※下品な単語や設定が出てきます。(例:紫原の下半身が軽い、等)







始まる前から、終わりが見えているようなものだ。

好きな人ができた。その一言を耳にして瞠目するチームメイトは、甘い響きを持つ言葉とは裏腹に強張った顔色を真っ白にした紫原を振り返り、固まった。



「…すまない。よく聞こえなかったようだ」

「…好きに、なっちゃった」



聞き間違いではなかったらしい。
その質問を投げ掛けた赤司はそもそも聞き間違いを起こすような人間でもなかったが、それにしたって切り出した口の持ち主からは信じられない発言だったのだから仕方がないところもあるだろう。
部活前の部室に居合わせた人間に下世話に騒ぎ立てるようなタイプがいないことは、幸いだったが。



「それは…あの、所謂身体の関係の相手を、ですか」



そろりと挙手をしながら訊ねたのは、腕を通したまま固まった後、ぎこちないながらもそれを正した黒子だった。
あまり口に出したくはない内容ではあったが、今ばかりはそうであれ、と願った問いに、それを受けた紫原は力なく首を振った。

だったらここまで内臓がねじ切れそうな思いはしていない。

その胸中を悟ってしまったチームメイト、赤司と黒子、それから衝撃から未だ回復できていない緑間は、ほぼ同時に眉を寄せる。



「…みょうじか」

「…うん」

「それは…難攻不落、というか…」

「……うん」

「……無理がある、と…思うのだよ…」

「……ん…」



掛けられる言葉も、始めから想像できたものだった。
それでもどすん、ごすん、と胸の中に落ちてくる鉛を受け止めきれず、普段以上にその猫背が増した。

紫原は普段の態度からは、ゆるく何も考えていない人間のように思われることが多い。
けれどそれは表面上の、世渡りのための仮面のようなもので、改めて蓋を開けてみれば子供の我儘に釣り合わないシビアな思考回路を持ち、快楽主義で合理主義な部分も強くあった。
それなりに賢く器用であるが故に周囲には上手く甘え、募る反感は躊躇いなく捩じ伏せる。どこか他人を斜に構えて見てしまう、冷めた人間であって。
そして。



「みょうじの純粋さを考えると…さすがに受け入れられるのは難しいだろうな」



こんな言葉をチームメイトに投げ掛けられるくらいには、不純な付き合いに浸かりきっているような人間だった。






そもそもの要因は、身体の成長具合が突出していたことだろう。
中学入学前にして高校生並みの体躯をしていた紫原は、その身体に不釣り合いな無邪気さで年上に可愛がられることが多かった。可愛がられるだけならまだしも、不埒な目を向けられることもそれなりにあった。

最初は確か、長男の恋人だった女が。その目を盗んで淫らな悪戯をけしかけてきたのだ。
紫原も馬鹿ではないので、それが世間一般的にどんな目を向けられることなのかは即座に理解できた。
しかし、簡単に振り払えた手を、その時受け入れてしまった。剰え行為は一回に留まらず、その後も相手を変えては繰り返し、同じような趣味の女に求められれば応じるような廃れた関係を幾度も味わった。

未知への好奇心、性への関心、如何わしい行為に至る背徳感、単純に得られる快楽。
今思えば、全てに酔ってしまっていたのだろう。誰よりも早くそういった知識や経験を得た、変な自信もあった。非童貞は勝ち組という思春期特有の思考が周囲に蔓延り始めていたのも後押しして、歳に合わないそういう意味でのお友達を何人も確保していたのだから笑えない。

若かった。今でも勿論若いが、あれが若気の至りだというものだと、紫原は苦味を飲み込みながら推測しては項垂れる。
後腐れのない身体だけの関係は、負担もなく気持ちがよかった。適度に弄って満足させてやれば悦ぶ、女なんて簡単な生き物だと。

そんな風に思ってて、ごめんなさい。



「今日はねー、アップルパイにチーズクリームを合わせてみたの。作るの二回目なんだけどね、美味しかったから敦くんにもあげたくて」



昼の日差しの似合う、ふわふわとした愛嬌のある笑顔が紫原の心臓を締め上げる。
ほんのり色付いた頬に喜色を乗せて見上げてくる存在に、紫原はもう何度目かも判らない岩に頭を打ち付けたいような気持ちを味わった。

今まで繰り返した付き合いからは程遠い、純粋を詰め込んだような微笑みに打算の見当たらない態度、その愛らしさに胸を高ならせる、反面。
海の底にでも沈んでしまいたいような罪悪感に打ち沈む、心情を表に出さないことに必死になる。

真っ白だった。
目や耳は勿論、世界の条理を疑うくらいに、同い年でクラスメイトであるみょうじなまえという女子は、汚れの一つも知らない真っ白な存在だった。
性の知識なんて保健の授業で習うくらいしか知らない。それどころか卑猥な言葉は一つも意味を理解していない。口に出してはいけないと言われれば、素直に飲み込んで消化してしまう。
せふれってなぁに?、と綺麗に澄んだ目を丸くして問い掛けられた日の衝撃を、紫原は未だに引き摺るほどに覚えている。
その頃はまだ彼女に仄かな想いも抱いていなかったにも関わらず、慌てて意味は誤魔化した。そうして理解したのだ。

あまりにも。あまりにもこの存在が綺麗過ぎて、汚すのが惜しく恐ろしくさえあり、周囲も必死になって取り繕い通してきた結果が、なまえの純粋たる所以なのだと。
理解して、これまで生きてきた世界の違いに頭を抱えた。それは今となっては余計に紫原の悩みの種で。

