電話を掛けると決めて三十分。携帯を握りしめてからは十二分。
刻一刻と過ぎ行く時間に焦る気持ちを逃がすこともできずに、私は液晶に並ぶ数字の羅列を睨んでいた。



(どうしよう…)



いや、どうしようも何もないのだけれども。
どうするかは自分が決めることであって、決めたからには迷う時間が勿体ないという話で。

この絶好の機会を逃すことはしたくない。散々悩んで迷ってほんの少し勇気を出そうと決めて、今私は携帯を手に取っているのだから。



(この機を逃したらいつになるか分かったもんじゃない…っ)



いい? なまえ、これは千載一遇のチャンスなの。
逃げる方が後から損をしたと後悔することになるわ。

普段よりも鼓動を速めてしまう自分を励まして、女は度胸、と必要以上の力を込めて発信ボタンを押した。
これで後戻りはできない。そう考えると余計に緊張感が高まってしまうけれど。



『もしもし…?』

「こっ、こんばんわ…黒子、くん」



呼び出し音が途切れたかと思うと、少しばかりくぐもった声が私の鼓膜を震わせる。
その影響か、私の喉まで震えそうになるのをなんとか引き締めて、できる限り自然な声を返した。

確か、電話越しの声は持ち主に似た音を選出して伝えられているだけだと聞く。
無駄に力んでいる今の私の様子も、そのまま伝わらないことを願いたい。



『みょうじさん…何かありましたか?』



不思議そうに名前を呼ばれて、跳ねる心臓を胸の上から撫でる。
私と彼の繋がりは、ただ所属する委員会が同じだから関わるという程度のもの。クラスや部活も違うし夜に電話を掛け合うほどの仲ではないのだから、彼が疑問に思うのも当然のことだ。
このような会話の流れは想像できたし、携帯を手に持つまでも長々と悩んでいた私が答えを用意していないわけもない。

抜かりはない。これでも、私はそこまで馬鹿ではないのだ。



「うん…あの、委員会で配られたプリントをなくしちゃったみたいで…確か、新刊の扱いとかも書いてあったよね? 私明日当番で、ちょっと不安だから確認させてもらえない…かな…?」



タイミングよく新しく入った本や、先日の会議を持ち出して、わざわざ信憑性を上げるためにプリントも学校に忘れてきた。本を扱う仕事に関して、真面目である彼の性質を知っていての作戦だ。
拙い作戦だとは思う。けれど、ここまでするかと自分に呆れるくらい、私の中では頑張った方でもあった。

ああそれなら、と親切に受け答えてくれる彼の声を血液の奔流を感じながら聞き取って、二、三の質問を投げ掛けては用意していたメモ帳に内容を記した。
それすら、今か今かと構えている言葉を、軽くするために。いざとなれば誤魔化すことができるように、予防線を張っているだけの行為で。

そこまでして、私は、たった一つの言葉を彼に聞いてほしかったのだ。



「あっ、そういえばさ、」



口実にした内容は聞き終わり、いい具合に会話が途切れてそれじゃあありがとう、と返すタイミングで話題を重ねる。
さよならとおやすみを言う前に、言い残せるくらいで構わなかったから。



「月、が…綺麗だよね」



さすが、仲秋の名月なんて取り上げられるだけあるよね。

ドンドンと内側から胸を叩いてくる心臓が、今にも突き破りそうで怖いほどだった。
声が震えたとか、握りしめた携帯が軋んだとか、そんなことを気にする余裕もない。
ぐるぐると私の中を巡る熱が、これ以上の冷静さを保てないように襲ってくるのが判る。

彼なら、知っている。これは確実だった。
元々情緒的な人だから、彼が決めた受け取り方で意味は変化してしまう。



(伝えられたら、いいの)



返されなくてもいい。それで、いいの。

明確な答えが欲しいわけじゃない。ただ、知ってほしいと思ってしまった。
その結果知らないふりをされても、構わない。
私が伝えたこと。伝えたいくらいには彼を想っていること。その事実だけあればいいと。そう、思って。

思って、すぐにおやすみなさいと、付け足そうとしたのに。



『…そうですね』



でも、と囁く声を通話口から拾ってしまった。

自分のことでいっぱいいっぱいで、殆ど思考力の落ちた状態の私には、それを回避するという選択はできなくて。
まともに頭が回っても、彼の言葉を回避するようなことはしなかったかもしれないけれど。



「え…?」



掠れた声が漏れたことに、電話の向こうで微かに笑うような気配がした。
一人で湯気を出しそうなくらい真っ赤になっている私を、彼は想像できたのだろうか。



『みょうじさんと一緒に見られたら、もっと綺麗に見えるでしょうね』



普段よりもしっとりとした声に、息絶えそうな心肝を優しく突き刺された、気がした。






月が綺麗ですね



好き、です。君が。

そんな追い打ちは、狡いです。

201300925. 

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