくてよかったんですか?」

「…何で?」

「や、そのっ…一緒に作ったわけだし、桃井さんに…」



譲って、いいのかなって。

徐々に消えていく声が気まずげで、逆に私が笑いたくなる。
“譲る”なんて、随分と大きな解釈だと思った。



「いいか悪いかで考えるなら、いいよ」

「…みょうじさんは、二人と仲良いのに…たまに、遠慮し過ぎてる、気、が…っ…スイマセン知ったような口利いて!」

「うーん…うん。桜井くんは優しいね。ちゃんと、周りを見てるし」



周りを見回す人には、気付いてもらえるくらいの存在ではあるのかな。私も。
あの二人には組み込まれなくても。

怒らないよ、と苦笑を返しながら、囓ったクッキーは少し焦げていた。
ちょっとした苦味は、本来の甘さでカバーできる。



「例えば、どれだけ綺麗に作れたお菓子でも、渡すのが私じゃ何にもならない。意味がないんだよね」



少し焦げているくらいなら、あの男は憎まれ口を叩きながらも完食するに違いない。大事な幼馴染みの作ったものなら。

あるべき形を取り戻して、距離も遠慮もないやり取りを投げ合う二人の間には、確かに他には立ち入れない絆がある。
私には到底辿り着けない場所に、彼らは立っている。



「…私は、何も言えなかったし、できなかったから」



今更、きっちり向かい合ったところでどんな顔をすればいいのか判らないよ。

咀嚼し、飲み込んでから言葉にした気持ちに、嘘はない。
耳を塞ぎ続けたあの男の手を引き剥がしたのは嘗ての相棒と、彼の所属するチームで。
何とか引き戻そうと傍で支えて、部活仲間で問題が起きる度にクッションになるのは、幼馴染み。
漸く戻ってきた熱意を、ぎこちないながらも保たせようとするのは新しい桐皇のチームメイト。

見事に、私の役割はなく、どこに踏み入ることもできなかった。



「何も…それなら自分も、できなかったと…」

「桜井くんはチームメイトとして、ある意味ちゃんと支えになってるよ。勝つための努力だってしてる」



必要だったのは言葉ではなく、態度だったのかもしれない。
けれど、私は私にできることを見つけられなかった。あの男のためにも、桐皇のためにも、結局何の力にもなれずに冬は終わってしまう。

自分の無力さに呆れて、苛立って、やっぱり諦めるだけの季節だった。
変わり行く中で、私だけが意味も価値もないものとして取り残されていく気さえする。



「あ、で、も…あのっ…」



結構美味しいけど、飽きるな。
パサつく口の中を潤したい、なんて、ネガティブに沈みそうになる思考を現実に逃がそうとしていると、クッキーを一、二枚つまんだだけだった手が何故か今、私の制服の袖を僅かに引いてきた。



「桜井くん…?」

「す、すいませ…あの…」

「うん?」



謝らなくても、怒らないのに。

首を傾げて話を聞く態度をとれば、どこか切羽詰まったように寄せられた眉の下から、大きな目に射られた。



「見守ることしか、できないことも…悪いことじゃないと思いますっ…」



なんだか、必死な雰囲気で言葉を探す桜井くんは、どうしてだろうか。悲しそうで。

私もいつかはこんな顔をしていたのかなぁと、ぼんやりと思う。
そのわりに、胸の真ん中より少し左側が、ぎゅ、と締め付けられた。



「何も、できなかったかもしれないけど。そこにあった気持ちまで、否定しないでほしいと…っ…スイマセン、あの、本当に知ったような口利いてっ…でも、みょうじさんは…!」

「桜井くん」

「や、優しい、人だと思うから…っ!」

「…ありがとう」



筋張る手に握られて伸びる、カーディガンの裾。
だんだんとその視線は落ちて頭は俯いていくのに、絞り出される声は普段よりずっと強く耳朶を叩いた。



「お、同じ場所に、立てないから…容易に踏み込めないし、だからこそ暴かないことだって、一つの配慮で、思い遣りでっ…」

「解った。解ったから…そんな、泣きそうにならないでよ」

「わかって、ない…っ!」

「桜井くん、たまに強いよね」



泣きそうなことは否定しないんだ。
つられて熱をもつ目頭に気付いて、悲しいのか馬鹿らしいのかも判らないのに笑えてくる。

優しいのは私じゃなく、私まで見ていてくれる。悲しんでくれる君の方よ。

温い空気に浸る朝の終わり、一粒落ちそうになった涙は静かに拭った。







無声音にて愛を叫ぶ




何にもなれない私の声を、拾って。

20131008. 

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