可愛く、優しく、汚れ一つなく真っ白な、世界中の綺麗なものだけを詰め込んだような存在を、どうすれば汚さずに傍に置けるだろうか。
無茶無謀にも程があることは、理解できたことだった。いつからか胸に居座っていた想いを自覚して最初に、絶望を覚えたことも当然で。
それでも、彼女を避けられはしないし、避けたくもなかった。



「わー、絶対美味いし。ありがとなまえちん」

「どーいたしまして」



にこにこと善意に溢れた笑みに、笑顔を返すことくらいなら容易い。なんとも思っていなかった今までだってそうしてきたことなのだ。今更引き攣らせはしない。

お菓子作りが大好きだというなまえの腕は確かで、お菓子が大好きだと体現する紫原にお零れを分けてくれることが多かった。
ここまで親しくなったきっかけなんてそんな些細なもので、少し突けばバランスを失ったジェンガのように崩れ落ちる恐れがある関係だということを、紫原はしっかりと理解している。

面倒事を嫌う性格が幸いし校内での素行は悪い方ではなかったが、交遊関係なんて漏れる時は漏れるものだ。
決して少なくないそちらの繋がりを隠し通すのが如何に難易なことかも、解っているからこそ紫原の内臓は捻れて悲鳴を上げた。

悪因悪果とは、今のような状況を言うのかもしれない。



(いや…いや、まだ、バレてないし……)



認めたくない。思い知らされて堪るか。
そうは思うものの、具体的な打開策はない。過去は巻き戻せはしないし、巧みな情報操作等も一介の中学生にできるようなことでもなく。



「あれ、紫っち? こんなとこで何して…って、」



表面上は必死に取り繕って、和やかな会話を続けようとした時に響いた声に、紫原の大きな肩がぎくりと強張った。



「わーっめずらしっ! 紫っちが校内で女子と二人きりとか…ついにこっちにも手ぇ出しむごふっ」

「…黄瀬ちん、これ今貰ったアップルパイだけどすげー美味そうだから分けてあげるねだから、ちょっと……黙れよ」

「っんぐ!?」



腰を下ろしていたベンチの背後から、無邪気に顔を出してきたチームメイトの顔面に叩き付ける勢いでラッピングも解いていないアップルパイを突っ込む。その様は正に鬼気迫るといった表現が似合う。
普段ならば絶対に譲らない類いのお菓子を犠牲にしたことも相俟って、なまえに聞こえないよう声量を落とした呟きには憎悪すら混じっていた。
ただならぬ気迫にわけも解らず目を白黒させるのは黄瀬だ。

そんな光景をぱちぱちと瞬きを繰り返しながら見上げていたなまえは、不思議そうにこてりと首を傾げた。



「? それ、解かないと。ラッピングしたままじゃあ食べれないよ敦くん?」

「あーそーだねうっかりしてたー。てゆーか、なまえちんちょっと待ってて。オレ黄瀬ちんに用事思い出したから」

「うん、じゃあ待ってる」



疑問も忘れてこくんと頷くなまえの素直さに一瞬解された紫原の胸は、未だ状況についていけない黄瀬の胸ぐらを掴んだことで、負の側に傾きなおす。
そのままベンチからやや距離を取ったところでその口を塞いでいたラッピングを退ければ、引きずられるがままだった黄瀬はきゃんきゃんと喚いた。



「一体なんなんスかもう! 声かけたらいきなり顔面叩かれるし脅されるし意味わかんねーんスけど!?」

「黄瀬ちんが悪い」

「何で!?」

「いきなり女子の前で手ぇ出すとか言うからでしょ。空気読んでよねー」

「はぁ!?」



人心把握に疎い黄瀬には、紫原の言っている意味が全く理解できなかった。
いきなりも何も、チームメイトの間では紫原の性事情が荒んでいることは事実として知られている。これまでも同じような話題は振ってきたし、バレても何とかなるだろうから別にいい、と口にしていたのも張本人だったはずなのだ。



「だってバレてもヤッちゃえばノってくるって紫っちが言ってたよね!?」

「っ…人の黒歴史掘り返して楽しい? ヤるとかさー、簡単に言わないでよこれだからヤリチンは」

「どっちが!? 明らかオレより紫っちの方がヤリチンいっだっ!!」

「声でけーし!!」



力加減も疎かに殴られた黄瀬は、あまりの痛みに声を上げられなかった。
理不尽極まりないが、紫原の巨体で力業に出られては反論できるはずもなかった。



「あ、敦くん? 今、その人叩いた?」

「あーうん大丈夫、じゃれてんの。これ現代男子のスキンシップでは普通のことだから加減してるしー」

「そうなの…? 仲良しだからスキンシップ?」

「そーそー」



仲良し、だからね。

殴ったばかりの部位を力強く掴みつつ、ほっと安堵するなまえに笑いかける紫原の顔は、顔だけは、好意対象に向けるこの上なく優しいものだ。
冷や汗をかきながら異論だらけの目で見上げてくる黄瀬のことは、ばっさりと黙殺していても。

そうなんだ、と納得するなまえに漸く深い息を吐き出そうとした紫原は、しかし、次の瞬間隣にいる黄瀬をも巻き込んで凍り付くことになる。



「ところで、やりちん?…って、なぁに?」



黄瀬ちん、後で体育館裏。
や、やだけど何か、すんません…っス。

顔面蒼白で呟いた紫原に、事態を僅かに察した黄瀬は負けないくらい顔色を悪くして唸った。






毒林檎は美味しくいただきました



一度囓れば戻れない、甘い果実に毒された身体。

201301004. 

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